2007年7月14日のブルートレイン富士
今朝、久し振りに特急富士を撮ってみました。
撮りに行った訳ではなく、天気具合を窓から見ていたら、ちょうど時間だったので、目の前を通過してました。
そこで、カメラを構えたんですね。
まぁ、久し振りとは言っても、なでしこの成長記録写真?のバックには常に富士がいたので、そんなにご無沙汰でもないのですが。
まぁ、富士もねぇ…長い付き合いですから。
と、いうコトで朝っぱらから、ゴソゴソと古い写真…と言うか、ネガを出してみました。
これは、家の近所で撮ったものですが、牽引している機関車が違います。
ファンの間ではPFと呼ばれる、EF65という形式の1000番台という型式です。
一昔前までは、ブルートレインと言えば、この機関車が担当している代名詞的な存在でした。
こちらは、富士の後姿です。
客車の方は今も昔も変らず、24系25型というコレが使われています。
この写真は小倉駅で撮ったものですが、この当時は西鹿児島行きでした。
東京から東海道本線、山陽本線と走って来て、日豊本線経由で今の鹿児島中央まで行くのですから、たいしたもんでした。
機関車と客車の連結面を撮っています。
九州内は架線に流れている電流が交流なので、このような赤い機関車が担当します。
当時は、上野発の北斗星や大阪発のトワイライトエクスプレスなどがいなかったので、日本で一番長い距離を走る列車でした。
ですから、東京を出発すると西鹿児島まで、西鹿児島を出発すると東京までの間に、自分(富士)と2回すれ違うという、唯一のエピソードもありました。
これは、その赤い機関車の先頭です。
今はEF81という機関車が仕事していますが、当時はED72とED73という、ちょっとだけ流線型になったヤツが仕事していました。
フィルムがもう、寿命を過ぎてしまっていて、デジタル処理をしても、もう元の色や画質が出ませんが、なんか懐かしい匂いには浸れましたよ。
なかなか過去は振り返りませんし、過去にすがるのも好きではありません。
でも、時々こうして過去に触れると、心が元気になるって言うか、今日、そして明日への力になりますね。
また、未来に向けて歩いて行けそうです☆
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