宮長登和のおもうこと
麻白ゆかり1stシングル 
【贈るうた~可愛いあなたへ~】作詞担当

なんだろう。


子育てして、

家のことして、

気の合う仲間と遊んで

飲んで 

仕事して。



これまでに選択してきたことは

全て自分の意志で選び取って


好きなことしてきた

つもりだったし、

恵まれてるし、 

 

大抵思い通りになって、

大概はなんでもあって、


幸せじゃない理由なんて

ないはずなのに。



なのに

たまにふと訪れる

何とも言えない虚無感というか、


うすーいけど確実にある

虚しさとか寂しさ、


焦りや

諦めみたいなもの、


そして

理由が何なのかもわからない

急き立てられるような苛立ち、


しつこく静かに

くすぶっている腹立たしさ。



理由がないわけじゃない。


けど、その理由のどれもが

“そうなんだけど、それじゃない”

やつで。



そういった感情って

蜃気楼みたいな虚像だったり


口にする程でもない

薄さなんだけど、


それが恐ろしく深く

渦巻く日もあって。

 


口にする程でもない

というより、

言葉にして表現しちゃうと

自分のなかにそれが

「ある」ことを

認めざるを得なくなるのが

不快で不都合というか。



確実に「ある」ことは

十二分に感じてるんだけど、


変わらず日常は

やる事だらけで過ぎてくわけで、

いちいち憂いていられるほど

暇でもなく、


自分の本音みたいなものも

いつの間にか

かき消されていったりして。



そういう雑さが

自分に対して不誠実な気がして

モヤモヤしてみたり、


好きなことしてても、

人生を愛しく思ってても、


定期的に浮上してくる

この、ぼんやりとした

虚しさみたいなもの、


どう捉えていけばいいんだろう。

みたいなことを、

しばらく静かに考えてたの。


この正体は

何なんだろうって。



そうは言っても、

そういったものを全て

綺麗に排除しようと抗うのは、


白黒はっきりさせたがる

幼稚さゆえの

発想なのかな、とも思ったんだ。



日々の生活に完全に満足して、

常に過不足なく

自分の望むものが与えられて、

大事な人を大事にできて。


そんな状態が続かないのが

人生の喜びであり、


人が人として

生きることであり、


そういった

誰に知らせることもなく彷徨う

名前のつかない感情や


ほろ苦さなんかを

享受することが自分を深め


未熟で不完全な自分を

慈しむことが出来るようになる。

とも思う。



わざわざ手に取って

あちこち覗き込んで

どうにかしようとするものではなく、

そういうもの。

というか。


常に移ろいゆく

ものでもあるし。



なんだけど、

大前提

私自身がそんなことを

こねこねと考えてしまうほど

暇だから、

もとい

幸せだから、


いいかげん

その奥にある

怖くて目も合わせられなかった

ラスボス的な何かに、

降伏する覚悟が整ったんだと思う。


有難いことに。


悩みごとって

ほんと贅沢。(悦




なんていうか、

いつまでもそこに

留まろうとする自分を、


自分との戦いを

本気で終わらせたくなったの。



どう生きていきたいかを

問うたときに、

色んなことを経て

辿り着いた、

この自分ではなかった。


もちろん

ここまで連れてきてくれたことに

感謝しかないけど。



で、

自分との終戦を誓い、

選んだ終焉の地は←


好きすぎて震えるくらい

大好きな人のとこ。(怖


それが今年

初めころの話。(遅



結果、

一回死んできました。



お久しぶりです。

宮長登和です。

二人も元気♡
最近やっとゴルフが楽しい♩
癒し♡




例えるなら

意気揚々と飛んでいた蚊が

衝撃的事実に

バチンと叩き潰されて

かろうじて生きながらえたものの、

まさに虫の息というか。


歩き方も

使う言葉も分からなくなり、

ココはドコ

ワタシはダレ

今までの私は何だったの状態。


ほんと

嘘、大げさ、

紛らわしい女っていったら私 ( - ຶ)

