昨日、認知サポーターとして、Eさん宅を訪ねた。

  Eさんとのお付き合いは4年余りになる。

  Eさんがアルツハイマー型認知症と診断された初期のお歳は

  はっきりとは知らない。

  この4年余りの間の病気の進行は、比較的緩やかだと感じていたが、

  最近幻覚や幻聴の傾向が、強くみられるようになった。

 

  91歳のEさんの介護を担っているのは、長男さん。

  長男さんは近くに家をもち、朝早くEさん宅に行かれ

  そこで仕事をしながら、Eさんの介護をされている。

 

  昨日、長男さんが30分ほど家を空けられ

  Eさんが一人で留守番をされていた。

  一人になっているという意識が、彼女を不安にさせていたのか

  私たち(2人で伺う仕組み)が部屋に入ると、

  「今さっきまで、そこに3人の人がおってね、いつのまにか

  いなくなったので、どうなったんかと心配で・・・

  あなたたち、そこに人がいるのが見えない?」

 

  Eさんは若い頃、進取の気性に富んだ方だったようで、

  女性が運転免許を取るのは、珍しい時代に取得されたり

  3人の男の子を育てながら、経理学校に通って

  大きな料亭の経理の仕事をしたのち

  自宅で70歳近くまで、そろばん塾をされていた。

 

  そんなしっかり者の母親をみてこられた息子さんは

  認知が進んだ母親を受け入れられないのかもしれない。

  Eさんが言われることに対して、「あんた何をいっとるんじゃ。

  ここの家にはあんたとわししかおらんじゃろ!」

  「そんなにガミガミ言われたら、頭の中が変になるけえ。」

 

  Eさんとお話していて感じるのは、わずかに残る記憶というものの不思議さ。

  Eさんはご主人の介護を、5年間一人で担った後見送られた。

  ご主人の葬儀では、ずっと泣き崩れておられたそうなのに

  私たちは、ご主人の話を聞いたことはない。

 

 

  幼い頃、お父さんが軍人だったため、朝鮮に住み

  お父さんが出勤されるときには、馬蹄さんが馬をひいて迎えに来られ

  家には、ねえやさん(女中さん)がいたこと。

  その当時、一般朝鮮人の家には風呂がなかったため、

  道を隔てた向こうの朝鮮人の子供さんたちを

  お父さんが家に連れてきて、お風呂にいれてあげられたことなどは

  よく覚えておられ、繰り返し話される。

  終戦時、お母さん、弟3人で引き揚げてこられ

  その後の暮らしは大変だったこと。

  「戦争は嫌じゃねぇ。戦争したらいけん」と繰り返される。

 

  Eさんと話していて、人間の記憶に最期まで残るのは、

  何なのだろうとつくづく思ってしまう。

  Eさんにとって、大切な人は親族以外にも数々おられるはずだが

  今のEさんの記憶という世界に住まう人は、ほんの少し。

  

  きっとEさんはお父さんが大好きで、尊敬の意識が

  心の奥底に残っているのかもしれない。

 

 

  2025年には65歳以上の高齢者の5人に一人が認知症に罹ると

  言われている今、認知症になっても穏やかに暮らせる世の中に

  なっていますように。