そんなに己が可愛いか | おもうこと。


親には親の人生があり、

大切にしたいことが

諸々あるのはもちろんだけど


両親は常に

何かを追いかけ続けていた。

 


仕事やお金、趣味や遊び、

恋愛、誰かからの承認、

名声、肩書き、自己実現。



親になったのが17歳だから尚更

思い通りには決してならない育児や現実から

逃れたい衝動や不安もあったと思う。



同じ歳の子が高校生活を楽しんでいる中

自分は赤子の世話に明け暮れて

同じことを繰り返す毎日。


稼いだお金は生活の維持に消え、

こんなはずじゃないという疑念が

何かしなければとかき立てる。

 

手ごたえがほしい。

自分だってもっと出来るはず。

こんなんじゃない何かがあるはず。


認められたい。

誰かに見てほしい。

安心したい。



そんなにも目で追うものが

何かは当時わからなかったけど、

そんなにも大事なものが

私でないことだけはわかった。

 


私じゃだめなのか、

私ってじゃあ、結局なんなのか、

そんな疑問がずっとつきまとっていた。



子への愛情より自分への愛着、

いわば自己愛に満ちた親にとっての

私はお飾りでしかない。


子どもの為という大義名分のもと

お飾りでいれるうちはまだ良かった。



自己愛の快楽が癖となって

更に更にと外に求めて頑張るほど

ますます置き去りになり、


万能感を渇望する親の

不機嫌の捌け口となって


「私は邪魔だ」

「愛されてないんだ」と

やがて納得するまでに

そう月日は掛からなかった。

 

 

親の満足が第一。

子は二の次、三の次。


そんな位置付けを見せつけられて

不安になり、疎外感を覚え、

それが次第に怒りへと変わっていった。

 

親が自分を第一に優先する姿に

私というものがわからなくなった。



だけど親=圧倒的に大きな世界そのもの

だった子ども時代に

心のなかで渦巻く疑問を吐露することは 


自分の生活のありとあらゆる全てを

取り壊すことに直結するから、

口が裂けても

何かを問うなんてことはしなかった。

 

そして子どもごときが何かを口にしたとて、

何も変わらないことも

容赦なく変わっていくことも分かっていた。


私の言葉は届かない。



小さな自意識に囚われて

自分、自分、自分を生きようとする親と、

そんな親の自己愛に翻弄され

親なしでは生きられないという制約の中で

言葉を失くしていく子ども。

 

何も言わずに従う子どもを見て

親は何も問題がないかのように思い込む。


目の端で違和感を捉えていても

後ろめたさや面倒臭さから目を背け、

日常から追われるままにやり過ごす。


そして遠い距離のまま

それぞれに時間を過ごし、関係は破綻する。

 



「仕方ない」って言葉が嫌いだった。


子への尊重も何もないように思える

向き合うことを早々に放棄した

帳尻合わせの一言をただ受け取って、

その言葉の置きどころを探して

何年もふらついた。   

   

  

何故よりによって自分の親は

こんなにも非力なのか。


怒りが不信に変わり、

笑うことも

本音を言うこともとっくに無くなって

無言のなかで心を閉じた。

 


良い年齢にもなって

やれ親のせいだ何のせいだと

甘ったれた大人でいるつもりはない。


今まで私の人生は

私の人生であった事がなかった、

と思ってしまう自分もいるからこそ

最後の責任は全て自分に負わせたい。



それなのに

惨めったらしい甘えが抜けず、

ぬるい自分がほとほと嫌になる。


口では決別したと言いながら

無意識下ではどこまでも親を慕い、庇う。


親の整合性を保つ為に

恥や罪の意識に苛まれ

 

人生の始まりにいてくれた唯一無二の存在が

そんな程度なわけがない、

自分には知り得ない理由がきっとある、

 

こんな冷たい自分は人でなしだ、

人として欠落しているのではないかと

自分を疑う妄想が消えない。 


 


「お金ができたら迎えに行こうと思ってた」

「こんな親でごめんね」

「大事に思ってたんよ」


数十年後にそう言われ、

親の虚像にしがみついていた

これまでの自分が情けなくて笑えた。


親を見続けてきた子どもにとって

その言葉の温度がどれほどかくらい

容易にわかる。

 