意味不明でごめん。



人との付き合い、

性格、

変えてきたこと、

生き方、

私だと思っていたもの、


その時々で

選択してきた一つ一つ。


その全てがほぼ

自分の中の「恐れ」から

構築してきたものだったと

思い知らされて愕然とし、


自分の中で

色んなものが

粉々に砕けた。



今まで、

“こうなれば幸せ”だという

世間や誰かの概念を

そのまま受け取り、

疑問に思うことなく、

自分の頭で

深く考え直すこともなく、


これが幸せだと信じ込んで、

それが本心だと刷り込んで、


ほどよく幸せで、

ほどよく不幸せでいられるように


絶妙な満足感と

物足りなさを取り入れながら


自分の核心には

触れないようにやってきて、



“や、でもこれは違うな”と

軌道修正に入ってから


一つ一つ

当たり前を疑って、


正誤抜きにした

私だけに適応する喜び、

生き方、

自分の機嫌の取り方を

見直してきた。


つもりだった。



うん。

つもりなだけで、

ベースにはまだ

これまでと何も変わらず


しっかりべっとりと

「恐れ」というシールドが

張り巡らされていたんだよね。


情けなくて笑えた。



そして、そもそも

人が当たり前に言い伝える

その幸せとやらが


私にとっては

心動かされるものではなく、

自分を満たすものでもなかった。

のに、

そうは言っても最終
“それが幸せ”なんだと
言い聞かせて
自分を諭してた。



すんごく打ちのめされたの。


積み上げてきた

色んなものを無くした。



で、今すごく。 


なんて言うか。



生きてる。


変だけどね、

生きてるって感じがする。



自分の人生が、

自分の手に

戻ってきたというか。


ひりひりして

痛いんだけどね。



やっと始まったんだと思う。

私の人生。


ほんとに。



その大好きな人のことや

何がどうでこうなのか、

また何回かに分けて書くね( ̄^ ̄)ゞ


なんせほら、

一回死んで、生まれたてだから←


何もかもが、手探り状態。


よちよち歩きで頑張ってる。^ ^

今日は自分の為に書く。

いつも自分の為だけど、
なんというか、
見ないふりしてきた自分の為に。



この前書いた記事、
沢山の人にシェアしてもらって、

初めてこのブログを
知ってくれた人達からも
たくさんメッセージをもらった。


そのほとんどが、
こんな私への「ありがとう」で、

照れ臭かったけど
凄く嬉しかった。

こちらこそ
ありがとう。



その中でやっぱり、

やっぱりと言う時点で
あれなんだけど


一瞬どう答えていいか
わからなくなるような、

生ぬるく肌寒い、
いわゆる嫉妬を投げてくる人も
一定数いて、

そんな時私は
ものすごく
やるせなくなったり、

イラッとして
心の中でその人を
馬鹿にしたりする。


一気に萎えて、
シャッターを降ろす。

あんたに嫉妬なんか
される筋合いないわ。
ってなる。


これ、
今回だけじゃなく
大人になってからの
私のパターンで。


挨拶する程度の知人や、
素性を話すことがない
お店のお客さんや女の子や、

私のこと好きって言ってくれたり
気兼ねなく話す仲になっても

いつもたいがい
ヘラヘラしてる私に

ちょくちょく投げられる言葉。


「いいよね登和ちゃんは。」
「羨ましい。」

可愛がられていいよね。
頼られていいよね。

恵まれてるよね。

悩みなんてないでしょう?
苦労したことなさそうだもん。

私の気持ちなんて
わからないでしょう?

そんな事で悩むなんて贅沢だよ。

ずるい。
嫉妬しちゃう。

“私なんてさー。”



ご丁寧に乱暴に
劣等感を擦りつけてくる、
そんな人が嫌い。

ヘドが出るほど嫌い。


前に
ブスは嫌いって書いたけど、

何でそんなあんたが嫌いか、
正直に認める。



私がほしくてほしくて
たまらないものを

あんたは
当たり前に持っていて、

当たり前すぎるから
当然のように
それを見過ごして、

ない、ないって探し回ってる
そのまるで純粋無垢なところが

劣等感の塊の私を
悪気もなく
刺激してくるからだよ。



「変わりたい」とか言うくせに
グズグズグズグズして

一向に変わることなく
同じ場所に居座り続けられるのは、

そんな自分でも愛されていることを
本当は腹の底の底で
わかってるからでしょう。


これは私の決めつけで、
被害妄想で
押し付けで、

本当に変わりたくても
変われないのは、

そうやって言ってくるあんたは、

お察しの通り一寸違わず
そっくりそのまま私なんだけど。



(初めて読んでくれる人もいるから
 改めて書くけど)

