清盛まつりと惜別あさかぜ | 安芸もみじ / Photos, Historys, Trains - Hiroshima JAPAN

清盛まつりと惜別あさかぜ


遅くなりましたが、3月23日に行われた"清盛祭り"の写真を、当日の日付でUPしました。

下のClickから、23日の記事を開きます。

この度ほ雨天だったため、厳島神社・回廊内での撮影となっています。

清盛祭り→Click

だから個人的な写し方の写真が多いのですが…。

写す時には夢中だったので気がつかなかったのですけど…。

清盛公に侍従していた方々の中で、建礼門院さまばかりを撮っていました(笑)

建礼門院という人は、その名前を平徳子と言いました。

平清盛の娘です。

彼女は父・清盛の政略によって皇室へ入内しました。

第80代・高倉天皇の中宮となり、後に第81代となる安徳天皇を生みます。

清盛が病没すると平家の栄華は斜陽と化し、一門は壇ノ浦(下関)の戦いで滅亡します。

彼女も一門と一緒に入水したものの、源氏方によって助けられて、京都へ送還されました。

その後、尼となって大原にある寂光院にて、愛息子・安徳帝と平家一門の菩提を弔いながら余生を送りました。



さて源氏方の総大将・源義経は、救助された彼女を見て一目惚れをしてしまいました。

それからというもの、彼女が京都へ護送されるまでの日々、義経は熱心に部屋へと通います。

彼の恋心が実ったのかどうかは判りません。

しかし彼女は、救われてから送還されるまでの赤間関(下関)で『生涯一度だけの過ち』を犯したと、晩年に語っています。

果たして、その"過ち"とは、何だったのでしょうか…。

気になります。

私メが今回、無意識に彼女ばかりを撮ってしまっていたのは、800年の時を超えた同じDNAのせいでしょうか?

そんな訳はないですね(笑)

ところで源義経と言えば…。

2005(平成17)年3月1日に、東京と下関を結んでいた特急あさかぜが廃止になりました。

宮島口へ停車していた最後の特急列車でした。

下関駅で行われた惜別式典で、源義経と平知盛の御両人が参加されていました。

ついでなので、ここでUPしときます☆




これまでの機関車file
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