次男の誕生 | つれづれなる記

つれづれなる記

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2月11日(木・祝)

ぼくと女房は女房の両親にこどもたちを預け、夜の10時過ぎに病院へと向かいました。ぼくは夕食の際にお義父さんと少しお酒を飲んでいたため、女房が車のハンドルを握ります。雨が激しくなってきました。

ぼくは、何故かフロントガラスの油膜ばかりが気になりました。そのような油膜の付く車の手入れ用品は使ったことが無かったため、先日の車検の際にホンダのお店で車をきれいにしてくれたときに付いたのかな?と、女房に話しました。女房は「そうかもね。」と答えてくれたけど、今の女房にとってそれはどうでもいいことかも知れないな?と、ぼくは思いました。そして、こんなつまらないことが気になる自分は、きっと少し緊張しているんだな?とも思いました。

救急の入口から病院に入ります。ぼくは待合コーナーで待たされました。本棚にあった「ぼくとママの黄色い自転車」という小説が目に入り、何となく読みはじめます。活字を目で追うだけでストーリーが全く頭に入ってきません。もしかしたら、夜間の救急で出産したら立ち合いはできないのかな?と、ふと思いました。次に助産婦さんが来たら、立ち合いを希望していることをきちんと伝えてみようと思いました。しかし、万が一立ち合いができなかった場合、この先どれだけ待つことになるのか分からないのだから、これではいけないと小説の内容に集中しようと試みました。すると、ぼくはいつの間にか小説に没頭していました。かなり読み進み、そろそろ面白くなり始めた頃に助産婦さんがやってきました。あと30分様子を見て、それで今日はとりあえず帰ってもらうか、そのまま入院をするかを決めるということでした。更に、0時を越すと翌日からの入院扱いになるため、入院するにしても0時以降のほうが料金がかからないということも、付け加え教えてもらいました。

あと30分と時間を区切られてしまうと、小説の先のストーリーが気になりながらも、ぼくは再び小説の世界には戻れませんでした。急に再び緊張感を覚え、ぼくは慌てて深く深呼吸をしました。どこからか、赤ちゃんの産声が響いてきました。女房は今、どこで何をしているのだろう?と、ぼくは思いました。

ぼんやりといろいろなことを考えていると、再び助産婦さんがやってきました。入院してもらうことになったため、0時を過ぎたら手続きをして欲しいとのことでした。やっぱり今夜のうちに生まれるんだ!ぼくは少しほっとして、そしてドキドキしました。そのままぼくは、やっと女房の居る部屋に案内してもらうことができました。そこはベッドとパソコンが一台あるだけの、普通の診察室のような部屋でした。女房は別に変わったところもなく、ベッドの上に膝を立てて仰向けに寝ていました。

どう?

うん。

痛いの?

痛いっていうか、圧迫される感じ。

強い陣痛が1~2分おきにあり、その間もずっと圧迫される感じがあるようです。

ぼくは0時を過ぎるのを確認し、入院の手続きだけを済ませて女房のいる部屋に戻ると、ふたりでもうすぐ訪れるであろうそのときを待ちました。

女房は定期的に苦しそうに顔をしかめます。ぼくは女房の気を紛らわそうと、他愛もないくだらない会話を持ち掛けます。話しながら、きっと今の女房には余計な話しなんて必要ないんだろうな?と思いながらも、ぼくたちは静かに会話を続けました。

今回女房が助産院での出産を断念しなければならなかった一番の理由は、胎児の腎臓に異常が見つかったためですが、その後市立病院で検診を受けているときに、溶連菌の検査でも陽性の反応が出てしまっていました。女房はこのまま陣痛室へ行くことになりました。そのため、溶連菌が赤ちゃんに感染することを防ぐための抗生物質の点滴を、ここで受けることになりました。

