元気、ですか?焦らず、地道に一歩、一歩、の積み重ね。 | 宮間文夫 オフィシャルブログPowered by Ameba

元気、ですか?焦らず、地道に一歩、一歩、の積み重ね。

今は、どうかわかりませんが、 あや が、読売通ってた当時、芝生のグランドがあって、クラブハウスがあって、道を挟んで、人工芝のグランドがありました。


私が、セレクションのようなゲームに出たときは、昭和47のことですが、その場所が全部芝生で、右側をモノレールが、はしっているだけでしたが、私なりに、運命のいたずらを感じています。


と、いうのも、あとで、いろんな人と話しをして、きずいたのですが、私が、習志野高校の二年生の年、国体の少年の部が、単独高校では、出場できなくなり、選抜チームでの出場で、会場が、岩手県遠野市でした。


私は、希望のチームに、御縁が無かった為、スパイクをぬいでしまいましたので、国士舘大学では、全く、サッカー関係とは、接触がありませんでしたので、分からなかったんですが、当時、国士舘大学、まして、遠野高校出身の方が、読売の基礎を創ったそうです。


あや が、読売ベレーザ、恩師の、本田美登里さんが、国士舘大学出身で、読売クラブの創生期の、遠野高校

出身の方々と、関係のある人だなんて、まっ、私、一人で、運命のいたずらを、感じているのかな?