いのちのうた 〜母と子の名もなき日々に〜

いのちのうた 〜母と子の名もなき日々に〜

母から子へ 子から母へ へたくそな愛を紡ぐうた

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麻白ゆかり1stシングル 
【贈るうた~可愛いあなたへ~】作詞担当

テーマ:

この間
母のお墓に
お花を供えてきたんだけど、


母の目を見て、
もっといろんなこと
話したかったなと思ったり

腹の底で思ってたこと
ちゃんと伝えておけば良かったって

行くたび行くたび
やっぱ思って、


そういえば父にも

私の“今”
思ってること

ちゃんと
伝えてないなと思って

ブログからだけど、
父に手紙を書こうと思う。


(facebookで繋がってるから
  これも読んでくれるはず。

  や、必ず読んでもらう!




お父さんへ



・・あー・・何か。

書こうと思うだけで
変な涙が出てくる。

嫌だな。笑



お父さんも
気付いてると思うけど、

お父さんのこと
大大大大嫌いだったし、

憎んでたし、

恨んでたし、

今でも嫌いかな。

ちょっと嫌い。




17歳で
お母さんはお母さんになって、

友達が高校に
通っているのを横目に

姉と私を育てて


同じ歳のお父さんは
数ヶ月家にも帰らず

バイクの後ろに女を乗せて
遊び歩いてたとか
 

そんな話を
大人になって周りから聞いても

「あぁ。そうだろうね。笑」って

感情が1mmも動かないくらい



私の中で
お父さんという存在は

紆余曲折を経て

「他人ごと」になってたんだ。




子どもが生まれたばかりの、
ただでさえ情緒不安定な母を

死にたくなるまで追いやって


自殺未遂をした母に
「頭がおかしい」と言い捨てて

母から子どもを引き離して、


すぐ再婚して、

また同じこと繰り返して


また離婚して、

また結婚して、

4回繰り返すたびに

子ども作って、

そのたびに子ども置いてって、


ここには書けないようなことも
お金のことも色々、
本当に色々あって


いい大人になっても
ばーちゃんを泣かせて


お父さんは

私の大切な人を
悲しませてばかりいた。


私の、
その時々の全てを

ぶち壊すのは
いつもお父さんだった。



今だから、
お母さんもばーちゃんも、

好きでやってたことなんだと

「どっちもどっちやん。」って
笑えるようになったし、


お父さんが
選択してきた一つ一つも

それが全て
お父さんなりの愛で、
責任で、最善であったと
わかるようになったけど、


子どもの頃はただ悲しくて、
どうしようもなく悔しかった。



母の次に再婚した継母に
私と姉を託して

私達が毎日
殴られていた時も

いつまでたっても
帰ってこなくて


助けてほしくて

気付いてほしくて


守ってほしくて

毎日毎日

「パパはいつ帰ってくるんだろう」って

お父さんの帰りを待ってて


だけどお父さんは
久しぶりに顔を合わせても

「ママの言うことちゃんと聞けよ」って

頭にゲンコツを落とすだけだった。



継母にいくら殴られても、
ただ、心が壊れてくだけで

涙なんか出なかったけど


大好きなお父さんのゲンコツは、
心が痛くてたまらなくって

いつも涙が
ボロボロ落ちた。



母や周りの人が
いくらお父さんのことを
悪く言ったって


私も姉も
お父さんのかっこいい笑顔が大好きで

優しくて、
大きな背中に憧れていた。



でもお父さんはいつも
仕事や
女の人に夢中で

私のことなんか
全然見てくれなくて


お父さんの一番になれなくて


少しずつ
少しずつ嫌いになって

憎むようになって

軽蔑するようになって


いつからか

「あんな人、
  どっかでのたれ死ねばいい。」

 って思うようになってた。



お父さんと過ごした時間は

今まで合わせてもきっと
一、二年くらいしかなくて

学校の行事も正月も、
私の誕生日も連絡なく

どこで何してるかもわからなくて


知らないうちに再婚してたり

また兄弟ができてたり


それなのに
数ヶ月ぶりに会うと

いつも心配してる、
大事に思ってる、

みたいな事を平気で言って


その薄っぺらさが尚更

腹わたが煮えくりかえるほど
許せなくて


目につくもの
手当たり次第殴りながら

一人でわんわん泣いたりしてた。



なんで産んだんだよ!

