ごきげんよう。
sorenishiyou です。
アラシゴトではありません。
うらばなし。の更にうら、
全くの私ごとです。
ご興味ない方はスルーで❤️
気持ちに区切りをつけたくて書いてます。
ずっと記事に出来なくて。
先日、長らく入院していた母が亡くなりました。
満中陰(四十九日)の法要も無事終わり、諸手続きも一段落つきました。日々の暮らしも元通り、全然実感がわかなくて…。未だに午後になると病院へ向かいそうになります。
1月下旬、『好きな衣装祭りでぃっ♡』に
参加させていただこうと、嵐サンのライブ映像をおさらいしておりました。母の病院の都合で時間ができたからです。(←時間ができたから少しずつ…。)
そんな中、嵐サン活動休止のお知らせが届きました。
FCの動画メッセージを見て、ショックを受けつつも「好き」な気持ちを確認して、応援し続けようと決め、記事をひとつアップして。
その夜10時放送の記者会見を見て、更にその思いを強くしました。
翌日。
公休の娘とふたりでエントリーして。(←前記事)
母の病院「全館面会禁止」はいったい いつ解除されるのか、
「電話して聞いてみる?」
「1週間ではまだ無理でしょ?」
「解除されても、私達が風邪気味だから行かない方がいいかしら。」
などと、病院への問い合わせを逡巡しておりました。
病院から急変の電話が入ったのは、ティータイムの準備を始めたときでした。
夫と、姉と、息子に連絡をいれ、
娘とふたりで駆けつけました。
1週間ぶりに会えた母、
私と娘を見て、嬉しそうに微笑み…
そのまま静かに逝ってしまいました。
電話からわずか50分のことでした。
1年8ヶ月に及ぶ入院生活、今の病院に移ってからでも1年以上、ほぼ毎日会いに行ってたのに。
よりによって最後の1週間、会えなかった。
どんなに淋しかったでしょう、母も…私も。
それでも。
最期は私を待ってくれていたと思いたいです。
母は立派な専業主婦でした。
私の小学校の卒業アルバムには
「目指せ!良妻賢母!」と書いてます。
そして、それは母のことでした。
父の為に、娘ふたりの為に、
父の親兄弟の為に、
自分の親兄弟のために、
どんなときも自分自身は後回しで。
なんなら最期まで、ライブのエントリーを待ってくれていたようにさえ感じます。そうじゃなければ、それどころではなくてきっとエントリーできなかった。
真面目で、根気があって、がんばり屋で。
おしゃれで、社交的で。
タカラヅカとイケメンが好きで。
いつも正しかった。
私はある意味マザコンで。
母の言葉に呪縛されていたところがあります。
時にはストレスでもあり。
実の親子なのに、嫁姑のように丁寧語で話してしまう。
「髪、とかしますね。」
「爪、切りましょうね。」
「ベッドあげますよ。」
「明日は午後に来ますね。」
入院先でよく言われたのは
「え、お嫁さんなの?」
姿形はそっくりだからすぐわかるのに。
母のようにはなりたくなくて、
母の真似をしたくなくて…。
気づけば母の後を追いかけていて。
何をやってもかなわない、というか母のようにできることは何ひとつありません。
男の子が欲しかった父は、私達のことは母に任せきりでした。親戚で男の子がいないのはウチだけで多分風当たりはキツかったはず。母は女の子でも男の子に負けないように育てたかったのかもしれません。
決して裕福ではなかったのに、姉も私も中高大と私立に通わせてくれました。ピアノや絵画、英会話、声楽、等々、やってみたいと言ったお稽古ごとは何でもやらせてくれました。きっと母がやりたかったことなんだと思います。
とてもじゃないけど、自分の子ども達に同じようには出来なかったです。
2年程の在宅介護の後に1年8ヶ月の入院、2世帯住宅の母のエリアが不在なことに慣れてしまっていて。未だ病院に居るような気がします。
母の部屋の遺影を見ても、朝夕 手を合わせても、本当に亡くなったとは思えないのです。
先日、春の風物詩を諦めました。
母は何があっても毎年作って親戚中に発送してました。だから、私だって今年も作るつもりでした。やれると思ってました。
「イカナゴのくぎ煮」を作る。
その全ての工程が母との思い出なのです。
解禁日に直送される新子を購入するために行列したこと、腱鞘炎になるくらい生姜を刻んだこと、
調理中は立ちっぱなしで交代でお昼ご飯を食べたこと、あちこちに配る為に小分けして郵便局に持ち込んだこと…。
スーパーで手に取ろうとした瞬間、思いもかけず涙が溢れてしまい、逃げ帰ってきてしまいました。平気だと思ってたのにね。
結局、何事も母のようには出来ません。
世間が嵐サン活動休止ショックの中。
突然に母との別れがあり、通夜や葬儀はいつの間にか終わっていました。
そして今、あまりにも変わりのない日常が不思議です。
実際、当たり前に日々暮らしてます。
寝て、起きて、ご飯を食べて、テレビを見て、洗濯して、掃除して…。
企画がらみで浴びるように嵐サンのライブ映像を見続けたのが良かったのかもしれません。
病院通いも無くなって時間は余り、好きな銘柄のお茶とお菓子とともにDVD三昧、なんなら少し太ったかもしれない。
周りからは、あんまり落ち込んだり悲しんだりしていないように見えていると思います。
そして、自分自身でもそう思っていました。
本当に何も変わらないと。
けれども どこかで なにかが 欠落しているのでしょうね。たとえ無自覚でも。
何気ない場面で、ふと母を思い出し、不意打ちの涙がこぼれてしまう。
もうしばらくは、苦労しそうです。
思えば、9年前に父が亡くなった時も。
よく母と話していました。
「お父さん、まだ病院に居てそうですね。」
「ご飯は?って、フラりと帰ってきそうよね。」
「実感わかないですね。」
今頃、あちらで逢えているのかしら。
ふたり仲良く、美味しいものでも食べながら、
不甲斐ない娘にダメ出ししているかも…。
いくつになってもあなた方の子どもです。
いつまでも心配かけてすみません。