そんな親に限って

欲を制御できていないだけの

無知な行いの結果を

「波瀾万丈な人生」などとひけらかし


「自分が自分らしく幸せでいることが

結果子どもをも幸せにする」と

言葉の上っ面だけなぞり己に酔う。


当たり前、幸せかどうかは

子ども自身が決めることで

それは親側の都合の良い妄想でしかない。



結局愛されていたことがわかったし、

愛されていなかったことがわかった。


ここから何度でも

立ち上がらなければいけないのは

私の方だと得心がいった。

 



そんなに自分が可愛いですか。


 

そして

あの何も出来なかった子ども時代に

何て言ったらいいのか分からなくて

飲み込み続けたこの問いがそのまま、


次に親となった私に

ブーメランとなって戻ってくる。



重さや感触は違えど

息子が私に向けて感じている

“言ってもどうせ分からない”

“どうせ自己都合だけ押し付けられる”と

何か言いかけてうやむやにする感じは


思春期というものを差っ引いても

私が親に向けて思っていたそれと同じだと

気が付く瞬間がある。



繊細で優しい彼は

父や母や、生まれてからあった生活が

変わらないでいてくれることを望んでいたし、


それなのに一番重きを置かれるべき僕が

望んでも叶わなかった、  

という無力感や虚しさを

僅かばかりでも既に抱えていて


それが私との距離の取り方や

ふとした時の言葉尻に如実に表れている。



変わってほしいと願う親は変わらず、

変わらないでいてほしいことは

自分の願いなど到底届きもしない所で

確実に変わっていってしまう。

そして常に子はそれに従うしか術がない。



離婚して

私自身は納得感をもって

今まで以上に幸せを感じれるようになった。

後悔したことは一度も無い。


調停中や引っ越す前後は辛かったけど

自分ごとだからいい。

 


ただ子ども達は

持って行き場のない寂しさに困り、

悲しく、残念だったと思う。

悲観ではなく事実として。


それから続く新しい生活の中で

現状や気持ちと折り合いをつけながら

彼らなりの落としどころを見つけ

成長していってるさまに姿勢を正される。


(とはいえ息子も毎日うるさいくらい

元気にいてくれてるから心配ご無用です。


 

 

親というのもまた

不完全なひとりの人間でしかないことが

親になってつくづく分かった。


今までいかに親や自分に

条件付きの愛を課していたのかも。



よき親でありたい。

強くそう思うのに、

こんな自分、

そうとしか生きれない自分がいる。



子に対して親が及ぼす影響の大きさや

かける言葉の重さを散々と感じているのに

子の赦しに甘え、適当に繕ったり

大切なものの優先順位を取り違える。



そうして私が自分を責めたり嫌ったり

自分とは何なのか、

こんな自分に納得する為には

どうすればいいのか、

自分、自分、自分と考えあぐねている間も

子は隣で私を信じ受け入れ続けている。

 


その思考の渦から抜けたとき、

自分なんてものは無いんだと

僅かに腑に落ちた瞬間、

今までいかにつまらないものを

重要だと錯覚していたのか理解した。


自分を見なければ

それだけで目の前に

幸せを認知できるんだと知った。



それがつまらないものだったと知る為に

私が模索してきたこれまでは

私にとってはとても意味のあるもので、

やっぱり何一つ欠けてもこうはならなかった。


と同時に、

子どもが子ども時代に

ちゃんと子どもであれるかどうかは

親が自分のことをさておき

子の成長と自立を願えるか、


時に辛抱し、譲歩できるかと

イコールであったりもするのだと

改めて感じいった。

 


行き過ぎた自己愛を抱えた親が

取るに足らない自意識の満足のために

己の穴埋めに夢中になるとき、

その穴を埋める土は結果

子の心から削いでしまっていた

ということが往々にしてある。


そしてそれは求める限り

永遠に埋まらず際限がない。



そんな場所から

子が自分を打ちたてて

親との癒着を剥ぎ、

自分を許すまでには

気が遠くなるような葛藤を

繰り返す羽目になる。



親が信じる愛情や

できることはやったという自負は

自己満足でしかなく、

理解してほしいと願うのは傲慢で


子の思いをわかろうと努力し、

わかったことに対して逃げずに

親であり続けることが務めだと

現時点での自分にそう思う。

  

 

どこまでいってもこんな自分で

おめおめと生きていくしかないのだけど、

子に親の尻を拭かさせない為にも

私が私を許すことをやめてはいけないし


優先順位を問いながら

日々の態度を選択していきたいと思う。



いつにも増して支離滅裂だけど

気張っていけよ、親でしょう。

という、自分への覚え書き。