宮長登和のおもうこと
麻白ゆかり1stシングル 
【贈るうた~可愛いあなたへ~】作詞担当

あっという間に年末。びっくり。


離婚して4ヶ月経った。


いわゆる安定した生活

さよならして、

家も家財道具も

全部置いて出たから


新生活に向けて

お皿からタオルから

家具家電、

全部一から買い揃えて、


お箸一つ

自分が気に入った物じゃなきゃ

家に置きたくないもんだから

お金かかるし

貯金なくなるし、


(調停早々に

家も財産も要らないって

言っちゃったの。

あればあったで

もちろんよかったけど、

いるって言ったら

裁判まで長引きそうだったから。


主張して戦えば入るお金に

時間を費やすより、

自分が心地良くいられる時間の方が

よっぽど大事。

お金で解決できる事案なら

さっさとそれで解決したい。


(で、コロナ禍になって

やっぱ言っときゃよかったな

ってちょっと反省した

二人は猫カフェブーム

多。


離婚してからも

コロナ禍もあって

仕事でもピンチが続いたり、

これまで以上に時間に追われて。

(半分は遊びの予定だけど



一時の感情に飲まれて

落ち込んだり

イライラしたりもするんだけど。


だけど、

毎朝起きるたびに思う。


なんだこの幸せは‥!!って。



大げさじゃなく、

ふとした時にとてつもなく

震えるくらい

「幸せーー・・ ˙̫̮  )って感動する。


結婚も幸せだったけど、

離婚もめちゃくちゃ幸せなんだね。


ここまでとは思わなかった。


いっぱい悩んだけど、

怖かったけど、

勇気出してよかった。


「離婚しようと思う。」と

周りの人に伝えた時、

めちゃくちゃ反対された。


見過ごせなくなった

自分に対する違和感や

気持ちの濁り、くもり、

私が私と分断されていると

感じていること、


それらは大抵

離婚と天秤にかけると

「そんなことで」

とあしらわれる程度のもので、


そんなことよりも、

形だけでも

結婚という制度を

維持している今が

どれだけ安心、安全、

幸せかを説かれ、

離婚してからのことを

心配された。



根底はどうであれ

私のことを思って

反対してくれる人が

いるということは

幸せなことだとも思ったけど、


自分の心がしんどい時に

「離婚したらこんなに大変で、

こんなにお金がかかって、

こんなに時間がなくなって」


子ども達が可哀想、

仕事と育児はどう両立するのか、

数年後、数十年後のことまで

ちゃんと考えているのか、

不幸になるかもしれないよ、

後悔するよ、

もっとよく考えて。と。


その人の持つ恐れや

こうすべきや、

こうしたらこうなるという

出どころ不明な思い込みを、

「私のため」という

大義名分のもと説かれたり。


それは一見 

愛情にも見えるけど、

その人自身が持ってる

不安や偏見を

一方的にぶつけられてるだけで、

こっちからすると

知ったこっちゃない話なんだよね。



何が腹立つって、

知ったこっちゃない話なのに

それをわざわざ拾い上げて、

いや、

わざわざ貰いに行って、 


自分で自分に

更に嫌な気持ちを味わわせる、

自分自身への信頼の低さ。


自分を虐げる声が

いつまで経っても消えやしない。


自分や、

自分から観た世界に対する不信感に

悲しくなったし腹が立った。




だけどそんなもの、

改めて言葉にしなくても

ちゃんと怖いし、

ちゃんと不安だし、

考えてないわけがなくて。


それでも、

深刻になって

不安がり、嘆き、

不平不満だけは一丁前に吐き、


その気持ち良さに巻かれて

留まり続けるなんていう自分なら

好きになれないし、

大事な人達に顔向けできない。

醜悪とすら感じる。 


だから

自分に恥じることなく

生きてきたと言える人生でありたい。

と、腹をくくった自分の、

ただその勇気に寄り添ってやれよ、と。


都度、角度は違えど

あいも変わらずこうして

自分を責める、

優しさの無さを残念に思った。




限りを尽くし、

最善の自分として

人と、

生きることと

向き合いたい。


その為に努力することは、

パートナーや大切な人達との

調和を求めることよりも、

自分と調和し続けることなんだと思う。



自分との調和より

人との調和を

見いだすことを優先すると、

自分の中に不調和が生じたり、


自分との結びつきを失うことで

喪失感や虚無感、

満たされない気持ちになったりもする。


私はまさにそれだった。


ここではないどこか、

見当違いな場所でずっと

愛とか真実だとか、

そういう類の何かを探していた。


自分はどうしたいのか、

どう生きたいのかを探求し

自分と調和し続けることで、

大切な人とも

喜びや赦しのなかで

パートナーシップを

築いていけるんだと思う。


10年の結婚生活を通して

いろんな自分と出会えた。

 


