2024.3.15物質的別離 | 呉市の接骨院と言えば・・・呉市の宮迫接骨鍼灸院!

呉市の接骨院と言えば・・・呉市の宮迫接骨鍼灸院!

平成5年9月、呉市仁方で接骨院を開業。
地元に根差した接骨院・鍼灸院になりたい!と奮闘。
令和3年4月からは子育て卒業者として独自理論の「想育論」「共育論」の普及活動を展開。
子育て世代の一助になりたい!と活動しています。

2024.3.15物質的別離

2010年7月10日に生まれた「viva」(トイプードル)

生まれてほどなくして、我が家に・・・

当初、あまり面倒は見ていなかったが、家中を駆け巡る「愛らしさ」もあり、しだいに積極的に関わるようになった・・・

毎朝の散歩。

ボールを使ってのダッシュトレーニング。

川でのダイブスイミング。

北は青森から南は鹿児島まで連れて行った・・・

47都道府県で行けなかったのは北海道と沖縄の2つ。

45都道府県を制覇した「旅犬・viva」

宮迫家の中で、いつもイキイキ、みんなに笑顔を届けてくれたviva

そんなvivaが2024.3.15 18:50 わたしの腕に抱かれた状態で息を引き取りました・・・

 



2010.7.10生まれ

この世に生を受けて4,997日

13年8カ月。

たくさんの笑顔を振りまき、まさに、駆け抜けました!

2023年9月に右頬に「腫瘤」を発見。

検査に行くと、悪性黒色腫(メラノーマ)と診断。

切除術の検討もするにはしたが、様々なことを勘案し、断念。

放射線療法もあるにはあるが、身体的負担も大きいということで、抗がん剤療法を選択。

抗がん剤治療の副作用で嘔吐・下痢に見舞われ、苦しそうなvivaをみるのも嫌であり、尊厳ある生き方をしてもらいたい!ということで、抗がん剤治療も中止・・・

すべての積極的治療をしなければ、年越しをするのが難しいか!?と言われ、最大限好きなことをさせてやる生活にスイッチ!

食べられる、ありとあらゆるものを食べさせました。

高級牛肉、ケーキ、パン、カステラ、いままでは「制限」をしながら少量ずつ与えていましたが、いけるところまで食べさせてあげる!

と、いうのも、口の中に腫瘍がある状態で、症状が悪化すれば、食べることが困難になるとのことでした。

点滴・流動食を食べさせるという選択肢は、最初から取らないと決めていたので、食べられなくなる、その日まではそう遠くない。

ならば、いままでしていた制限を取っ払う。

これは宮迫家の総意での決断でした。

この方法については賛否があることも承知をしています、ただ、宮迫家の生き方としては息子のvivaの意志は確認はできないが尊厳ある生き方をしてもらいたい!ということでした。

12月には、ベスト体重の5キロから、なんと1キロオーバーとなることがありました。(笑)

ただ、それと同時に積極的治療をしない腫瘍は徐々に大きくなってきて・・・

それでも、生き運のあるvivaは、難しいとされた年越しを達成。

 



めでたく正月を迎えました。

正月明けからは少しずつ、食べることが難しくなってきて・・・

体重は少しずつベストの5キロを下回り・・・

毎朝の散歩の距離も少しずつ減少・・・

3月の最初の日曜日には、ソメイヨシノではないが、彼岸桜をみにいこう!と桜鑑賞。

 



桜までは難しいとされたvivaも彼岸桜まで到達!

vivaの生命力に家族は胸を打たれました・・・

そしてそれから1週間・・・

食べることが本当に難しくなり、水を飲むのも難しくなってきました。

オシッコをする片足上げも難しくなってきましたが、ここから「vivaの誇り」を感じさせる行動がありました・・・

最後はオムツもしたのですが、自身でトイレに向かい、腹圧をかけづらく、出せないオシッコを出そうとするプライド。

オムツはいらない!と自身で自己を鼓舞するプライド、誇り。

自分のことは自分でする!

至極当たり前のことが、当たり前でなくなってきている現代日本で、愛犬vivaはそれを体現してくれました。

『viva pride』

vivaを知るわずか数名ですが、しっている人でコミュニティを作り、viva情報をほぼ毎日アップしていました。

名付けて「viva fight」

ただ、その「viva fight」と名付けたコミュニティの名前を「viva pride」に変更した当日、vivaは逝きました。

まさに、viva pride

亡くなる当日は次女が仕事の都合をつけてくれて愛媛から会いに帰ってきてくれた日。

その前日は体調がすぐれない状況でありながら、駆けつけてくれた長女。

宮迫家のすべての人に、挨拶をしたことを確認したように、嫁の腕の中で下顎呼吸を始めたのが、2024年3月15日18時40分。

連絡を受けて、わたしが抱き変わったのが18時45分。

わたしが抱いて約5分後・・・

18時50分。

vivaは生まれて4,997日目に、本当に安らかに、息を引き取りました・・・

目は閉じていませんでした・・・

安らかに目を閉じたのではなく、安らかに目を開けて、息を引き取りました・・・(笑)

まさに「viva pride」

vivaの誇り。

『がんばることは当たり前』を我が家の長男・vivaが体現してくれました。

安置したリビング。

静かな時間が流れましたが、涙が止まりません・・・

眠れない夜、一時的に仮眠となった感じでしたが、夜中に再び、目覚め、涙・・・

朝起きて、vivaのさんぽに行かないという現実。

3月16日、vivaと一緒に毎朝通った「中筋公園」に最後のドライブ。

ソメイヨシノは蕾で、開花には間に合いませんでしたが、中筋公園に最期のお別れ。

道中、いろんなことがこみ上げ、またまた涙が止まりませんでした・・・

呼びかけると、走り出しそうな顔をして横たわるviva

13年間通った中筋公園のソメイヨシノとの別離。

13年間が走馬灯のように去来する・・・

ありがとうviva

おつかれさまviva

2024.3.16 13:30

荼毘に。

寂しさは極地に達しましたが、癌と正面から闘ったviva

最期まで自分のことは自分でしようとしたviva

宮迫家に、本当にたくさんの「幸せ」を運んでくれたviva

本当にありがとう。

2024.3.16で物質的別離となりました。

ただ、これは物質的別離であり、精神的別離ではありません。

vivaはこれからもずっと家族。

これからも心ではいつも一緒です。

vivaと歩んだ4,997日、13年8カ月。

「vivaのおかげで」が宮迫家にはたくさんあります。

これからはvivaの想い出とともに宮迫家は進みます。

3月15日、16日と涙で明け暮れた宮迫家であります。

ただ、viva prideを宮迫家が体現とするとすれば・・・

vivaの分まで、楽しく明るく笑顔で過ごす!ということではないかと信じています。

宮迫家に『viva pride』あり

vivaはいま、第二ステージに突入。

こちらが迎えその時まで、その場を地ならししてくれるはずです。

viva、本当にありがとう。

物質的別離ではあるけど、また逢おう!

あとで追いかけるね!

先に、いってらっしゃい!

本日は神妙なお話となりましたが、うちの長男との物質的別離ということでご理解ください。

久々の長文・・・

ブログを書いていて、涙が止まらない・・・

でも、vivaの足跡はしっかり遺したくて・・・

viva、ありがとう!

viva、いってらっしゃい!

それでは、本日もワクワク笑顔でがんばっていきましょう!