なんで産ませたんだよ!


何でこんな

クソみたいな親の所に
生まれてきてしまったんだよ!って


ずっと死にたくて

自分を殺してやりたくて
仕方がなかった。




私が大人になって、
結婚して 
子どもが生まれても

孫の誕生日もやっぱり
連絡ひとつなくて

その度少し
ムッとする自分に

「まだどっかで期待してんのか」って

ほとほと嫌になったりもした。



私 今、
お父さんが死ぬより

お義父さんが
いつか死んでしまう時のほうが

ものすごく寂しくて、
ものすごく泣くと思う。


旦那と結婚して

家族の温かさを
教えてくれたのも
旦那の家族で

いつも気にかけてくれて

孫のことも
すごく愛してくれて

産後もずっとお世話になって

孫の節目は
当たり前かのように祝ってくれて



何より出会った当初、
キャバクラで
がつがつ働いてた私は

厚化粧に
10cmヒール履いて

くどい香水
プンプンさせて

リンゴの皮の剥き方も
知らないような女に

大事に育ててきた
息子を託し

結婚を祝福してくれて


それだけでもう

自分が親になった今
振り返ると

ほんと有り難くて


旦那と
離婚騒動があったときも

号泣しながら
旦那の実家に駆け込むぐらい

本当に大好きな人たちで。


だから尚更、
お父さんのこと

どうでもいい、
と思うようになった。



でもさ、

もう、書きながら自分でも

「どんだけ並べるんだよ」
 ってくらい

“嫌だったこと”を
こうして挙げ列ねてしまう。

ぐらい、


「私がそう思ってたこと
  知らないでしょ」

「私のこと
 何にも分かってないでしょ」


「そんなんで
 分かったようなフリするな」って


どこまでも
分かってほしい私と、

分かられてたまるかって
収拾つかなくなってる私が


拗ねて拗れて、

まだ情けなく

ここにこうして居るんだよね。


どうでもいいとか言いながら、
全然どうでもよくなってない。
みたいな。



うーん‥

というか、

どうでもいいはいいんだけど、


なんだけど、


腹が立っても、

どう頑張っても

心の底から嫌いにはなれんのよ。



普段お父さんのこと
考えることも全然ないけど、

facebookとかで見かけて
元気そうだと嬉しいし

お父さんが幸せそうで
よかったなって思ってる。



それで、

私が望む形の
愛情をくれないお父さんに

ずっと腹を立ててたわけだけど


お父さんは
お父さんなりに

すごく愛してくれてたこと、


やっと最近
頭でじゃなく

心のど真ん中で
感じれるようになってきた。



たくさん悲しかった
子ども時代だったけど、

確かに私は 

変わらず
ずっと愛されてた。




小学生の頃
半年ぶりくらいに帰ってきて

「誕生日おめでとう!」って

全然誕生日でもないのに
プレゼント買ってきて

中を開けると
サイズも違う、

全然趣味じゃない
星柄の変なTシャツが入ってて

「ほんとパパって最低‥」
って思いながら


嬉しくて

それ、
ずーっと持ってたこととか、



小さい頃
お風呂あがりに

私にバスタオル被せて

頭をグシャグシャーって
すごい勢いで拭いてくれて

それが楽しくて
大笑いしてたこととか、


お父さんが
パンを焼いてくれて

それをお皿に乗せて
バターを塗って

「食べな」って
目の前に並べてくれて


それがびっくりするくらい
今まで食べた中で
一番美味しくて


その後 

「なんでパパが焼いてくれたパンは
あんなに美味しくなるんだろうね⁉︎」

「また食べたいね!」って

姉ちゃんと
ずっと褒めちぎってた。とか。




愛されてた証拠を

ひとつひとつ
受け入れてったら、

そうやって
嬉しいこともあったこと、

次から次に思い出した。



お父さんはきっと
もう忘れてるようなこと、

こうしてずっと
覚えてたりする。



でも同じように、

いや きっと
比にならないくらい、

私がとっくに忘れてること


お父さんの心の中で

宝物みたいに