彼と結婚できてよかったし、

彼と離婚できてよかった。



なんか粗雑な書き方で

意味不明かな)



2021年。

どんな年になるかわからないけど、

また最低で最高な

面白い一年になるんだろうな。


流れに身を任せ、

人と繋がり、

自分と繋がり、

そして

愛し合うという学問を学び続けたい。


自由に生きていくのに

必要なものは、

常識じゃなくて知識だった。



どう生きたいのか。

その問いを

心に持ち続けて生きていきたい。


です!\(^O^)/


来年もよろしくね(^O^)♪





8月に離婚しました。

裁判所と役所を
何度も往復し、
それから引っ越し、
諸々の手続き、
書類の山と格闘して、
果てしない片付けと
怒涛の2ヶ月を越えて
やっと少しずつ
新しい生活に慣れてきました。

一皮むけた♡

三人旅



特に離婚届を出すまでのこの一年。
やばかったほんと。
めちゃくちゃきつい一年だった。


うちは弁護士さんが間に入ったり
調停になったり、
だいぶ揉めたりもしたから

悔しくて悲しくて
しんどくて、
毎日のように泣いて、

親権争いが泥沼化した時は
相手を憎んで憎んで、
はらわたが煮えくりかえって
夜も眠れないほどだった。
 

冷静に話を進めようと思っても
相手の一言一言で
体中が憎しみに支配されて、
ドス黒い怒りが渦を巻いて、

自分自身の恐れは
1mmも悟られるもんかと
意地になってすまし込み、
相手を見下し、

相手をいかに下がらせるか、
相手にわからせてやりたい、
打ちのめしたい衝動に駆られて

知り得る限りの罵詈雑言が
自分の中から
グツグツと湧き出てきて

本当に、
ほんっとーーに苦しかった。

気が狂いそうなほど
パートナーを憎んだのは
初めてだった。


そして
同じように相手も
私に対して憎悪を抱き、
いかに自分が正しくて
私が間違っているかを
ぶつけてきた。

互いに
“自分は罪人である”と思うが故に、
自らをその裁きの世界に晒し、
愛に値しない存在と感じる自分を
罰し続けていた。


ほんと、
パートナーシップって
面白いね。
めっちゃ苦手な金魚
6匹連れて帰るハメになる。


私はもっと綺麗に、
冷静な対応と
思いやりを持ち寄って
「今までありがとう」で
円満に離婚できると思ってたの。

今思えば
独善的な考えだったとも
思うけど。


離婚の話を
具体的に切り出した時も、
離婚後
子ども達はお互いの家を
行きたい時に行きたいだけ
自分の足で行き来できる距離に
住むつもりで、
これからも協力して子ども達を
育てていきたいと思っていて、

盆や正月なんかも
彼の賑やかな御実家で
大好きなじいちゃんばあちゃん達と
子ども達を過ごさせてあげてほしいと
お願いさせてもらって。

夫婦としては終わるけど、
これからも
父親、母親として
よろしくお願いします。と、
私なりに
最善を尽くしての提案だった。


離婚理由はまた書くけど、
数年考えてきたことだったし、
しっかり切り出したその頃には
共に寄り添って
同じものを見つめる視点も、
歩調を合わせる心くばりも
互いに無く、

