お灸の痕 | かなり昔の小細胞がん(子宮頸がん)の話

かなり昔の小細胞がん(子宮頸がん)の話

2004年に子宮頸がん小細胞がんになりました。
かなり珍しい種類のがんなので治療方法とかを書いてます。
今更かよ~役にたたないよ~と自分でも思いますが・・・
再発しても生きてる人はたくさんいます。
自分が納得した治療ができるといいなと思います。

私は緩和ケア病棟でボランティアをしています。

お茶を出したり患者さんと雑談したり。

 

ひなさんは80代。キリっとした小柄な方。

お茶の時間に紅茶を運んだ。

ひな「あら、まあ、こんなにしてもらって悪いわね」

都島「いえいえ。ゆっくりなさって下さいね」

ひな「私はこの裏に住んでいたのよ」

都島「ああ、そうなんですか」

本当は違う場所だけれど

近くに川も流れていないけれど

ひなさんにはそれが現実。

 

ひな「私には体の弱い弟がいてね。

 私の母は弟につきっきりだったの。

 今思うと私は寂しかったのね。

 もっと母にかまって欲しかった。

 だから一生懸命勉強したり

 運動会でがんばったりしたの。

 でも全然母は褒めてくれないの。

 弟ばっかり可愛がって。

 だから私もひねくれてね。

 いつも母に反抗してた」

 

都島「お母さんに

 褒めて欲しかったんですね」

 

ひな「そうなの。でも全然ほめてくれないの。

 いつも腕にお灸をすえられていたのよ。

 もぐさってわかる?

 あれにお線香で火をつけて。

 私は腕にお灸の痕がたくさんあって。

 恥ずかしかったわ」

 

都島「半袖を着るとわかりますよね」

ひな「そうなのよ。イヤだったわ。

 そのうち他の兄弟とも

 ケンカばかりするようになって。

 全部母親にかまって欲しかったからなのね。

 いまならそれがわかるの。

 でも昔はわからなかった。

 みんなとケンカばかりしていたわ」

 

ひなさんにはお見舞いや付き添いがない。

そんな方もいる。

それぞれ生きざまが違う。

 

ひな「ここに来てから

 こんなに皆さんによくしていただいて

 本当に有難いわ。

 母親も父親ももういないけれど

 兄や弟にも謝りたいの。

 私は反抗ばかりしていたって。

 申し訳なかったって思うのよ」

 

ひなさんはお父さんが大好きで

いつも二人で御馳走を食べに行った。

楽しかった思い出がたくさんある。

 

でも最後にはやはり同じ話。

ひな「母に可愛がって欲しかったの。

 抱きしめてもらいたかった。

 私も反抗していたから

 仕方ないわね」

 

心に残っているお灸の痕。

ひなさんは 自分で

少しずつ ちょっとずつ

消そうとしている。