残ってるんだろうと思う。



そしてきっと
お父さんから見た世界は

私とはまた、
白と黒ほど
違って見えているんだろうし、


だから私が
知らないだけのことや、

知ろうとしていないだけのことや、

誤解してることも
多々あるんだと思う。


“わかってもらえない”と
私が思っている分だけ、

私も、
お父さんのことを
わかってないんだよね。



“父親とはこうあるべき”を、

父親というだけで

たくさん
押し付けてしまってごめん。




こんな幸せな時もあったんだ。




私の結婚式で、

ばーちゃんより
姉ちゃんより
誰よりも

笑っちゃうくらい
号泣してたお父さん。



「大して“お父さん”してないくせに、
何でそんなに泣いてんの。」

って不思議だったけど


そーゆーことなんだよね。


めっちゃ私のこと
大事なんじゃん。笑


そんなことにも
気付かなかった。






たくさん人に好かれて、

人に嫌われる

最低で
最高なお父さん。




子どもに恨まれる親だなんて、

なんて立派に
親を務めてくれたんだろう。


 
やっぱさ、
すごい素敵だと思う、
そういうとこ。



悲しくて
悔しくて
涙がでるほど

憎ませてくれてありがと。




で、まだ、

ちょっと嫌いでいさせてね。笑



愛されなかった(と感じてしまう
自分への怒りが

心の隅に
まだあるから。


その子のペースに
合わせてあげたい。





そしてこれが、
私なりの
お父さんへの愛の形だったりするから、



だから別に、
好きにならなくたっていいと思ってる。


どうせ愛してるんだから。




まぁ、、

そんな感じです。




またそのうち、
ふらっと会いに行くよーー





でっかいでっかい愛と、

ありがとうと、

リスペクトを込めて。





可愛い娘より(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎



17歳の父と母。お腹に姉。
(ペアルックて!
唯一のツーショット写真。私の宝物




二人の子どもに生まれてよかった。







テーマ:

顔出し。



このブログでは
ずーっとしていなかったし

ずっと出すつもりも
なかったんだけどね、




家族のこととか
全部丸裸に書いてるから


大切な人たちを
傷つけちゃったりすることも
あるんじゃないかとか思ったりもして


(要は自信のなさを人のせいにして


ブログを始めるときに

じゃあ顔出ししないで
書いていこうって
決めたんだけど。





ここ最近
立て続けに思うところがあって


やっぱ顔面
出してくことにしました。笑


理由はまた改めて書くね。






ずっとこのブログを読んでくれている
大好きな大好きな皆さん、

いつもありがとう。



改めまして、宮長登和です。笑



そんでちょっとでもよく見えるように
ビューティーをプラスしまくる←



息子&娘と。







で、私の恩師。


NLPマスタープラクティショナー

PCMプロコミュニケーター

心屋流リセットカウンセリングマスター

JAEIアマナ性共育セラピスト


の、





この方を早く紹介したかったの。笑





この人生を
腹の底から好きになりたい。



子育て支援をしていきたい。



そんな私の夢を
叶えてくれたひと。




イシちゃんのおかげで、

母を心から
好きになれた。




この間イシちゃんの
カウンセラー10周年があって、
私もお祝いさせていただきました。


イシちゃんと、
めちゃくちゃ優しいいかりんさん♡



一緒に学んだ仲間(の一部。



みんなでお祝い♡







子育て支援でも
日々イシちゃんや先輩方から学ぶことだらけ



明橋先生の子育てハッピーアドバイザー


たくさんのママさん達にお話するイシちゃん

私はテンパる。







気付けば周りには
ほんっっとに素敵な人達ばかりで




大人になるまで

“大人なんかくそくらえ”