彼が白と思えば
私は黒だと思うくらい
見えてる世界も違っていて、

や、当たり前に違うんだけど。
その価値観の違いに対する姿勢が
もうパートナーと呼べるものでは
なくなってた。

要は
何がどうなったとしても
「この人を愛していく」
という意志も、
「この人の人生を見届けたい」
という望みも
私には無くなっていた。


と言いたいところだけど。

そんなもの最初から無かった。

何もかも、
私が私を分かってなさすぎた。


そして自問自答しながら
紆余曲折を経て、
彼に、
自分に、
子ども達に、
敬意を表して
出した答えが離婚で、

それに対して彼が言ったのは
「ふざけんな」だった。


そう言う気持ちもわかる。
普通にわかる。

彼の周りも
私の周りも
大半が反対して、
私を説得しようと
躍起になって向かってきてくれた。

揺らぐことはなかったけど。


彼の考えとしては、
・子どもがいるのに
離婚なんて勝手すぎる。
責任感がない。

・親として
せめて子どもが大きくなるまで
我慢するべき。
子どもを一番に考えろ。

・離婚したいなら一人で家を出ろ。
子ども達は渡さない。

・母親失格。
子どもが可哀想だ。

・それでも離婚だと言うなら、
お前みたいな母親はいらない。
再婚して、
“ちゃんとした”お母さんを作ってやりたい。


で、そこまで言われた時に、
元々あった私の中の罪悪感や
「この子達に
私のような者は値しないんじゃないか」
という引け目、
恐れを刺激されると共に、
ふつふつと
猛烈に怒りが込み上げてきて。

「そっちこそふざけんなよ」と。


誰が何をどう言おうが、
誰かから見た私が
いくら未熟だろうが、

私はこの子達を愛していて、
この子達が生まれたその瞬間から
私なりの愛し方で精一杯
一緒に笑いながら、
泣きながら、

自責の念に苛まれたり
喜びに心震わせながら、
そんな日を重ねて
母親になってきたんだ。
 
それは決して
誰かの物差しで
たかだか目にしただけの平面を
推し量っていいものではなく、

その奥行きには
私にしか分かり得ない、
母親になろうと
足掻いてきた道が確かにあって、

この子達を愛せているか、
この子達の愛に応えられているのか、
愛し方は間違っていないか、

絶え間なく注がれる
子どもの真っ直ぐな愛に
時に目を逸らし、
耳を塞ぎたくなりながらも

そんな不毛な問いを
自分に課すほど
この子達の母親でありたくて、

そして
それは同時に
こんな自分を受け止めようと
真剣に向き合ってきた道でもあって、

それを、
そんなこれまでを
軽視されたようで

ここは引けない、と。
私にも
守りたい領域がある、と。


彼が、
彼の持つ恐れから
私を攻撃していることも、
その言葉の全てが
本音や
自分の言葉ではないこともわかる。

だけど
私は私自身の為に、
ここでしっかり
一つ一つ
自分の気持ちを口に出すことが
自分との信頼関係を結ぶ為に
必要だと思った。


私、
個の価値観で
誰かと何かを議論したり
言い争う、
みたいなことがすごく苦手で。

ブログだったり
大事な人達との間でしか
「自分はこう思う」ってのを
出さないし、
「言葉の定義が違う」
と思うと尚更、
家族だろうが何だろうが
心の内をわざわざ
口に出すことはあまりなくて。

“そう”思わない相手と
自分の思いを主張し合うなんて
時間の無駄に思えるというか。
そんな暇があるなら
自分事に注力してたいし、
1mmもそこに
労力を使いたくないんだけど。
 
だから
そんな自分が
離婚調停をするってのは、
言わば愚行の極みのように思えて

本当に避けて通りたい
選択だったんだけど、
だからこそ、そこで何か
見えてくるんじゃないかとも思い、
未知の世界に踏み込んでみた。


それでも、
弱々しく不安げな愛が、
いつの間にか
プライドとなる程に
しっかりと私に根を張っていて、

誰かにとっての
正しさを前にしても
屈しない、
動じることない
私になれていたことに
自分でも驚いたし、
一段深いところにいる自分も
そんな私を喜んでいるのがわかった。


で、いざ調停は。
もう、
なんか苦行でしかなく。

それが数ヶ月も
繰り返されることにまた
やるせなさと虚しさで
どうしようもなく疲弊した。


長くなったから続く。

大きな虹に感動。





引っ越し家具探し♡


またね♩




私がいつも
間違ってると思ってた。

私は幼稚で
浅はかで、
分かってなくて、
不充分で、

バカで、
劣っていて、
恥ずかしく、
後ろめたい存在。


故に
何かある度
自分のことを、

甘いんじゃないか。
逃げてるだけなんじゃないか。

私がおかしいから。
私が悪いから。
私がこんなせいでこうなってる。

だからだめなんだ。
だから甘いんだよ。


黒色を「黒だ」と
即座に判断するように、
ためらいなく
そんなふうに自分を定義し、


毎日毎秒、
息をするように
自分を貶めてきた。


と言っても、
それについてわざわざ
悩むとかではなく、


面白おかしく自分を下げて
笑い話にして、
皆に笑ってもらって
満足する。みたいな、

そうやって
自分をふざけてみせるのは、
「最初怖そうだと思ってた」とか、
「取っ付きにくそう」とか
言われた過去から
自ずと私なりに編み出した
コミュニケーションの
一環でもあるというか。