私は母から虐待を受けて、
継母から虐待を受けて、

(受けてって言い方嫌いなんだけど、
書きようがないからそう書くね。


母とは5歳?6歳くらいから
会ってなかったんだけど

私が23くらいの時に
数十年ぶりにやっと会えたの。


小さい頃は
あんなに大きく感じていた母が、

私の生死を左右する
絶対的存在だった母が、

ヒステリックで
泣いてばかりいて
不安定で、
脆く儚い人だと思っていたのに

大人になって会ってみたら
私より小さくて
とても華奢で、

穏やかな
優しい表情をして

私のことを抱き寄せて
私の肩で泣いて

「美人さんになったね」
って言ってくれた。


私の記憶の中では初めて
母に褒めてもらえたことが
嬉しくて嬉しくて、

それから数ヶ月に一回
会うときは必ず

好きな人との初デートより
気合いが入って

「何着てこうかな」って
ドキドキして、

前の日は緊張して
あまり寝れなくて、

会う何時間も前から
化粧してみたり、
髪を巻いてみたり、

結局10回も会えずに
母は死んでしまったけど、

最後まで
素の私を見せることは出来なかった。


汚い自分を隠したくて、
母の前でスッピンになる事すら
絶対に嫌だった。

あくびだって押し殺した。


可愛い私でいたかった。


どうしても
どうしても、
可愛がられたかった。



思えば
小さい時からずっと
いい子ぶってたの。

“お母さん、
私お母さん大変なの知ってるよ。”って。


ちゃんとお母さんのこと
わかってるよ。

自分のことは
ちゃんと自分でするし、
留守番もできるし
寂しくないし、
言われたことも守れるよ!