“大人は汚くて、嘘つきで、
つまんなくて、醜い生きもの”

って思ってたけど(笑



大人になって、
親になって、

こんなにも優しい世界を知った。






↓ こっちは知る前。15歳頃。笑





人って変われるんだね。







これからは、

私が大好きなひとや
子ども達との日常なんかも

たまに載せていこうと思います。






改めてよろしくね。






ps.
コメントもいつもありがとう!

お返事してないけど、
めっちゃ喜んで見てます♡


facebookで
コメントやりとりしてるから、

よかったらfacebookでも
繋がってね♩



テーマ:


なんかね。



「ありのままで」とか

「自分を大事にしよう」とか 


そういう言葉が
溢れかえっている今、


それを
私とは違ったふうに捉えてる人も
少なからずいて、


そりゃ居るさ。
なんだけど、


思うところがあったから
ちょっと書いてみる。




なんだろうね、

例えば


「PTA、選ばれたけど
やりたくないからやりません」とか


「◯◯の当番
行きたくないから行きません。」

っていうセリフに続けて、


「自分を大事にするって
  こうゆうことだよね」みたいな。


「これが本当の私!」みたいな。



そういうの聞くと、

なんか
むーーーん(΄◉◞౪◟◉`)ってなる。



なんかね、
テンションが違うんだよね、


短絡的に
結論付けなくても
いいんじゃないかなー。




やりたくないことは
全然やらないでいいと思う、


PTAも当番も、

行かない選択をしたことは
べつに悪いことだと思わない。



私もクラスのランチ会とか
行かないし、

直感と気分が何より大事だし、



むしろ頑張って
そっち勇気出したんだなって思う。




けどなんていうか、

“本当の私”とかいう
フレーズをくっつけて
 

「私こんなだけどよろしく」な人って


なんか 雑。




腰据えて、
もうちょっと丁寧に
自分を見てあげたらいいのにと思う。




これ完全に、

余計なお世話以外の
何ものでもないんだけど、

そこに反応した
自分の為に書くね。笑




「本当にやりたいこと」

「本当はやめたいこと」


「本当の私はこう」っていうそれも


本当って思ってる
それって本当なのか、


また都合よく
臭いものに蓋をしただけじゃないのか、


「本当の本当は」の
痛いところに気付かないように 

また巧妙に
見ないふりしようと
してるだけじゃないのかとかね、



なんで嫌だと思うのか、

そもそも何が嫌なのか。


どうなりそうで怖いのか、

それってほんとにそうなのか。



で、PTAに行かない選択をして

行かずにスルーしたなら、

それで本当に
自分の中の“不快”が消えて

心穏やかになるのか。



「うーわ めんどくさーー」って所に
 本音って上手く隠れてる。




そもそも
PTAなり当番なりをすっぽかして

「自分を大事にしました」って
わざわざ口に出してる時点で


自分の中に何か
引っかかりがあったわけでしょ?


