今晩は、女子ワールドカップの初戦、二ュージーランド戦です。
あや は、とにかく、監督さんに、ひっついて、あれはどうだ、これはどうだ、と、ゲームが終わってから、聞いていました。
あや の、気持ちとしたら、当時、女子では、抜群の知名度をもつ、読売のユ二フォームを着て、メジャーな監督の指導のもと、ゲームに参加させてもらえるのだから、天にも昇る思いだったのでしょう。
ですから、太平洋の九十九里から、片道、3時間半かけた練習場への往復と、厳しい練習は、楽しいものだったと、おもいます。
私に、あや には、一切、サッカーの事は言わない条件で、移籍を承諾してくれた監督は、その時の選手の状態で、メンバーを決めて、ゲームをおこなっていました。
あや にとっては、幸い、出場の機会も多く与えられましたので、益々、水を得た魚のように、生き生きと、生活し、また、成長していった時期でした。
数々の大会で、優勝し、チームメイトの信頼も、田舎者には、めずらしいほど、つかんでいました。
結果的には、その監督の指導のもとでの、最後の大会を、栃木県に見に行きました。
アンダー18の、全国大会の決勝戦、相手は、大阪府の代表チームでした。
両チームとも、譲らず、延長戦に入り、当時、サドンデス方式を採用するゲームがあり、この大会も、採用したと、記憶しております。
左中盤やや内側でボールをもった、イッシーが、右サイドを駆け上がる あや を見て、あや 頼む、とばかりに、気持ちをこめたミドルパスを送りました。
スタンドの私からは、イッシーの気持ちが手にとるように、わかりました。
そのボールは、前に出てきた相手キーパーと、飛び込んだ あや の間に落ちました。
一瞬早く、あや が、ボールに触り、ボールは無人のゴールへ吸い込まれていきました。
キーパーと あや は、ぶつかって、しばらく、起き上がれませんでした。
きっと、 あや は、イッシーの気持ちに、応える為、体を張ったんだと思います。その結果、全国優勝の栄冠をチームにもたらす事ができたんだと、思います。
イッシーは、 あや とは違い、都会派の素敵な女性で、その後はロンドンでプレイしたり、ロック歌手としても活躍したり、ちょっと前までは、L2のチームをL1に上げて、エースとして、活躍していました。
心のある、素晴らしい女性です。今でも、あや との友情に変わりは無い筈です。
その大会で、あや は、MVPの賞をいただき、卓球の福原愛さん達と一緒に、オリンピック強化指定選手に選ばれたのでした。
しかし、この大会の後、監督が変わり、 あや にとっては、地獄の日々といっても過言ではない毎日が待っていようとは、想像もつくはずがありませんでした。
次回は、あや の、血反吐をはくような、葛藤の時代から、書きます。