警戒を解いて
居心地よくいてもらいたい、
笑ってもらいたい、
安心してもらいたいっていう
自分なりのもてなし方
だったりもするわけで、


ただ染み付いた
“とりあえずの私”を表現する
手立てというか。

だから
言っても話のネタに
使ってるだけで、
そこまで本気で
自分を蔑んでいる
つもりはなかった。


し、面白ければALL OKって感じで
なんでもかんでも差し出してた。


なんだけど、
「この人ほんと何も出来ないんだ」
って本気で引かれたら
自分がそう思っている分
刺さって立ち直れないから、


わざわざ自分から晒すことで
せめて面白がってもらえるように
予防線を張っていた。のもある。


で、そうやって
人を不愉快にさせまいと
気を回してきた分だけ、
一人でいる時は
不機嫌でいることが
自分の中の標準だった。

いつもどこか苛立っていて、
その時々で姿を変えた
自分を投影する何かを
許せずにいた。


なんていうか、
ふとした時に
漠然と思ってたの。

自分を甘やかして、
核はそこではないのに
自分都合で解釈して
ねじ曲げて、
ヘラヘラフラフラしてるうちに

自分や
自分から見える物事の
本質や意味?
そういった何かを掴めないまま、
何か大事なものを忘れたまま、

上辺だけひらひらして
薄っぺらく
人生終わるのかな、とかいう
何の根拠もない
自責の念にかられたり、

私が私を知らないまま
タイムリミットがくるのが怖い、
という
えも言われぬ焦燥感があったり。

自分を形作ってきた側面を
「そういう事だったのか!!」と
捉えたような気になっても
実際は何にも分かってなくて、


検討違いな所で
「これが私の本音かー」
とのたまってる気がして、
自分への不信感が拭えなかった。

ほんとバカだな。
ほんと中途半端な奴だな。と。


愛とか
真実の何かというのは、
そして
“自分を大事にする”
などという言葉の真髄は、

私の感性で捉えている
それとは違い、
そのもっと外にあり、


なんていうか、
もっとちゃんとしていて、
もっと手応えがあって、

絶対的な安心を得られて、
もう二度と分離しない
永久不変のものなんじゃないの?
みたいな、
やたら崇高なものとして
まつり上げてる所があって、

故に私には関係ないもの、
あたらないものだとも思ってた。


だって私は
ずっと何かを
大きく履き違えてる。

だけどそれが
何なのか分からない。

そんな事すら分かれない。


自分の内側が
釈然としない腹立たしさを
抱えているのと相反して
現実は、

表面的には何の問題もなく
整っているようにも
見えはするし、
人からは幸せだねと言われ、
時に羨ましがられ、

それなのに
どうして私はこうも
その幸せとやらを
享受することができないのか。


確かに
幸せじゃないわけではない。

だけど幸せじゃない。

そう感じてしまう自分に
ことごとくダメ出しをしてた。


そんなこんながあったりして
昨年、大好きなマリアさん
会いに行った。

ギュってされて鼻の下が伸びる





色々話を聞いてもらって、
マリアさんが言ってくれたこと。

「自分を甘やかしてるとか、
都合の良いように物事を変えてるとは
登和からは感じない。」

「むしろ自分の選択に
自分がOKを出すこと。
それが全てかなって思う。」
▶︎♡♡♡


マリアさんとの関わりの中で
ずっと居座ってた
苛立ちの正体が見えたの。

積年の恨みを抱えてたんだ。
自分に。


尊厳のある
本来の姿の私が、

自分をバカにして、
沸き出たものを押し込めて、
ピエロみたいに戯ける自分に
心底腹を立ててた。


物分かりのいいフリして、
私から見た誰かが“そう”なのは、
私が“こう”だからで、
相手は何も悪くなく、
なんでもかんでも
顧みるべきは私だと抜かし、

あろうことか
”そう”感じるのは
私がおかしいからだと言いやがる。



まだ分かんないの?
どこに標準合わせて生きてんの?

