今は無き、宇都宮競馬場を主戦に、90年代を席捲した栃木の怪物が旅立った。

 

ブライアンズロマン

(※画像は全てyahoo!画像より)

 

宇都宮から競馬が消えて18年、上記画像の左上に写る木々は今も残り、競馬場の跡地は県総合運動公園に組み込まれ、広大なウオーキングコース競馬場の痕跡が見られる。たまにウオーキングしては往時を偲んでいる。(まさか、宇都宮に住むとは夢にも思わなかったけど)

 

さてさて、ブライアンズロマン・・・久しぶりに聞いた懐かしい馬だ。僕が宇都宮競馬場へ足を運ぶようになったのは、この馬の存在がキッカケだったりする。栃木では確かに無敵で、たまにポカをしても2着・・・強い馬だった。

 

遠征すると勝てない事が多く、内弁慶と揶揄する声があったが、よくよく見るといい競馬はしていたと思ふ。例えば、ダイオライト記念(船橋)では砂の女王ことホクトベガに0.9秒差3着だったり、帝王賞(大井・GⅠ)ではアブクマポーロに1.5秒差6着(2着バトルライン、3着メイセイオペラ)と見せ場を作って健闘した。

 

印象的なのが、1998年のさくらんぼ記念(上山・GⅢ)ワイルドブラスターストーンステッパーパリスナポレオンのJRA勢を一蹴し、栃木所属馬初のダートグレード競走優勝を果たしたのね。

この時は大井で見ていて、ブライアンズロマンを軸に、ユーコーマイケル(岩手)シンプウライデン(笠松)ワイルドブラスター(JRA)に流した3点買い。ロマンが抜け出し、差して来たユーコーマイケルが混戦の2着争いを制し、嬉しかったなあ。。。(思えばいいメンバーが揃っていたね。そんな上山競馬場も今は無い)

 

引退する2000年には、オールカマー(JRA中山・GⅡ)に参戦し、メイショウドトウステイゴールド等と一緒に走り、9頭中7着だったが、出走馬最年長9歳ながらよく頑張ったなと・・・

 

ブライアンズタイム、母の父ブレイヴェストローマンと、JRA所属でもおかしくない超良血。脚部不安から宇都宮デビューとなり、とちぎ大賞典4連覇や開設記念(高崎)3勝等、制した重賞タイトルは17!まさに・・・

 

栃木の怪物

 

に相応しい活躍だった。何度か実際に見たが、他馬とは醸し出す雰囲気が違い、馬体のツヤが光っていたのが忘れられない。地方競馬にいるのが不思議な感じがしたのを思い出す。

 

現役引退後は種牡馬になったが、交配相手に恵まれず、これといった産駒は現れなかった。種牡馬を引退してからは、ファン有志によるブライアンズロマンの会老後の資金サポートを行っていたが、10日(日)に余生を送る牧場で32歳の大往生で息を引き取ったそうな。

 

ロマンの主戦騎手と言えば・・・

 

Mr.ピンクこと内田利雄騎手

宇都宮競馬のスタージョッキー、競馬廃止後は事実上のフリー騎手となり、現在は浦和を主戦場に南関東競馬騎手を続けている。御年62歳で、南関東では国内最年長的場文男騎手67歳に続き、2番目の年長との事。

 

ウッチー(親しみを込めてファンはそう呼ぶ)は明るい人柄でファンに対しても紳士的。当時から僕は好きだったなあ。。。笑顔が素敵でね、馬に乗ってパドックを周回する時、ニコニコしながらファンを流し目で見ている(笑)。

 

高崎競馬場で、なぜかレース前にウッチーが熱唱し(ひまわると言うバンドを組んでライブ活動をしていた)、歌い終わると慌ただしく・・・

 

ステージ衣装(勝負服)に着替えてくるから

 

と言い残し、ファンを和ませてくれたり、とにかく気さくサービス精神が旺盛なんだよねえ。。。

 

ある時には、宇都宮から小山経由(JR両毛線)高崎入りしたウッチーが、JR高崎駅前から出ているファン無料バスに普通に乗り込んで来てビックリした事があったなあ・・・それも乗っているファンを見渡した後、一番前に座っていたし(笑)。

 

競馬場に着いて、バスを降りた時、僕は・・・

 

内田さん!

 

と声を掛けると・・・

 

乗る馬がいるので(高崎に)来ました!

 

いつものウッチースマイルで・・・そりゃファンになるよ(笑)。

 

懐かしい記憶、そして楽しかった記憶・・・ウッチーにはまだまだ頑張って頂きたい。

 

ロマンがいなくなり、宇都宮競馬場は更に過去のものになっていく気がする。

 

ブライアンズロマンに心より合掌・・・