最後のギフト | おもうこと。

今日は母の命日。

4年前の今日
母の死を知らされて、
一番最初に出てきた感情は
「ふざけんな」だった。

母の妹が電話口で
「ほんとバカだよね、ごめんね」と
悔しさを滲ませて泣いてた。

本当にばかだと思った。

悔しかった。


二十数年ぶりに再会して
まだ4、5回しか会ってない。

息子が生まれたばっかりで
初めての育児に戸惑いながら、
やっと憎んでいた母の気持ちも
少しずつ分かるようになってきた頃。


育児に行き詰まっていた私は
まだ赤ちゃんだった息子を抱えて

「どうすればいいの」
「なんでまた置いてくの」
「そうやって私の気持ちはいつも無視される」

と、悔しくて情けなくて
怒りながら泣いてた。


だけど葬式では涙なんて一滴も出なくて、
ただぼーっと遺影を眺めて
母の人生はどんな一生だったんやろうと
ずっとずっと考えてた。


これからだった。

これから本当に
母と子をやり直せると思ってた。

わかり合うことも喧嘩することも
いつでも出来ると思ってた。



あれから4年。

母の好きな花を知らない私は
毎回手向ける花を選ぶのに迷う。

母の好きな色も好きな食べ物も
好きだった人も私は知らない。

母の作るみそ汁の味も
母の手のあったかさも
楽しそうな笑顔も私は知らない。

母と子である以外に
私達を結ぶものは何もないように感じた。 


母と子であることに甘んじて
母のことを、
母の気持ちを知ろうともしてなかった。


“普通のお母さん”は
ちゃんと子どもを大事にするのに。

“普通のお母さん”なら
こんなに苦しむことはなかったのに。

ずっとそう思いながら母のことを恨んでた。


「お母さんなんだから」

そう言われることが 
こんなに苦しいことだったなんて
自分もお母さんになるまで知る由もなかった。

小さな娘を殴り続けた手が
どれくらい痛いものだったかなんて
お母さんになるまで知る由もなかった。

何も知らないのに許せなくて、
何も知らないのに愛してた。


母にとって幸せだと思う時間は
生きていた中でどれくらいあったんやろう。

やっぱり私から見えたまんまの
我慢ばっかの人生やったんかな。


嫌なことを我慢しながらし続けて、
本当はやりたいことを
我慢しながらやらずに終わった。

いつか笑って過ごすために
今を笑わず
厳しい顔して逝ってしまった。


私を産んで幸せやったんやろうか。


あの日これで会うのが最後だったんなら
目を背けずに話をすればよかったな。

作り笑いなんかしないで、
言いたいこと飲み込まないで
ちゃんと怒ってちゃんと泣いて、
寂しかったんだって。

もっと私を見てほしかった、
もっと分かってほしかった、
お母さんなんか大嫌いだ。って
腹の底から全部の気持ちを
ちゃんと伝えれば良かった。

お母さんのご飯食べてみたいって
勇気出して頼めばよかった。


恥ずかしいとか
かっこ悪いとかそういうの、
本当にどうでもいい事なんだって
もう会えなくなってから気付いたけど遅かった。


意地を張らずに
大事に思ってるって言えてたら、
母を思い出すときの
なんとも言えないこの切なさも
少しは癒えてたかもしれない。


会いたいと思ったら会いにいく。
言いたい時にちゃんと言う。
したい時にしたいことする。
大切な人を大切にする。

母からもらった最後の教訓は
そんなメッセージなのかもな。

こじつけでしかないけど。


母を幸せに出来なかったとか
母を苦しめてしまったとか
自分を責めてしまう時もあったけど

母は母の人生を思うままに生きただけやし、
私は私の人生をこれからもこうして
毎瞬生きるだけなんだ。

生きてる間にしたいこと、
生きてる間に伝えたいこと、
心のままに出来たらいいな。


お母さん
ちゃんと伝えられんかったけど
大好きやったよ。

大好きやよ。

またいつか会うときは
今度は笑って会えるといいな。