それだけ真面目な人なんだよね。



で、
“とうとうやった!”と思うそれを

次はちゃんと
正当化したくなったり


また新たな罪悪感や
不安が出てきたりもして、


「私はこれでいいの。」って
 変に力が入っちゃったり。



本当に気にしてない人は
そんなことすら浮かばないし。




それってただ
上塗りしてるだけに
過ぎないんじゃないかな。



不快なもの(という思い込み)を
よく見て、落ち着いて

消しゴムで徐々に薄く、

疲れたら休みながら
消していけばいいものを

 
目の前から
早く消してしまいたくて

マジックでガーーッと
塗り潰しちゃってる感じ。



もしくは
服にシミがついて、

ちょっと洗濯したり
手を掛ければ綺麗になるのに

「もうこれ着ない。いらない」って
すぐ捨てちゃった、みたいな感じ。




で、
「どうよ私。やってやったわ」
みたいな。



それを見て

「え、そんなんでいいの?」
「なんか雑じゃね?」

って思った。っていう話。。





そういう紆余曲折を経るのも
楽しいけど、


自分を大事にしたい!って
自分に目を向けたなら、


どうせなら
そこちゃんと斬り込んで

手間かけてあげると
もっとしっくりくると思うんだよなー。




そうやって
不快なものを視界からどけて、

じゃあその人が言うところの
“本当の私”に近づいたのかっていうと、


一歩前に進んだというより
一歩横にズレただけな気がする。




本当の私とかいうものって

リキんでなるものじゃなくて、
ゆるんで戻っていくものだと思うし。





で、そんな人が
「本当の私」だったり

「ありのままの自分」っていう
フレーズを使うときって大抵


「私こんなことも出来なくて、
 こんなにもダメで、
 こんなに腹黒いの!」

みたいに

“ダメな私”と捉えている側面を
アピールしたり

謎に破天荒ぶることも多いけど、



ふつーに素敵だよ。



素敵にフツーだよ。




何をもって
本当の自分と捉えるのか
まだよく分からないけど、


いやもう
ホントとか違うとか
どーでもいいことで

まるっとそんな全部が
自分の輝きであることには
変わりないんだけど、



なんというか、
きっとそれは

つまらないくらい普通で、

ほんと、普通なもんだと思うの。




ぐっちゃぐちゃな感じも、

ドス黒い感情も、

ネチっこいようで
嫌になる感じも、


いつまでたっても
変わらないような感じも。


焦ってみたり、
自分を恥じたり、

やっきになったり
腹を立てたり。




それが普通。




それが
それだけで

最高に魅力的で。



ダメだと思ってるのは自分だけで。




だから
「人とは違う」アピールも

「自分を大事にしてる」アピールも
 必要ないんだよね。




ただ粛々と、
コツコツと、


自分は自分にしかなれないことを
諦めて、


そんな自分に歩み寄って、



自分にだけは
背を向けないように



私は何を感じ、


このいのちで
何を表現したいのか。



自分の中の
一番柔らかいところを見つめながら、


ふつふつと燃える熱いものを
しっかり捉えながら、


一日一日を重ねていく。



それだけでいいんだな。


それだけ

いいんだな。




、、、と、
なんか今日はそう思った。



うまく言えないけど。

そんな感じ←




テーマ:


・発達障がいと診断された
    子どもの将来が不安でたまらず

   学校の対応や
   ママ友との付き合いでも悩んでるyさん




・今年で年長さんになるけど
   いまだに園に行きたくないと泣かれ
   自分を責めてしまうmさん




・自分から「やりたい」と言って
   始めた習い事を
   半年経たずに辞めたいと言われ

   子どもに向上心や忍耐力がなくて
   困っているというmさん




ブログで回答の許可を得たので、

遅くなったけど
お返事させて頂きます^ ^





まず
それぞれのメッセージを読んで
感じたのは、

子どもの立場からすると


親の「心配」ほど
うっとうしいものはないな


ってこと。(言い方が悪い。


私がしている心配も含め。





大人になって
親になったら

自分が子どもの頃
感じた気持ちなんて

すっかり忘れたりもするけど、


周りの大人に
よく思ってたことを思い出した。




何でもかんでも
思い通りにしようとするな!


自分で迷ったり
考える時間くらいくれよ。


失敗したって
後悔したっていいじゃんか!って。




自分なりの答えや、

自分の足で踏み出す一歩は


ちゃんと
自分のタイミングで
出したかったけど




それを許さないのが

親(保護者)であり

先生であり


学校という
狭苦しい環境だった。




「みんなちゃんとやってるんだから」


「子どものくせに
   分かったようなこと言うな」



「皆 出来てるのに
  なんでお前だけ出来ないんだ」


「和を乱すな」



「後で困るのはあなたなんだから」


「せめて“普通に”しててよ」





人と同じことができないって

人と違うことができるってことでしょ。



どうして出来るほうに
基準を合わせなきゃいけないの?