だからその、
大変なことが終わったら

少しでいいから
こっちも見てね。って。


私は後回しでいい。
贅沢言わない。
こんなくらい我慢できる。

別に大したことじゃない。


だけど頑張ってるけど、
頑張って頑張ってるけど、

お母さんは私を
好きになってはくれない。
笑ってはくれない。

息をしているだけで叩かれる。

私はいるだけで
お母さんを不幸にしてる。


継母は
私を叩いて叩いて叩いたあと、

「あんたさえいなければ」って
恨めしそうに私を睨みながら
涙を流していた。

それを呆然と見つめて
どうすればいいのかわからずに、

ただただ真っ暗闇に
突き落とされていくような

心に温度がなくなっていく
虚しさを感じていた。



変わりたかった。

どうしても
変わらなければいけなかった。


このままでは
誰にも愛されない。

生きていくために
変わらなければ、
死ぬしかないと思った。


だからどうすれば
普通にいられるのか、

普通に接してもらえるのか、

ただ普通に起きて、
普通の生活をして、
普通に眠れるために

その時々で
誰の顔色を伺えばいいのか、

その人の足音、
その人がグラスを置く
音の強弱で機嫌を伺い、

わずかなため息で
体がこわばる。



そうやって
自分を殺してきた私に、

自分じゃない自分を
作り込んできた私に、

無垢な少女
みたいな顔して

「いいなぁ登和ちゃんは。」という。

「どうせ私こんなだから」と。


あげく
「私は平凡だから
ブログをしても
何を書けばいいのかわからない。」

「だから羨ましい」と言う。


悪気なんて
さらさらないのがわかる。

だからこそ、
その面の皮の厚さが
恨めしくなる。


私はよっぽど
そんなあんたが羨ましい。



小さい頃は、
私だって
駄々をこねて

服を着替えさせてもらって、
名前を呼んでもらって、

自分では何もせずに、
「できない」
「わかんない」
「お母さんやってー」って

私だけのために
手を焼いてもらって、

一番に助けてほしくて、

「どうしようもない子だねぇ。
だけどそんなあんたが一番可愛いよ。」

って、
そんな風に言われたかった。



お前に何がわかる。と思う。

思ってしまう。



だけど私も知ってる。


私を殴る母の手に、

好き勝手ばかりしていた
父の背中に、

どうやったって
拭いきれないなにか、
私に向けて
愛しいものが
ある事を感じていたから、


人から見れば
鬼畜と言われるようなことを
私と姉にし続けた
継母の目の奥に、

声にならない孤独や
哀しさや
“助けて”があることを
知ってしまったから、


そんなものなけりゃ、

ただ怖くて、
ただ痛くて、
ただ冷たい人なら、

愛なんて知らずに済んだのに、

どこまでいっても
どこまでいっても、

私は自分を諦められない。


だから
自分を好きになりたくて、
自分をちゃんと諦めたくて、

頑張って
頑張って、

頑張らないことも
頑張って、


頑張ってきて

このザマなんだよ。



たかがこんな自分でしかない。

何にも変わってないように思える。



支離滅裂で、

気にしてないようで
気にしてて、

考えてるようで
考えてなくて、

ころころ変わって、
全然変わらなくて、

人のこと見下して、
弱っちょろくて、

つまらなくて
どうしようもなくて、

イライラして
八つ当たりするしか
できない自分。


自分のこと
好きになりたいのは、
自分のこと
好きで好きでたまらないから
なんだけど、

平気なふりして、
いい子なふりして、

大丈夫なふりして、

そんな自分が大嫌いだ。



だけどこんな、
ミジンコみたいな私のことを
好きだって言ってくれる人がいた。

ブログを通して、
会ったこともないのに
応援してくれる人がいた。

ずっと見ていてくれる人がいる。

「ありがとう」なんて言ってくれる人、

ただ側にいてくれる人。

大丈夫、
絶対に大丈夫だと言ってくれる人。


そしてそうやって、
捨ててきた
見たくもない自分のかけらを

それでも
“愛してあげてね”って
返しにきてくれる人がいる。



なんなんだろう。

言葉にできないけど。


私、
人が嫌いで、
だけど大好きだ。


何が言いたいかわからんけど。


いつも、
なんかごめん。

こんなんでごめん。


ありがとう。



昨日からめっちゃ泣いてたけど、
仕事行って元気もらってくる^ ^




またね。



これね、
「虐待」ってキーワードには
どうしても反応する自分がいて、

まぁそりゃ
そうなんだろうけど、


このモヤモヤとした正体が
まだ何なのか
分からない部分もあって、

自分のこと
見てあげれてないなー、

取りこぼしてるとこが
沢山あるんやなと思うんだよね。

ごめん自分。





去年Facebookで
書いてたんやけど。




思うんだけど、
こういうニュースが
流れてくる時だけ

虐待を批判する人が
どこからともなく
湧いて出てくるけど、


さほど興味が
ないことに対して、

自分の視界に
それが入り込んできた時だけ

なんか考えてるふりすんの
やめない?



普段から
それに関心もって
何かしらの行動をしていたり

言ってることと
やってること一致させて

児童相談所や施設で
懸命に働いてくれてる人に対して

「ちゃんと考えてほしいですね」とか
「しっかりして頂かないと」
とか言っちゃうコメンテーターとか。


よく恥ずかしげもなく
そんなこと言えるなって
色々通り越して尊敬する。



とりあえず
その気があるなら

自分の足で
現場出向いて

自分の目で
現状見てから言おうよ。
ほんとに。


相手プロだよ?

かたや
ただの通りすがりよ?



気持ちはわかる。

そんな人は今
知りもしない他人にすら
そう言わざるを得ない
状況にいるんだろうし。
(自ら。


他人の不倫なんかで
熱くなれる人も然り。

外野で騒いでるだけの人生が
幸せだと思うなら
それでいいんだけど。




例えば
(ちょっとズレてるけど

自分の子どもが熱出して、

看病して
汗かいた服着替えさせたり

どんな症状なのか
色々思い起こしながら調べたり、

吐いたシーツ替えて、

なんやかんや家で
出来る限りのことして、

「なんか寒い‥」
って震えてる子どもに
モコモコに服着させて

診療時間になったら
出掛けてさ、


道中
「おかあさん喉渇いた、、」
って言われてハッとして、

‘そういえば
あれから水分取ってないな’

って急いでスーパー寄って
ジュースだけ買おうとして、


そしたらいきなり
知らないおばさんが
目の前に現れて、

「何してんの、
子ども真っ赤な顔してるわよ。
きっと熱でもあるんだわ。

そもそも着せすぎなのよ、
可哀想に。暑そうじゃない!

こんな時に買い物なんて
もっとちゃんと子どものこと
考えてあげなさいよ。

この子を守ってあげれるのは
あなたしかいないのよ。

もっと自覚もって
しっかりして頂かないと!

