惜別・広電2000-⑩ | 安芸もみじ ─ Photographs, Historys, Railways,-JAPAN┃広島

惜別・広電2000-⑩


いよいよ最終回です。

今日は宮島口で、お砂焼き祭りがありました。

さて今回は一昨日のラストランの写真をUPします。

散々なほどの寝不足との戦いも、やっと終わりました。

まだあと今年は1ケ月以上ありますが、2000型の引退は、今のところ宮島関連のニュースではランキング第一位の事件です。

宮島線沿線住人の方以外には、ちょっとピンと来ないカモ知れませんけど。

2000型はよく、2000系とか2000形とかと表記されますが。

広電の車両型式表示には2000型と記載されているので、型が正式です。

最終段のシリーズLinkには、型の音…GaTaの子音を取って2000GTと洒落?で表記してみました。

さて最終日の16日、2000は2編成が営業に入っていました。

2008-9編成は宮島口7時25分発の日赤病院前行きと、2006-7編成は宮島口7時55分発の広島駅前行きでした。

2006-7編成は広島駅を折り返して西広島行きとなり、約9分遅れで到着。

西広島から商工センターへ回送され、今後は荒手車庫留置の予備車になります。

2008-9編成は夕方まで広電本社に留置され、広電本社18時15分発の宮島口行きになりました。

宮島口には約16分遅れで到着し、商工センター行きになり、商工センターには20時3分に到着。

20時6分に荒手車庫に入り、47年間のその生涯を終えました。

後援会などが予定していた"さよなら装飾"は、広島電鉄側が難色を示したために行われなかったのが、少し残念でしたね。

尚、今回予備車指定を受けた2004-5編成は、昼過ぎに宮島口に回送されたようです。

2008-9の、宮島口から商工センターの区間の乗客は9割が鉄道ファンでした。

また、この列車が2000全編成の最後の定期運用列車だったため、商工センターに到着後、駅前にある広島市立井口高校の生徒さんから、運転手さんと車掌さんに花束が贈られました☆



さよなら2000GT⑨→