私を信頼せずに、
私を軽視して、
じゃああんたは誰なんだよ。

私は間違ってない。

私の感じたことを、
よぎったことを
無いことにするなんてあり得ない。


「私は間違ってない。」

この言葉を、
何年も何年も何年も
ずっとずっとずっと
自分に言ってあげることが出来ずに、

この言葉を使う権利は
私にあるわけがないと
打ち消してた。


マリアさんに会いに行って、


「あんたなんかいらない」と
二度と出てこないように封印して
捨ててきた自分と再会して、


「やっぱりまだここにいたんだ」
って渋々連れて帰ってきて、

横目で見てたらその子、
相変わらず無邪気で無防備で、
憎たらしいほど清々しくて、

「そんなんじゃだめだと思う」
「もっとちゃんとした子が良かった」
って文句が出そうになるのを
グッと堪えて、

長年のサビや埃を落として、
自分の中に戻して、
ぶっきらぼうにお布団と
温かい飲み物でも出すような気持ちで、
静かに黙って隣にいてみた。

時間をかけて、
その子の言うことを
一つ一つ咀嚼しながら聞いてた。


そうしていたら
色々と諦めがついたの。

私はそんなあんたと
生きるしかないんだわって。

私が手を取り合って
生きてかなきゃいけないのは
この子だ。

手間をかけて
あげなきゃいけないのは、
他の誰でもなく
この子だった。


“私は欠けてる”って感覚は、
自分が自覚できてない自分がいるから
起きるんだね。


そして少しずつ
誰かや何かに対して
強がりではなく、
私は間違ってない、
あなたも正しいけれど
私も正しいんだと
曇りなく言えるようになった。

「間違ってる」と思ってた
自分の正しさを
もう、証明しようとしなくて
いいんだって
力が抜けたというか。


って。
すごく意味不明
なんじゃないかな、この文。
ブログ書くの久しぶりすぎて
乱文が伝わるんだろうか( ꒪⌓꒪)

長くなったから
色々すっ飛ばすけど、
そんなこんなもあって

私、離婚します。


数年かけて考えてきた。

子ども達に
悲しい思いをさせること。

どうしてもそれが嫌で嫌で
悔しくて
情けなくて
悲しくて、
死ぬほど泣いた。

周りからも散々反対された。



だけど、
これは私の人生。

腹の底から
自分の人生に納得していたい。


そんな感じで今、
激動の日々だけど
頑張ってます╰(*´︶`*)╯


また書くね。




なんだろう。


子育てして、

家のことして、

気の合う仲間と遊んで

飲んで 

仕事して。



これまでに選択してきたことは

全て自分の意志で選び取って


好きなことしてきた

つもりだったし、

恵まれてるし、 

 

大抵思い通りになって、

大概はなんでもあって、


幸せじゃない理由なんて

ないはずなのに。



なのに

たまにふと訪れる

何とも言えない虚無感というか、


うすーいけど確実にある

虚しさとか寂しさ、


焦りや

諦めみたいなもの、


そして

理由が何なのかもわからない

急き立てられるような苛立ち、


しつこく静かに

くすぶっている腹立たしさ。



理由がないわけじゃない。


けど、その理由のどれもが

“そうなんだけど、それじゃない”

やつで。



そういった感情って

蜃気楼みたいな虚像だったり


口にする程でもない

薄さなんだけど、


それが恐ろしく深く

渦巻く日もあって。

 