お母さん達がそんなだから
可哀想な子どもが減らないのよ。

ちゃんと考えてね!!」

って言われたら。。



おっけー。
何でもいいけど
とりあえずどいて

ってなるやん。

まず話にもならんよね。



やんややんや言って
ただ誰かを罰したいだけで、

実際
なんも考えてもないし

その背景を
読もうともしてないじゃんね。

それと同じ。




操作された報道だけ見て、

虐待はどーのこーの
親がどーのこーの
批判だけするのは

あっという間に
ヒーローごっこが出来る、

まさにお手軽に
高みの見物ができる娯楽。

 
同じフィクション、
同じ娯楽なら、

ドラマ見て憤ってる方が
よっぽどいいよ。



そんで、
「人間のすることじゃない」とか

「親失格」とか
「理解できない。鬼畜。」とか

「同じ目にあって死んでしまえ」とか。


自分がもし誰かに言われたら
ダメージを受けるであろう言葉を

そうやって
「許せない人」に対して
吐いたりもするわけで、

てことは、
自分に対しても
どこかでそう思ってる節が
あるんじゃないかと思う。


自分で自分が許せないところ。

そんな人だと思われたくなくて
恐れを抱いていること。


「こんな自分は
 親失格なんじゃないか」って
どうしようもない
気持ちになったり、

「誰かに
 そう思われたらどうしよう」
って人の目に怯えていたり。



小さい頃教わった
道徳的なあれでは、

「自分が言われて嫌なことは
人にも言っちゃいけない」
とかあったけど、

そういうのは
散々ぶち撒ければいいと思う。

むしろ
しっかりぶち撒けなきゃ
健全には生きていけないと思う。

だからそれを
溜めずに出すことは
必要不可欠なことで。


ただそれを、
ありもしない正義感に酔いながら
恥ずかしげもなく
垂れ流すんじゃなく、

そう言いたくなる
自分だけの為に、

落ち着いた時に粛々と
紙に書きなぐるとか、

そういう方がスマートだし
よっぽど生産的だとは思う。


ネガティブに感じることも、
別に否定的や消極的に
なってるわけじゃなくて、
混乱してるだけだったりするしね。



どんな出来事も、
人にはそうする事しか
出来なかった何かがあるわけで、

誰がどう感じようが、
それがその人のその時の
最善の選択だったわけで。

したくてしてることではなくても。



そう。
それで、
要は何が言いたかったか
と言うと単純に、



なんも知らんくせに
母ちゃんの悪口言うなー!!
ムキー!!

って
悲しくて怒ってる4歳児。

みたいな感じ。(照←



家族の悪口
言われんの嫌やんかw

自分が言う分にはいいけど ( ຶ- ຶ)←


私の大事な人なのにー!って
重なるんやろな、
自分ごととして。

受け入れてもらえないようで
寂しいんやね。


かといって
「分かる」とか
簡単に言われたくないけどなって

自ら遠ざかっていく、
悪臭漂う拗ねとwww


この、
傷ついた自分を
あたかも神聖なものとして
大事に取っておきたい
気色悪さよ。笑笑

(何がしたいん。




子どもは
どこまでいっても、

嫌いだろうが
憎かろうが

「死んでしまえ!」
って思っていようが、

親のこと愛してるのよね。


そしてまた
そんなお母さんを、
自分を、

助けてあげることが
出来なかった

あの時
わかってあげることが
出来なかった、

自分への怒りが
残ってるんやと思う。


もういいのに。笑


しょーがないやん。
頑張ってきたやん。


どんまい自分。


まあそれもいいよね。
とことんつき合う\(^o^)/



そんな感じ。

どんぐり集めようって誘われて
嫌々集め始めたはいいけど、
始めたら始めたで熱くなりすぎて
子ども達が「もうやめよ」って言っても
「なんでよ、最後までちゃんと集めてよ」
ってムキになる謎。ごめんw
(最後っていつ。ちゃんとってナゼ。
最近お手入れ頑張ってたら
肌が白くなってきた。嬉すい(♡∀♡)