なんで出来るほうを
「普通」って呼ぶんだろう。



そうやって
自分はまともだと思ってる人の方が

よっぽど
狂ってると思うんだけどな。





先に生まれたから
正しいとは限らないし、


先に生まれた者として
「色々教えてあげなくちゃ」って

余計なものを
押し付けてくるのは

ただの迷惑でしかなかった。





悲しくて腹が立ったな。


その言動に、

子どもの存在そのものへの
「信頼」がなかったから。



「私」を見てくれなかったから。




その代わりに
押し付けてきた余計なものは、


周りの大人や親自身の

不安だったり
怖れだったり。




自分の不安を
子どもに解消してもらおうとするな




自分の欠乏感を
子どもに埋めてもらおうとするな




それを「あなたの為に」と
差し出してくるんだもん、

違和感でしかないんだよね。



自分の気持ちは
自分で抱えろよ、と。





子どもは
親の期待のために
生きてるわけじゃないし、


親の心配を
一つ一つ取り除くために
成長しているわけでもない。




子どものできていない面を
他と比べて

責めたり
劣等感を感じるのも違う。





  勝手に
「子どもはこういうもんだ」
  って理想を押し付けて 

期待して


がっかりしたり
腹を立てたり


「私がこんなだから
   この子はこうなのかもしれない」と


子どもの言動をいちいち

自分の価値観のつじつま合わせに
使わないでほしい。




“それ”ができなくても
暮らしていけることをわからせるのが

大人の役目なんじゃないかな。






心配ばかりしてしまう
お母さんは結局、


「子どもが一人で遊んでる」
 と言っては心配して、

「友達と遊んでばっかり」
 と言っては心配するし、



「子どもが飽き性だ」
  と言って心配しては

「ハマったらそればっかり」
  と言ってまた心配する。



子どもが
心配の種なわけじゃなく、

お母さんの心に
得体の知れない不安が
居座っちゃってるだけで。





心配って
愛情と誤解されやすいけど、


心配を平たく言うと


「あなたは
   大丈夫じゃないかもしれない」


「あなたには
   出来ないかもしれないでしょ」

って言ってるようなもんで、



心配されると
なんかモヤっとするのは


「信頼されてない」と
感じるからなんだよね。






で、そんなお母さん。


ほんとは何を
信頼してないのかというと、


そんな自分自身なんだよね。





私に送ったメッセージ
もう一回自分で読んでみて?


「自分」がどこにもいないじゃん。



自分の本当の気持ち、
見てあげてないんじゃないかな。




自分が
自分でいることを

自分が許していないから



誰かに
許してもらいたくなるし


誰かに認めてほしくなる。




子どもが
子どもが
子どもがって言うけど、


自分一人
満足させられないのに

子どもを
幸せにしてあげたいだなんて
不可能なんだよね。

それは誰にもできない。




自分が思う幸せと

子どもが思う幸せは違う。




まず自分のこと

わかろうとしてあげようよ。




外堀を埋めることが
「自分を大事にする」ってことじゃないよ。




外に答えを求めるんじゃなく、

自分の腹の底から
本音を引きずり出してみて。



誰かの“怖れ”に
耳を傾けなくていい。



あなたは
あなたの

あなたらしい
立ち位置に戻ってね。







でね、

可愛い可愛い
あなたの子ども。




あなたが何をしてあげても、

何をしてあげられなくても、



あなたがあげたものと

あげられなかったものから



しっかり何かを育んで


何かを見い出して

何かを掴んで

 
自分の人生を
輝かせていくから。



その子らしく
進んでいくから。




あなたが
味方でいてくれるだけで、

それだけでいいんだから。




大丈夫、

あなたの子だもん。


私たちの子どもだもん。



ちゃんと失敗するし、 

ちゃんと悲しむし、

ちゃんと不幸にもなるし、


ちゃーーんと幸せなんだから^ ^




テーマ:

私、
自分のセルフイメージが

「何にもできないただのバカ」
なんです。

     


これ、別に
卑下しているわけでもなく

ニュートラルに 
いつからか当たり前に持ってる
“自分とは”。
 



何やらせても下手くそだし、
手先も不器用

運動も苦手


難しい話になると
目を開けたまま
脳が勝手に寝だす。
 



社交的でもなければ

家庭的でもなく


家事 育児も
ありとあらゆる手段を使って

手を抜く事だけに
力を注いでる。


   

小さい頃から
大人になるまで

がむしゃらに何かを頑張ったと
言い切れる事が一つもなくて、

がむしゃらになれるほど
やりたい事もなかったし


「やってみようかな」って
何かに手をつけてみても

途中で飽きたり
なんだかバカらしくなったり

とにかく
全てが中途半端だった。




まず、そもそも
やりたいことだって

自分が“やれそうなこと”の中から

ちょっとはマシなもの、
ぐらいなテンションで
選んでるから

面白くも何ともないの。



それやりながら、
「私何がしたかったんだっけ?」
みたいな

つっ走って迷い込んで
まさに迷走してた。






でも、
やっと心から

自分がやりたくて
やったことで

「私よくやった!頑張った!」
って言えるものができて。



それは
“赤子の世話”なんだけど。




私にとったら 
過酷な修行だったけど


ふにゃふにゃの未知の生き物が
“ひと”になるまで

無我夢中で頑張った。


(頑張り方は間違えてたけど。





昔は子どもが
大の苦手だったし

こんな私が
育てられるわけないと思っていたし



どんな母親になるのか
想像もできなくて

私みたいなのは
子どもなんて

産んじゃいけないとも思ってた。





「どうせ」とか
「私なんか」って言葉が

頭の片隅に
こびりついてたような私が

 
曲がりなりにも
毎日毎日
お母さんやってる!って


自分で自分に感動して
見直したし、
好きになれた。




息子が
私のやる気スイッチを

人生で初めて
起動させてくれました。笑






それからは少しずつ

自分を縛っていた
いらない思考を削り落として


やってみたかったことや

自分の願いを
叶えてあげられるようになって




そしたら、

口に出すのも恥ずかしいくらい
ずっとやりたいと思っていたことを

やっと

やってみる気になりました。





今ね、
絵本を書いてます。




その絵本を、

図書館とか
学校の図書室とか

子ども達が
無料で手に取れる場所に
置かせてもらうことが夢。




バカにされることが怖くて

恥ずかしい思いをするのが怖くて

失敗するのが怖くて


ずっとしまい込んでいた夢。



  

