実母との関係について | かなり昔の小細胞がん(子宮頸がん)の話

かなり昔の小細胞がん(子宮頸がん)の話

2004年に子宮頸がん小細胞がんになりました。
かなり珍しい種類のがんなので治療方法とかを書いてます。
今更かよ~役にたたないよ~と自分でも思いますが・・・
再発しても生きてる人はたくさんいます。
自分が納得した治療ができるといいなと思います。

秋晴れが続く

 

私はあんまり実母と

仲が良くなかった。

ものすごく真面目で厳しい実母

押さえつけられるのが嫌いな私

よく衝突してたっけ(笑)

 

実母の考え方がわからなかった

理解不能な事がよくあった。

 

大人数の兄弟の長女に生まれ

背も高く太っていて

誰も逆らえない

 

時代背景を考えると

仕方ないのかなぁと思う

 

でもとにかく考え方を

押し付けられるのに

常に反発していた。

 

たまに仲良しの母娘をみると

うらやましいな

と思ったりするが

それは無理な世界だと

勝手に決めていた。

 

嫌いな人の介護をするために

遠距離で移動する。

よく実母は入院したので

その度に移動して手続き。

いやでいやで仕方なかった。

 

そして

「いやいや介護する自分」が

本当にいやだった。

なんて情けない

親の面倒をみるのが

こんなにいやだなんて・・

 

人としてどうよ


今だったら言えるけど

嫌なものは嫌だから

仕方ないさぁー

 

私ががんになって

抗がん剤を続けていた時

実母の様態が最悪になって

兄がやっと動き

(兄も実母とは仲が悪かった)

実母は私の病院の近くに

転院してきた。

 

もう長くない事が

わかっていたので

ほぼ毎日見舞いに行った。


実母は認知症になっていて

「そこのジャガイモを

持って帰りな」

「チョコレートがあるよ」

 

傾聴を全く知らなかった私は

「そんなものどこにあるの!」

「しっかりしてよ。おかあさん」

いい続けた。

つまらん娘だったなぁ(笑)

 

そして抗がん剤6クールが終了。

私は再発までの間が

そう長くない事を

み~さ先生から聞いていた。

それなら、元の生活に戻りたい。

 

「もうあまり、

お見舞いに来れないよ」

「じゃあ、私の足は誰が

マッサージしてくれるの」

毎日足をマッサージしていた。

糖尿病で切断したので

1本だけ残った足。

 

誰がマッサージするか?

そんなの知らんがな(笑)

 

それが実母との

最後の会話だった。

 

もっと

優しくしてあげればよかった

もっと

いろんな事を話せばよかった

 

今頃になって

やっと

実母が私のためを思って

いろいろしてくれたことが

思い出される。

 

ま、でもあのやり方じゃ

反発するよね

って思ったりもする(笑)

 

 

さて、あるブロ友さんに

会った時の事

彼女はいろいろな職業の人と接する

年は若いけれど

洞察力鋭いタイプ

 

E「都島さんもお母さんとは

仲が悪かったですか?」

都島「な、なんで?!」

 

E「子宮がんになる人は

どうも母親との関係が

すごく深すぎたり、

仲が悪かったりします。

どうなのかなぁと思って」

 

Eさんの母親は

Eさんが小さい時に

彼氏と蒸発していた。

友達のサバイバーの方達も

たまたまかもしれないけれど

「あまり仲良しではない」

 

そして、もがく

どうして私は他の親子のように

仲良くなれないのか

優しくして

あげられないのか


私が親にならなかったからか

子供がいないからか

 

こんなに尽くしているのに

なぜ なぜ なぜ

 

どーしようもない事はある


人類全員と仲良くなるなんて

絶対に無理(笑)

 

たまたま

それが実母だった

そう それだけの事

 

だから自分にできる事を

それなりに やればいいんだよ

自分で自分に

ダメ出しする必要なし

 

もちろん

普通の関係の人たちもいる

全員が仲が悪い訳じゃない


でも多かれ少なかれ

実母との関係に

悩む人はいる

 

悩んでも仕方ない

だって 

自分は自分で

実母は実母だから

 

あなたはよい娘ですよ

良すぎるくらい


それは

私が保証します

 

夜景はいいよね