またねーー。


子どもと遊ぶのが苦手とか、

絵本の読み聞かせを
“しようしよう”と思ってるのに
なんっか出来ないだとか、


きっとそれが
苦もなく出来る人達からすれば
 
「できないって何で?」って
不思議でしょうがないんだろうけど、


第一子が生まれて数年、
しばらくそんなことを悩んでた。



悩んでたというか、

そんなことも
ちゃんと
してあげられないことが

なんだか後ろめたくて
申し訳なくて、


“なんでこのくらいのことも
出来ないんだろう”って

チクチクしたものが
心に居座り続けてた。



や、
出来ないわけじゃなくて、

読み聞かせも
遊び相手も

ちょっと頑張ったら
できるの。

全然できる。



だから
やろうと思う時は
やるんだけど、

そのたびに
うっすら無理して、

口に出す程でもない
程度の我慢をして、

余計嫌になっちゃうというか。


ちょっと一緒に遊ぶだけなのに、
一瞬で「あーもう無理」ってなる。


子どもの相手
してるだけの時間が
めちゃくちゃ落ち着かない。


したくもない
遊びに付き合ってる間、
心の中では

「めんどくさい」
「勝手に遊んでてよ」
「早く違うことしたい」

って、
ほんと文句しか出てこないの。笑


「はははは」って
乾いた笑いで

「お母さんも楽しいですよ」
アピールとかして。



最初はそんな自分に
ドン引いてた。


絵本だって
時間にすれば
せいぜい5分くらいなものなのに、

その5分が
なぜかめちゃくちゃ
重くてしんどい。


お母さんなのに、

愛してるのに、

全然出来ない。


「よしやるぞ!」って
気合い入れても続かない。


そうやって逐一、
ダメな自分を
思い知り続けてきた。


自分を責める材料を
せっせと集めて

‘やっぱり私はだめなやつ’だと
確証を得たかったのかもしれない。



お母さんになったら勝手に、
自分が良しとする
お母さんになってくもんだと
思ってたけど、

お母さんになったところで
結局私は私のままで、


自分のペースで物事を運べないと
不快に感じるし、
気が滅入ってくるし、

汚れたりするのが
嫌いな潔癖症で

子どもに汚されることに
いつまで経っても慣れないし、

人に合わせるのが苦手で、
興味のない話は
全然耳に入ってこない。


そういう時点で
子どもに寄り添って
一緒に遊ぼうなんて
無理な話なんだよね。



でも
お母さんになったら、

子どものこと愛してるなら
出来るはずだと思っていたし、

お母さんなんだから

「向いてる」とか
「向いてない」とか

生ぬるいこと言ってないで

当たり前に
やらなきゃいけないもんだろうよ、
くらいに思ってた。


(「向いてないから」
   とかいうのは
   ただの甘えじゃん、くらいに  
   思ってたよね。

嫌なことを
我慢しながら続けてる方が
よっぽど
自分に対する甘え、
というか逃げなんだけど。



愛してるなら
もっとちゃんと頑張って、

少しぐらい
自分の気持ちは横に置いて、

絵本読んだり
一緒に遊んだり、

せめて
つまんない話でも
面倒くさがらずに

ニコニコしながら
聞いてあげるくらい
出来るだろ普通は、とか。


ちゃんと出来ないのに、
だけど愛してるとか、
筋の通らないであろう話を

「だってそうなんだもん」と
フラットに返せるほど

自信もなければ
自尊心もなく。



でも、
だけど本音で言えば、

お母さんであることを
本当は
嫌になるくらい頑張ってた。


頑張ってたんだけど、

「何を」って聞かれたところで
胸を張って言えるようなことは
何一つなく、


勝手にもう一人の自分が

「何言ってんの、
 母親なんだから
そのくらい当たり前じゃん」

って横やりを入れてきて。

その声に対して、
それでも「頑張ってる」
とは言えず。


「こんなもん
頑張ってるうちに
入らないよなぁ」とか、

完璧にできて初めて
「出来てる」と
言っていいと思ってたし、


「それがあんたの精一杯か」
と聞かれたら、

いっぱいいっぱいでは
あるんだけど

精一杯で
頑張れてはいなくて。


ただ、そういう
自分の至らなさが
恥ずかしかったし、
残念だった。



だけど、
けどね、

対 子どもにしても、
対 親、
対 パートナーにしても、

全てにおいて
「愛してるなら出来るはず」
っていう方程式、

考えてみると
謎でしかない。んだよね。


愛してるなら
一緒にいるはず、

愛してるなら
言うこと聞いてくれるはず、

愛してるなら
一番に優先してくれるはず、

愛してるなら
どうして◯◯してくれないの、とか。


強引だし、