「夢なんかない」って
子どもの頃から思ってたけど


自分が勝手に
諦めてきたものたちの奥底で

ずっとそれは

私に気付いてもらえるのを
待ってた。




いや、
どんなに奥底に隠しても

諦めきれずに
浮かんできてた。ずっと。




だけど自分にとってそれは

あまりにも大きすぎて

眩しすぎて


望むことすら
恥ずかしかったんだよね。


身の程知らずって思ってた。





恥をかくって 後々
必ず人生の財産になると思うんだけど


自らそこに飛び込むことで

得られるものは沢山あると
頭では分かっていても


それでも
恥をかくのが嫌だ、

失うことが怖いと
思ってしまって


そんなガチガチの手で一体

私は何を
守りたいのかなぁって
悔しくなったり



自分にやれそうな事だけやって

それで自分を納得させようとして


現状はキープしたまま
都合の良いとこだけ伸ばしていきたい
とか思ってた。




あと、
本当に大事に思ってることで
失敗してしまった時

そのとき食らう
ダメージを思うと

怖くて踏み出せない
っていうのもあって。




だから
「別に失敗してもいーけどね」
くらいの

大して思い入れのないものを

予防線張りながら
やってみたりとかしてた。




で、上手くいかなくなっても

「まぁ別に
そこまでやりたいことでも
なかったから」って

ヘラヘラして笑ってた。




こうやって書いてみると
かっこ悪いなぁと思うけど、

そんな紆余曲折を経ることが
私には必要な経過だったんだ。





でもさ、


このままだと、

このままなんだよ。





つまらないものを
いつまでも握りしめているから
つまらないんだよね。





それに

「私なんかが」って
謙遜してる“やりたいこと”、


(謙遜というか
   傲慢でしかないんだけど



人からすると

「え?そんなこと?
   やればいいじゃん。」

って感じだったりする。



もったいないよね、

誰も見てないし
誰も興味ないのに。



ほんと、
厄介なのは
自意識過剰な自分だけ。





だから


「恥ずかしい」
「かっこ悪い」という理由で

何かを“しない”選択は

もう二度としないと決めた。



それは全く
理由にはならないし、



本当に大事なことで
カッコつけたまま出来ることなんて

きっと一つもないんだよね。






やっと、

恥をかく覚悟ができた。



失敗する覚悟ができた。





‥いや、違うか。


覚悟なんてできてないな、
まだまだ全然怖い。


失敗したくないと思ってる。




でも
怖いままで
やってみようと思う。





そして、

なにがどうなったとしても

私は私の
ずっと味方で


ずっと側にいてあげるって


そんなふうに
思えるようになった。








それで、絵本作り。


これがまた
全っ然 進まなくて

毎晩 頭かかえてます。
 



「そうじゃない。違う。」
ってブツブツ言いながら

自分の心の中から

一番しっくりくる言葉を
探し回りながら

一晩に一文も進まなかったり。
  




こんな自分が悔しいし

こんな自分に焦る。




んだけど、

悔しい悔しいと思ってる自分が

一方で 
ものすごく嬉しくて。




「何にもできないただのバカ」
と思い込んでいたけど、


心のことを考えたり

それを文字に
引き出していく作業だけは

もの凄く心が踊る。
    




全然出来てないの。


頑張っても
なかなか出来ない。


言い訳の定型文を使うと、
時間もない← 




でもその過程が嬉しすぎて
真夜中に一人で興奮してる。
   


だからこれに関しては、


自分のこと絶対に諦めない。


自分のこと絶対に笑わない。




おまえならできる!!って
心の底から思ってる。
  



だから悔しい。


それが嬉しい。



自分の可能性を信じてる。






本当に恥ずべきことは、

失敗や
バカにされることじゃなくて


自分の才能を
使い切れていないことなんだね。





「好き」って気持ち、

それだけで もう

すごい才能。





何にも出来ないわけないじゃんか。



ちゃんとひとつ、
大好きなものがあるじゃんか。




自分の才能を、

素晴らしさをバカにするな。




「私はこれが好きだ」
というものに、

ただそれだけに狂ってみろ。







そうやって今

ずっと怖がっていたことに
飛び込んでいます。




怖さよりも
自分を信じる。



不安よりも
自分を信じる。





そうやって飛び込んだ自分に

値しないものなんて何もないんだと


まだ何も
なし得ていない自分を

どれだけ信じ抜けるか



きっと人生は
変わっていくんだろうと思う。






自分を超えていきたい。



もっともっと
この人生を好きになりたい。





そのために、

絵本を通して
あの頃の私を迎えに行く。




きっと笑顔にしてみせる。







こんなふうに
自分に挑戦しようと
思えるようになったのも


いつもブログを
読んでくれる方がいて


コメントや、
リブログや、

メッセージをくれる皆さんがいるから。



いつもいつもいつも
本っっ当にありがとうございます。




たくさんもらった勇気を
繋げていきたい。




頑張ってみます。



頑張ります。




その時はまた、

どうか応援してください。