点滴が始まると、女房はボトルから薬剤が一滴ずつ落ちるのを、ずっと黙って見つめていました。

そしてぼくの心には、今までの様々な気持ちや出来事が去来していました。

ぼくは女房と出会う前の20代前半には、真剣に自分のこどもは10人くらい欲しいと考えていました。そして女房と20代の後半で出会い、30歳で結婚しました。さすがにこの時点で、年齢的にも10人は無理だと思いました。しかしそれでも、まだ最低4人はこどもが欲しいと思い、本気ながらも女房に、冗談混じりにそう話していました。

その後息子と娘を授かり、しかも娘のときには助産院で息子と一緒に出産を手伝い、予想はしていましたが、想像以上の出産の大変さを痛感しました。そして、もうこれ以上こどもをつくるかどうかは、完全に女房の意思に委ねようと考えました。無事赤ちゃんが生まれたときの喜びは、ぼくたち出産を経験できない男性からしてみれば計り知れないものがあると思いますが、だからと言って、このような人生の一大事について、実際に出産する当人以外が何か言うべきではないと、ぼくは思ってしまったのでした。

そして2年前の早期流産です。

流産した赤ちゃんの魂は、またそのおかあさんのお腹の中に戻ってくる。そう教えてくれたブロガーさんのことばに、ぼくは少し救われた気分でした。しかし、誰の責任でもないこの早期流産であっても、女房の心の傷を癒す方法をぼくは知りませんでした。そして、わが家はもう2人もこどもに恵まれているのだから、この2人のこどもを大切に、そして家族4人一緒に生きていければもう十分じゃないか?と、思うようになっていきました。

それでもそれから1年が過ぎた頃、女房はまたこどもをつくってみよう!と、言ってくれました。

今回の妊娠が分かってから、ぼくは女房が何の心配もなく心穏やかに過ごせることに気を配ってきたつもりです。しかし、ぼく自身の本心は前回の流産の経験から、無事生まれてくるまで何があってもおかしくないんだと、いつも不安でいっぱいでいました。そして、この点滴を受ける女房を見つめているそのときも、絶対にそんなことを口にはしないまでも、同じく不安で不安でたまりませんでした。母子ともに無事であることを願っているのは当然ですが、もし生まれてくる赤ちゃんに万が一のことがあったとしても、これが女房の人生で最後の出産だとぼくは思いました。

最後の出産だよ!がんばって。

ぼくは、そのひとことだけを言葉にしました。

うん。

陣痛室に移動してからは、あっという間でした。陣痛観察機みたいな名前の機器がそこにはありました。波形が大きく振れ陣痛の数値が上がると、女房は顔を歪めます。波形が収まり数値が下がると、女房の表情が穏やかになりました。そのうちどんどん陣痛が強くなっていき、ぼくは横向きに寝た女房のお尻の辺りを、手のひらで思い切りぎゅっと圧迫して次の指示を待ちました。そしてすぐに女房は、分娩室に移動することになりました。

女房より先に、隣の分娩室に入っている経産婦さんがいました。しかし助産婦さんたちは、こっちが先!と声を掛け合い、女房の方へ器具や人の配置を移動していました。PHSで医師を慌てて探している様子でもありました。女房の出産は、助産婦さんたちの想像以上に早く進んでいるようでした。

分娩台に上がった女房の手を、ぼくはしっかりと握っていました。娘の出産のときには分娩台など無く、普通の布団の上での出産だったため、やっぱり女房はこのようにぼくの手を握り、そしてぼくの手に爪を食い込ませて血を流させたのでした。申し訳ありませんが、ぼくにはその程度の痛みに耐えてあげることしかできません。今回もぼくは、どんなにぼくの手の肉をえぐってもいいんだぞ!そんなつもりでいました。

しかし一度目に女房がいきむのを終えたとき、助産婦さんに分娩台のバーを持ってください!と、女房は注意されてしまいました。そこでぼくは女房の手を離し、ただ情けなく傍らに立って見守っているだけになってしまいました。

