宮間 あや の、高校時代。 | 宮間文夫 オフィシャルブログPowered by Ameba

宮間 あや の、高校時代。

あや が中学三年生の時進路について学校で担任の先生と話し合いました。


千葉県の大網白里町から、当時 東京都稲城市までトレー二ングに通っていたし、高校に進学したとしても、通う予定でしたので、上りの鉄道沿線の学校で、あや が受験できるところを探し、千葉県立幕張総合高校に進みました。


また、私との不思議なご縁をお話しいたしますと、この幕張総合高校のある場所は、私が生まれ育った、現在の千葉市花見川区検見川町の近くで、私が子供の頃は海であった場所です。


しかし、あや は、べレーザを退団しておりましたので、その後は大網と幕張の通学という事になりました。


あるとき、学校から父兄に対して呼び出しがありまして、私が参ったのですが、応対された先生が、なんと、八千代高校のサッカー部の監督であったはずの今泉先生でした。


そののち、今泉先生のクラスに あや が、入るのでした。


その頃の あや は、日本代表候補として、合宿には参加させて頂いていました。しかし、身体能力の点やLリーガーでない、という点をハンデにされていたようです。


その時の あや は、解放感やら恩師との再会やらで自由に過ごしていたように思います。


次回は、岡山湯郷ベルが地域リーグからLリーグに昇格していく過程や、今泉先生が女子サッカーに関わるようになり、U19の代表監督として、あや の指導にあたって頂いた事を書きます。