口にする程でもない

というより、

言葉にして表現しちゃうと

自分のなかにそれが

「ある」ことを

認めざるを得なくなるのが

不快で不都合というか。



確実に「ある」ことは

十二分に感じてるんだけど、


変わらず日常は

やる事だらけで過ぎてくわけで、

いちいち憂いていられるほど

暇でもなく、


自分の本音みたいなものも

いつの間にか

かき消されていったりして。



そういう雑さが

自分に対して不誠実な気がして

モヤモヤしてみたり、


好きなことしてても、

人生を愛しく思ってても、


定期的に浮上してくる

この、ぼんやりとした

虚しさみたいなもの、

どう捉えていけばいいんだろう。

みたいなことを、

しばらく静かに考えてたの。


この正体は

何なんだろうって。



そうは言っても、

そういったものを全て

綺麗に排除しようと抗うのは、

白黒はっきりさせたがる

幼稚さゆえの

発想なのかな、とも思った。



日々の生活に完全に満足して、

常に過不足なく

自分の望むものが与えられて、

大事な人を大事にできて。


そんな状態が続かないのも

人生の喜びであり、


人が人として

生きることであり、


そういった

誰に知らせることもなく彷徨う

名前のつかない感情や、

ほろ苦さなんかを

享受することが自分を深め、


未熟で不完全な自分を

慈しむことが出来るようになる。

とも思う。



わざわざ手に取って

あちこち覗き込んで

どうにかしようとするものではなく、

そういうもの。

というか。


常に移ろいゆく

ものでもあるし。



なんだけど、

大前提

私自身がそんなことを

こねこねと考えてしまうほど

暇だから、

幸せだから、


いいかげん

その奥にある

怖くて目も合わせられなかった

ラスボス的な何かに、

降伏する覚悟が整ったんだと思う。


有難いことに。


悩みごとって

ほんと贅沢。




なんていうか、

いつまでもそこに

留まろうとする自分を、

自分との戦いを

本気で終わらせたくなったの。


どう生きていきたいかを

問うたときに、

色んなことを経て

辿り着いた、

この自分ではなかった。


もちろん

ここまで連れてきてくれたことに

感謝しかないんだけど。



で、

自分との終戦を誓い、

選んだ終焉の地は←


好きすぎて

鼻血が出るくらい

大好きな人のとこ。(怖


それが今年

初めころの話。(遅


結果、

一回死んできました。



お久しぶりです。

宮長登和です。

二人も元気♡


ゴルフ楽しい♩
癒し♡



例えるなら

意気揚々と飛んでいた蚊が

衝撃的事実に

バチンと叩き潰されて

かろうじて生きながらえたものの、

まさに虫の息というか。


歩き方も

使う言葉も分からなくなり、

ココはドコ

ワタシはダレ

今までの私は何だったの状態。


ほんと

嘘、大げさ、

紛らわしい奴っていったら私 ( - ຶ)

