晴天の心。 | 宮間文夫 オフィシャルブログPowered by Ameba

晴天の心。

読売の監督と約束をして、 あや の移籍が成立したので、私は約束を守って、一切、あや に、サッカーの話しは、しませんでした。


ある日、あや が、べレーザのユ二フォームを見せて、お父さん、わたしべレーザに昇格したよ。と、嬉しそうに話してきました。


その時、私は、あっ、そう。と言うだけでした。ほんとうは、 あや がんばったな、と、抱きしめてあげたいくらい、うれしかったんですけれど。


まさか、監督が、代わり、まったく、出場の機会も与えられなくなるなんて、予想もしていなかったので。


それなら、前の監督との約束なんか、真面目に守らないで、普通の親子の団欒を楽しんでもよかったかな?


私、みやま文夫は、勝手に、人は、結構、後で思うといい加減な約束でも、命がけで、守ってしまう癖がありまして、今回の県議選も、そうでした。


今度の監督さんは、下部組織のコーチから昇格された方で、あや に対するアドバイスは、アピールでした。ゲームを見に行くと、よく、ベンチの脇で、出場の機会を得ようと、監督を見ながらアピールしている、けなげな、あや の姿を、よく観ました。


とにかく、人を蹴落としても、自分が良ければいいんだ。そうしなければ、この世界では生き残れない。そうゆう環境だったそうです。


そのころのベレーザは、きら星のごとく、スター選手がそろい、まして、下部組織からの、生え抜きの選手を優先的に起用する監督でしたので、全くといっていいほど、 あや の出番はなくなりました。


しかし、練習は、太平洋の九十九里から、東京都の稲城市、まで通い、内容は、走りだけ、という日々が、続いたそうです。


当時、家で、よく泣いている あや の姿を見て、声もかけてあげられない無念さを、あじわっていました。


今回は、思い出して、辛いので、ここでやめます。続きは、また書きます。