短絡的で
思いやりがないし、

相手の愛情に甘んじているだけで、
それこそ愛のない言動。


それを自分自身に対しても
同じように課していた。


愛しているからといって、
負担すべきものなんて
本当は何一つないんだよね。


だから、
愛とそれとを混同せずに、

自分の足で立つ
成熟した人間になりたいと思った。



でね、
全っ然違う話なんだけど、

最近は
自分の未熟さというか
幼稚さ、

自分自身の浅はかさが露呈して
この歳になって
やっとそれにアワアワしていて。(苦笑


結果、
今まで‘これが自分’だと
認識していたものが

ずぇんっずぇん
自分ではなかったというか。

これまでの自分の軽々しさに
腹が立つというか。


意味わからんだろうけど、
まだうまく言語化できなくて。

小田和正か
私かってくらい
言葉にできない。



でも、
ゴーーーンと
頭を殴られたような感じの中
思ったんだけど、

この辺でもう、
ほんとにやめようと思う。
自分と戦うの。


まだしてたみたい。

大切な自分に対して、
大切な人たちに対して、

ファイティングポーズ。


もう。ね、

あほ。



グッと力を入れて
自分を守っていたところが
まだあったんだけど、

もう、自分が思ってるほど
私は弱くないし、
そこちゃんと開いて、

傷ついても大丈夫だよ、って
ちゃんと傷つかせてあげたいし、

残念だなって思うこと、
しっかり残念がらせてあげたいし、

自分を許して、
もっと豊かな人生にしたいと思う。


答えの出ないことは
答えの出ないままに、
曖昧さを持ち合わせたまま、

思い通りにならないことを
繕ったり
先回りしたり
どうにかしようとしないで、


その奥行きや、
感情の揺れ、というか
不安定で説明のつかない所の
豊かさも、
丁寧に味わいたいと思う。


今年は自分との
終戦記念の年にします。



というわけで皆様。

あけまして
おめでとうございます。(遅っっ


だいぶ久しぶりの
ブログになりましたが、

今年もよろしくお願いします♡

元気だよー
発表会

このとき言ってた手術も無事終了


お姉さま達に遊んでもらったり♡

キッザニアも行ったよー。楽しいね!

2日目に備えてモデルの練習

年末は温泉

あ、昨日は素敵なお姉さんのお家に
遊びに行ったり♡(また紹介するね♪


そんな感じで
また書きまーーす\(^o^)/



昨日あげた記事に
次から次と批判コメント来て、

秒で消すうちに
また次の批判コメントがきて、


なんでどこのどなたかも
分からない人に

くどくど
説教されなきゃなんないんだって

いい加減むかついて
衝動的に記事ごと
消しちゃったんだけど。


消さなきゃよかった
って思ってたら

アプリのとこに
下書きでも残ってたから(よかった!

加筆修正して載せる。



で、コメント欄
今度から閉じることにしました。

なんか言いたいことあったら
直接言ってね。



で、そう、

もう少し丁寧な言い方で
書けばよかったんだよね。(違



昨日あげた時のタイトルは
「だからブスは嫌い」
だったと思うんだけど、

なので丁寧に
「お」つけて書き直します。





子どもの時から
疑問だったんだけど、

なんでおブスな人って
おブスなまんまでいるんだろう

って
すごい不思議だったの。



私は自分の見た目が
死ぬほど嫌いだったから、

(今でも嫌な所は
言い出したらキリがないけど


大人になったら
まず化粧品買って
化粧を勉強して、

なんか可愛い服も買って
美容院行って、


どうにか少しくらい
マシになれるように

自分のこと
好きになれるように
必死にやるんだー!って

子どもながらに
意気込んでたから、


なんで
モッサリしたままの大人は

お金も知恵もあるのに
少しでも「綺麗になろう」とか
努力しないんかな?

なんでそんな
自分に無頓着でいれるんやろ?


よくおブスであることに
居座り続けられるな。って、

その根性が
不思議でならなかったんだよね。



や、
おブスの定義も
人それぞれだし

当たり前だけど
この世の全生物が
生まれながらにして
完璧で、
魅力的で、
美しい存在なわけだけど。


それでもあえて
「おブス」と言いたいのは、

自分の現状を
誰かや何かのせいにして

不平不満ばっかり並べて、

「私ブスだから」とか
平気でのたまうような

自分に対して
無礼極まりない女に

勝手に
腹が立つから。←



ブスだから何、

ひねくれて
被害者ぶって、

自分にも人にも
唾吐きながら

自分も人も
小馬鹿にしながら

生きてっていい
特権でもあるわけ?