意味不明でごめん。



人との付き合い、

性格、

変えてきたこと、

生き方、

私だと思っていたもの、


その時々で

選択してきた一つ一つ。


その全てがほぼ

自分の中の「恐れ」から

構築してきたものだったと

思い知らされて愕然とし、


自分の中で

色んなものが

粉々に砕けた。



今まで、

“こうなれば幸せ”だという

世間や誰かの概念を

そのまま受け取り、

疑問に思うことなく、

自分の頭で

深く考え直すこともなく、


これが幸せだと信じ込んで、

それが本心だと刷り込んで、


ほどよく幸せで、

ほどよく不幸せでいられるように


絶妙な満足感と

物足りなさを取り入れながら


自分の核心には

触れないようにやってきて、


“や、でもこれは違うな”と

軌道修正に入ってから

一つ一つ

当たり前を疑って、


正誤抜きにした

私だけに適応する喜び、

生き方、

自分の機嫌の取り方を

見直してきた。


つもりだった。


うん。

つもりなだけで、

ベースにはまだ

これまでと何ら変わらず、

しっかりべっとりと

「恐れ」というシールドが

張り巡らされていたんだよね。


情けなくて笑えた。



そして、そもそも

人が当たり前に言い伝える

その幸せとやらが、

私にとっては

心動かされるものではなく、

自分を満たすものでもなかった。


のに、

そうは言っても最終
“それが幸せ”なんだと
言い聞かせて
自分を諭してた。


すんごく打ちのめされたの。


積み上げてきた

色んなものを無くした。


で、今すごく。 


なんて言うか。


生きてる。

綺麗でびっくりした空


変だけどね、

生きてるって感じがする。


自分の人生が、

自分の手に

戻ってきたというか。


ひりひりして

痛いんだけどね。



やっと始まったんだと思う。

私の人生。


ほんとに。

その、大好きな人のことや

何がどうでこうなのか、

また何回かに分けて書くね( ̄^ ̄)ゞ


なんせほら、

一回死んで、生まれたてだから。←

何もかもが、手探り状態。


よちよち歩きで頑張ってる。^ ^

今日は自分の為に書く。

いつも自分の為だけど、
なんというか、
見ないふりしてきた自分の為に。



この前書いた記事、
沢山の人にシェアしてもらって、

初めてこのブログを
知ってくれた人達からも
たくさんメッセージをもらった。

そのほとんどが、
こんな私への「ありがとう」で、
照れ臭かったけど
凄く嬉しかった。

こちらこそ
ありがとう。


その中でやっぱり、
やっぱりと言う時点で
あれなんだけど、

一瞬どう答えていいか
わからなくなるような、
生ぬるい、
いわゆる嫉妬を投げてくる人も
一定数いて、

そんな時私は
ものすごく
やるせなくなったり、
イラッとして
心の中でその人を
馬鹿にしたりする。

一気に萎えて、
シャッターを降ろす。

あんたに嫉妬なんか
される筋合いないわ。
ってなる。


これ、
今回だけじゃなく
大人になってからの
私のパターンで。

挨拶する程度の知人や、
仕事仲間や、
私のこと好きって言ってくれたり
気兼ねなく話す仲になっても、

いつも大概
ヘラヘラしてる私に
度々投げられる言葉。

「いいよね登和ちゃんは。」
「羨ましい。」

可愛がられていいよね。
愛されてていいよね。

恵まれてるよね。

悩みなんてないでしょ?
苦労したことないでしょう?

私の気持ちなんて
わからないでしょう?

そんな事で悩むなんて贅沢だよ。

ずるい。
嫉妬しちゃう。
“私なんてさー。”


ご丁寧に乱暴に
劣等感を擦りつけてくる、
そんな人が嫌い。

ヘドが出るほど嫌い。

前に
おブスは嫌いって書いたけど、
何でそんなあんたが嫌いか、
正直に認める。


私がほしくてほしくて
たまらないものを、
あんたは
当たり前に持っていて、

当たり前すぎるから
当然のように
それを見過ごして、

ない、ないって探し回ってる
そのまるで純粋無垢なところが

劣等感の塊の私を
悪気もなく
刺激してくるからだよ。

「変わりたい」とか言うくせに
グズグズグズグズして、
一向に変わることなく
同じ場所に居座り続けられるのは、

そんな自分でも愛されていることを
本当は腹の底の底で
わかってるからでしょ?

これは私の決めつけで、
被害妄想で
押し付けで、
本当に変わりたくても
変われないのは、

そうやって言ってくるあんたは、
お察しの通り一寸違わず
そっくりそのまま私なんだけど。


(初めて読んでくれる人もいるから
 改めて書くけど)
私は母から虐待を受けて、
継母から虐待を受けて、

(受けてって言い方嫌いなんだけど、
書きようがないからそう書くね。

母とは5歳?6歳くらいから
会ってなかったんだけど、
私が23くらいの時に
数十年ぶりにやっと会えたの。

小さい頃は
あんなに大きく感じていた母が、

私の生死を左右する
絶対的存在だった母が、

ヒステリックで
泣いてばかりいて、
不安定で、
脆く儚い人だと思っていたのに

大人になって会ってみたら
私より小さくて
とても華奢で、

穏やかな
優しい表情をして、
私のことを抱き寄せて
私の肩で泣いて

「美人さんになったね」
って言ってくれた。

私の記憶の中では初めて
母に褒めてもらえたことが
嬉しくて嬉しくて、

それから数ヶ月に一回
会うときは必ず、
好きな人との初デートより
ドキドキして、
「何着てこうかな」って
ウキウキして、

前の日は緊張して
あまり寝れなくて、
会う何時間も前から
化粧してみたり、
髪を巻いてみたり、
時計を何度も確認して、

結局10回も会えずに
母は死んでしまったけど、
最後まで
素の私を見せることは出来なかった。

汚い自分を隠したくて、
母の前でスッピンになる事すら
絶対に嫌だった。

あくびだって押し殺した。

可愛い私でいたかった。

どうしても
どうしても、
可愛がられたかった。


思えば
小さい時からずっと
いい子ぶってたの。

“お母さん、
私お母さん大変なの知ってるよ。”って。

ちゃんとお母さんのこと
わかってるよ。

自分のことは
ちゃんと自分でするし、
留守番もできるし
寂しくないし、
言われたことも守れるよ!