女房は3人目の出産でいきみ方を十分心得ていたからなのか、最初からものすごい力を振り絞っているように感じられました。いきみ方を注意されたり教えてもらうこともなく、それどころか逆に、ちょっとこの辺で一度息を吐きましょう!少し休んでください。などと助産婦さんに声を掛けられていました。そして、4回ほどいきんだところで、赤ちゃんの小さな産声がひとつ響きました。

2月12日 1時42分 

男の子でした。病院でも、へその緒を切る役目だけはぼくに回ってきました。そして、女房がその赤ちゃんを自分の胸に抱きました。痛みからか?喜びからか?女房の目には光るものがありました。ぼくは、おめでとう!頑張ったね!ありがとう!よかったね!と、興奮して叫び続けていました。そしてぼくも思わず、うるうるしてしまいました。

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赤ちゃんの測定と先生の診察が終わると、ぼくはさっそく赤ちゃんを抱せてもらいました。まだ耳だってどれほど聞こえるのか分からないのに、ぼくはたくさん赤ちゃんに語りかけていました。まだ目も見えるはずが無いのに、アババババー!と言いながら、変な顔をして赤ちゃんをあやす真似をして過ごしました。深夜の病院なのにうるさくないかな?と少し気になりましたが、それでもぼくは、生まれてきたばかりのわが子と話し続けました。そして、ほんとうに感動で胸がいっぱいでした。

女房の頑張りももちろんですが、この赤ちゃんも命をかけておかあさんのお腹から出てきたのです。人間は、誕生の際に一生で一番の困難を克服すると、以前聞いたことがあります。もちろんそんな苦痛を覚えている人は、この世に一人もいないでしょうが、それでも今ここにいる誰しもが、ほんとうに大変な力を振り絞って誕生し、そして今ここにいるのです。

産後の処置を終えた女房の隣に赤ちゃんを連れていき、すぐに乳房を吸わせました。そのまま女房は、産後の休息を兼ねて3時間横になって休みます。ぼくたちは赤ちゃんのこと、そして家で待つこどもたちのこと、翌日から始まる入院生活のことなど、ゆっくりと静かに話して過ごしました。

4時過ぎに、女房と赤ちゃんは自分たちの病室に移っていきました。

朝が白み始める空の下、ぼくはこんな時間帯に久しぶりに車を運転して帰りました。途中で美しい朝焼けが焼けました。

ぼくは、赤ちゃんがぼくたちを選んでくれたことに感謝していました。決してこどもは、親の所有物ではない!ぼくはそう思うのです。ぼくたちは、この新しい命を自由なままに優遇しなければなりません。ぼくたちが大切だと思える重要事項については、きちんと伝える義務があります。いくらこどもがかわいくても、それを放棄しては親として失格なだけではなく、こども自身が親を信頼しなくなります。

しかし、ぼくたち大人でもともすれば忘れがちなルールについては、こどもに強要する必要は全くないと思えるのです。きちんと判断する力をつければ、こどもたちは自分自身で、だらし無いと~さん以上にきちんと選択します。

ぼくはこの新しい天から預かった命が、わが家の新しい大切なゲストが、将来自分らしくきちんと自分の足で立ち、この世の中を生き抜く力をつけるサポートをしていけるばいいと考えています。

そんなことをもう一度自分自身に言い聞かせながら、ぼくはハンドルを握っていました。一睡もしていなかったのに、全く眠たさは感じませんでした。

あまりにも気持ちのいい朝でした。

※この日から、ぼくは3週間の育休に入っています。今は大好きな家事と育児に没頭する毎日です。なかなかブログを楽しむ時間がありませんが、今は、今しかできないことを精一杯楽しみたいと思っています。なかなか皆さんのところにも伺えないにも係わらず、毎日たくさんの方々からのコメントをいただき、ほんとうにありがとうございます。そろそろ落ち着いてきましたので、徐々に皆さんのところへも遊びに行きたいと考えていますので、そのときはまた、どうぞよろしくお願いいたします
(^人^)