おブスって
自覚がない人のことを
言うと思うんだけどね、

だから今日はもう
おブスおブス言いまくるけど
先に謝っとくね。

おブスって人に厳しいから。


私もそんなんだったから
よく分かる。

御免。m(_ _)m




私はやっぱ
綺麗にしてる人に
興味が湧くし、

美しい人に刺激を受けて
自分も小綺麗にしてたいし、


当たり前だけど
「この人素敵!好き!」
って思う人としかいないから、

自ずと周りには
魅力的な美人しかいなくて。



こう言うと
「見た目で選ぶなんて嫌な女!」
って目くじら立てる人いるけど、

そんな人こそ
誰よりも見た目で
ジャッジしてたりするわけで。

(これを男の人に言い換えると
「男をお金で選ぶなんて嫌な女!」
  とかね。



美人だとか
可愛いとかってのは

造形の美しさだけじゃ
まっったくないのに、

おブスにはそれが分からない。

だからおブスなんだろうけど。




美しい人は
何だかんだ言っても
自分に厳しい。
 

向上心があって、

素直に現実を受け止めて、

自分を磨く努力を
こつこつ楽しみながらしてる。


「自分」と認識されてる
身体を丁寧に扱って、

最大限に活かそうと
謙虚に自分と向き合ってる。


に、対して
おブスはやっぱり自分に甘い。


不思議なことに、

美しい人のほうが
自分の美しさに
あぐらをかくことはなく、

だから日々努力してるし、
(努力と思ってないだろうけど


おブスのほうが
「こんな自分も案外イケてる」
と思って居座ってる。

から、
努力とか大してしない。


それがいわゆる
美意識の差なんだろうけど、

だからおブスに限って
いい大人になっても
ちゃんとした場ですら
化粧しなかったり、

どこで買えるのか
分かんないような格好してたり、

人を不快にさせない程度の
最低限の身だしなみすら
整えてなかったりする。


それを
「ナチュラルが一番」
とかって履き違えてるか、

できない=やらない
言い訳ばかり並べて

それを自分に許してる。



どこかで読んで
ほんとそうだなって思ったけど、

「ありのままでいい」ってのを
都合よく解釈して、

畑から採ってきた
泥のついた野菜
そのまま皿に乗せて、

「さあ食え」
「愛してるなら食えるだろ」

って言ってるようなもんで、

人に対する配慮とか
気遣い的なものが
欠けてるんだよね。

デリカシーがない。



美しい人は
人をいい気分にさせる術を
知ってるし、やってる。


押し付けではなく、
何より自分が
いい気分でいるために。


だから皆
美人が好きなんだよ。



で、
そういう人って
何かと変わりたがるくせに、
結局なんにも変わらない。


なんだけど
人には厳しくて、

彼や旦那が
浮気や不倫でもしようもんなら

そんな自分を棚に上げて

「結婚してるから」

「愛してるって
 (遠い過去に)言われたから」

という理由だけで
追い込んで、
責め立てられるくらい傲慢。


そう、
何かと図々しいの。

だからやたらめったら
すぐ傷つく。


繊細だから
傷つくんじゃないよ、

傲慢だから
いちいち傷つくんだよ。


で、
「私可哀想」が
 デフォだから、

「私の気持ちなんて
   分からないくせに」
 
っていつまでも
嘆き悲しんでみたり。


やたら
妄想の世界で生きてて

言ってることが
いまいち理解できない。


傷ついた自分を
可愛がり続ける
その貧乏臭さがなお、
周りの人を萎えさせる。


すぐ嫉妬するでしょ?

嫉妬って
「ほんとは自分の方がすごいのに」
って気持ちも入り混じってるわけで、


頭で考えてる自分と
現実の自分に

差があり過ぎることに
気付いてない。


少しでも自分を磨こうと
鏡とにらめっこしてみたり

どうすれば素敵になれるか
試行錯誤する時間はないけど、

くよくよ落ち込んだり
卑屈になる
暇だけはあるんだよね。


美しい人はその分、
そういう人が
ブーブー言ってる間に

自分に意識を向けて
その時やれることに注力してる。

最初から自信のある人なんて
そうそういないよ。


美人も
お金持ちといわれる男の人も、

やることやってるから
そうなってるだけ。


やることやってる人だから
魅力的なんだよね。


だから
当たり前に、

魅力は
表面的に見える
それだけに留まらない。



そういう想像力も
思慮深さもなく、

上辺だけすくって
全然関係ない所にまで
ズカズカ入ってって
やんややんや言う。


だから嫌いなのおブスは。



いやでもさ、
これ書いてみて
気付いたけど、
これあれよね。


「私だって頑張ってるんやから
あんたももっと頑張れよ」っていう

一番迷惑極まりない
ただの押し付けおばばじゃない?

恥( ꒪⌓꒪)


まあいいか。



それでさ、
こういうこと書くと

「それって私に言ってるんですか?」
とか言ってくる習性もあるけど、

あなたのことじゃないからね。

…ってその時点でそうか。


でも
ブスブスと居座ってる人に
興味ないから

そういう
特定の誰かのこと
考えたりしない。

自分のために
考察はするけど。


だから
ねちっこいもの
飛ばしてこないでね。

そーゆーとこだから。




↑昨日ここまであげて、
やっぱりたくさん
飛んできた( ꒪⌓꒪)

私の考察
いい線いってたんやね。


やっぱ厳しい。
めっちゃ厳しい。( ꒪⌓꒪)



だから嫌なんだってば。



あっちゃんの講演会 大盛況
ありがとうございました♡
打ち合わせ
主催 我らが佳代さん
今日も素敵
ともこさんと♡

みんないい笑顔
おつかれさまでした♡