なでしこジャパンのワールドカップドイツ大会での健闘を祈っています。
前回の続編です、あや は、試合に出れるようになると、益々練習に熱が入ってきました。
そして、土日祭日の試合では、リーダー的存在になっていきました。
小学校五年生の時、あや のサッカー人生における、最高の人との出会いが待っていたのです。
それは、なにかの雑誌の広告にたいする応募だと思うのですが?
というのも、私はその事は知らず、あや とおねえちやんと妻が出したハガキが、事の始まりでした。
それは、まず、ハガキによる抽選に当たって、それから、実技試験を何度か通過すると、女子チームは十八
人だったと思いますが、アメリカ合衆国のカリフォルニア州サンディエゴで行われる、国際大会、ナイキサーフカ
ップにアンダー12のカテゴリーに出場出来る。というものだったんです。
ハガキをだしてからというものは、郵便屋さんがくる度に、みんなでポストに駆け寄る毎日でした。
運よく、当選のハガキを手にした時の家族の喜びようは、今でも覚えています。
さあ、これからは、私 みやま文夫の あや に対する本格的サッカー指導に入って行く訳ですが、何度の試験
をパスしたんでしょうか、とにかく、私は日本中の試験会場を付きっ切りでアドバイスしていました。
あや も真剣に取り組んでいました。実際は普段 あや がみんなと行っていた練習だったので、素直に入れた
と思います。一番の課題は、ゲームです。ほとんど、ゲームでの得点で、審査されるので、あや には人を生か
して、自分も生きるという考え方を伝えていたので、審査員にアピールするという事を理解させる事ができません
でした。 次回は あや にとってのサッカー人生での最高の人との出会いから書きます。