だからその、
大変なことが終わったら、
少しでいいから
こっちも見てね。って。

私は後回しでいい。
贅沢言わない。
こんなくらい我慢できる。

別に大したことじゃない。


だけど頑張ってるけど、
頑張って頑張ってるけど、
お母さんは私を
好きになってはくれない。
笑ってはくれない。

息をしているだけで叩かれる。

私はいるだけで
お母さんを不幸にしてる。


継母は
私を叩いて叩いて叩いたあと、
「あんたさえいなければ」って
私を睨みながら、
恨めしそうに涙を流していた。

それを呆然と見つめて
どうすればいいのかわからずに、
ただただ真っ暗闇に
突き落とされていくような、
心に温度がなくなっていく
虚しさを感じていた。


変わりたかった。

どうしても
変わらなければいけなかった。


このままでは
誰にも愛されない。

生きていくために
変わらなければ、
死んでしまうと思った。


だからどうすれば
普通にいられるのか、
普通に接してもらえるのか、

ただ普通に起きて、
普通の生活をして、
普通に眠れるために

その時々で
誰の顔色を伺えばいいのか、

その人の足音、
その人がグラスを置く
音の強弱で機嫌を伺い、

わずかなため息で
体がこわばる。

そうやって
自分を殺してきた私に、
自分じゃない自分を
作り込んできた私に、

無垢な少女
みたいな顔して
「いいなぁ登和ちゃんは。」という。

「どうせ私こんなだから」と。

あげく
「私は平凡だから
ブログをしても
何を書けばいいのかわからない。」
「だから羨ましい」と言う。

悪気なんて
さらさらないのがわかる。

だからこそ、
その面の皮の厚さが
恨めしくなる。

私はよっぽど
そんなあんたが羨ましい。

小さい頃は
私だって駄々をこねて、
何度も名前を呼んでもらって、

甘えながら
「できない」
「わかんない」
「お母さんやってー」って
私だけのために
手を焼いてもらって、
一番に助けてほしくて、

どうしようもない私でも、
それでもここにいていいんだって
母の笑顔に許されたかった。


お前に何がわかる。と思う。

思ってしまう。


だけど私も知ってる。

私を殴る母の手に、
好き勝手ばかりしていた
父の背中に、
どうやったって
拭いきれないなにか、
私に向けて
愛しいものが
ある事を感じていたから、

人から見れば
鬼畜と言われるようなことを
私と姉にし続けた
継母の目の奥に、
声にならない孤独や
哀しさや
“助けて”があることを
知ってしまったから、

そんなものなければ、
ただ怖くて、
ただ痛くて、
ただ冷たい人なら
愛なんて知らずに済んだのに、

どこまでいっても
どこまでいっても、
私は自分を諦められない。

だから
自分を好きになりたくて、
自分をちゃんと諦めたくて、

頑張って
頑張って、
空回りしたり
焦って派手に転んだり、
もうやめたと思っても
結局また頑張って、

頑張ってきて
このザマなんだよ。

たかがこんな自分でしかない。

何にも変わってないように思える。


支離滅裂で、
気にしてないようで
気にしてて、

考えてるようで
考えてなくて、

ころころ変わって、
全然変わらなくて、

人のこと見下して、
弱っちょろくて、

つまらなくて
どうしようもなくて、

イライラして
八つ当たりするしか
できない自分。

自分のこと
好きになりたいのは、
自分のこと
好きだからでしかないんだけど、

平気なふりして、
いい子なふりして、
大丈夫なふりして、
そんな自分が大嫌いだ。


だけどこんな、
小さい小さい
ミジンコみたいな奴のことを
好きだって言ってくれる人がいた。

ブログを通して、
会ったこともないのに
応援してくれる人がいた。

ずっと見ていてくれる人がいる。
「ありがとう」なんて言ってくれる人、
ただ側にいてくれる人。

大丈夫、
絶対に大丈夫だと言ってくれる人。

そしてそうやって
捨ててきた
見たくもない自分のかけらを、
それでも
“愛してあげてね”って
返しにきてくれる人がいる。


なんなんだろう。
言葉にできないけど。

私、
人が嫌いで、
だけどやっぱり好きなんだな。

何が言いたいかわからんけど。

いつも、
なんかごめん。

こんなんでごめん。

ありがとう。

昨日からたくさん泣いてたけど、
仕事行って元気もらってくる^ ^




またね。