今日の京都5月27日(月) | 都のかほり日記

都のかほり日記

京都、奈良、滋賀、神戸、東京。私のテリトリーです。
そこでのさまざまな出会いを綴っています。
仏像が大好きで、美味しいもの、スィーツ、美しいものが大好き。あちこちと出没しています。

おはようございます。
5月も最終週となりました。6月の声が聞こえてきました。6月第1週には今年の祇園祭長刀鉾のお稚児さん、禿さんの発表があります。
そろそろ、祇園祭が動き出します。





昨日は、祇園祭放下鉾の粽作りがありました。
粽作りとは言っても、最初から作るわけではありません。粽は全山鉾町の内、半数ほどが京都市北区上賀茂深泥池(みぞろがいけ)周辺の農家や京北町の農家などにを委託して作っていただいています。
粽はわらを笹の葉でくるみ、その葉にイ草を巻き付けて作られます。その粽にそれぞれの山鉾の化粧紙を粽に巻き付けます。













これをちまきの化粧紙の取付けと言っています。
この化粧紙(のし紙)を取り付けたうえに、護符などをつけるところもあります。
そうして出来上がった粽を袋に入れて完成です。

祇園祭で授与される粽の材料の入手、担い手不足を何とか食い止めようと、3年ほど前から部分的な機械化によりチマキの伝統を守ろうと、プロジェクトが立ち上がっています。
そのうちの一環として、作業の一部の機械化が成功しています。
この厄除けチマキ保存会のことは、先月歳時記に掲載しました。

また、この厄除けチマキ保存会のことは、京都新聞に掲載されていたので、ご覧になられた方も多いのではないでしょうか。

https://youtu.be/Flq6DQDUyEI?si=ElzRcy8p4XQEjcGY


プロジェクトの詳細はこちらをご覧ください。
現在、クラウドファンディングが行われています。
また、ご協力をよろしくお願いいたします。

https://the-kyoto.en-jine.com/projects/yakuyokechimaki

祇園祭では、厄除け粽を多くの方が求められます。昨年はどこの山鉾でも、売り切れ続出でした。
その粽にも、お渡しするまでには、こんな裏話があると知っていただければ嬉しいです。

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さて、今日は、「百人一首の日」です。
1235(文暦2/嘉禎元)年のこの日、藤原定家によって小倉百人一首が完成されました。藤原定家の「明月記」の文暦2年5月27日の項に、定家が親友の宇都宮入道蓮生(頼綱)の求めに応じて書写した和歌百首が嵯峨の小倉山荘(嵯峨中院山荘)の障子に貼られたとの記述があり、この記事が小倉百人一首の初出ではないかと考えられています。
『予本自不知書文字事。嵯峨中院障子色紙形、故予可書由彼入道懇切。雖極見苦事憖染筆送之。古来人歌各一首、自天智天皇以来及家隆雅経。』

さて、明月記の文章は読みようによっては、選んだのは「彼の入道」つまり頼綱であって定家は単に書いただけとも読めます。しかし現在の定説としては、やはり百人一首を選んだのは定家本人であり、この記事より少し前に選定が終わっていたと考えられています。
藤原定家は新古今和歌集の撰者として知られていますが、必ずしもこの和歌集に満足しておらず、改めて百人の歌人の歌を一首ずつ選ぶというこの「百人一首」を編集したとも言われています。

【藤原定家とは】
藤原定家



出典Wikipedia
1162-1241 鎌倉時代の公卿(くぎょう),歌人。
応保2年生まれ。藤原俊成(としなり)の子。母は美福門院加賀。正二位,権(ごんの)中納言。京極中納言とよばれる。父の指導をうけ,後鳥羽(ごとば)院歌壇で活躍。「新古今和歌集」「新勅撰和歌集」の撰者となり,「小倉百人一首」も撰した。「源氏物語」などの古典の書写,校訂にも大きな功績をのこす。仁治(にんじ)2年8月20日死去。80歳。法名は明静。日記に「明月記」,家集に「拾遺愚草」,歌論書に「詠歌大概」など。

出典デジタル版 日本人名大辞典+Plus

この定家の歌風は『近代秀歌』で、自分の歌を「余情妖艶の体」と、また『毎月抄』では「有心体」と称しています。幽玄・妖艶、象徴的な歌風といえます。

【藤原定家の子孫】



定家の子孫として、同志社大学今出川キャンパスの側の冷泉家が有名です。
定家の子孫は御子左家(嫡流は別名二条家とも)として続きましたが南北朝時代から室町時代にいたる戦乱により嫡流は断絶してしまいました。御子左家の分家である冷泉家は現在も京都に於いて続いており、この系統からは4家の羽林家(上冷泉家、下冷泉家、藤谷家、入江家)を輩出したことでも知られています。
冷泉家

【定家神社】



群馬県高崎市下佐野町に、藤原定家を祭神として祀る定家神社があります。最寄り駅は上信電鉄上信線・佐野のわたし駅です。
伝承によると、定家は源雅行との間で起こした揉め事が原因で上野国へ流罪となり、それが許されて京へと戻る際、自刻像と持念仏(観音菩薩像、3寸)を村人たちに贈りました。これを神体として作った祠が定家神社の始まりであると言われています。また、「駒とめて…」の歌に見える「佐野」という地名にあやかり、江戸時代になって当地の文人らによって定家が祀られたという言い伝えがあります。定家が詠んだ「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに焼くや 藻塩の 身もこがれつつ」の恋歌から、恋愛成就の御利益があるとされています。

出典Wikipedia

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百人一首の中で、どの歌がお好きでしょうか?
私は最初に覚えた小野小町の
「花の色は 移りにけりな いたづらに 我身世にふる ながめせしまに 」が好きです。

百人一首一覧

http://www.hyakunin.stardust31.com/gendaiyaku.html

【百人一首といろはかるたの違い】

百人一首をかるたとも言います。
その違いはなんでしょうか?

百人一首かるたといろはかるたはそれぞれに起源があり、歴史も違います。
日本で初めに「かるた」として成立したのは百人一首かるたです。その詳しい起源は明らかにはなっていませんが、日本で昔からあった貝合わせや歌貝が元になったなどと言われています。いずれにしろ元禄(1688-1704)・享保(1716-1736)時代のかるたも現存していることから、その頃には既に流行となっていたようです。明治時代になると東京カルタ会が創設され、全国的な大会も行われるようになりました。戦後は一時遊ばれなくなりましたが、現在でも全国大会が開かれるなど日本では根強い人気を誇っています。
いろはかるたの歴史は百人一首かるたとは対照的に大変新しく、幕末・嘉永(1848-54)の頃に生まれたと考えられています。いろはかるたは関西で生まれ、後に江戸に伝わったもので、内容も東西で違いがあります。
ちなみに、「カルタ」という名前はポルトガル語で「カード」を意味する「carta〔カルタ〕」がそのまま日本に伝えられたとされています。

日本文化いろは辞典
http://iroha-japan.net/iroha/B04_play/06_karuta.html 

【百人一首を使った競技かるたとは】

映画「ちはやふる」上の句と下の句、結びですが、ここでは、百人一首を使った競技かるたが舞台となっています。

競技かるたとは

http://www.ntv.co.jp/chihayafuru/word.html 



映画「ちはやふる」で舞台となった近江神宮に参拝される方も多いとか。
http://chihayafuru-movie.com/sp/ 
【京都を詠った百人一首】
⚫︎ 喜撰山(京都府宇治市)
わが庵は都のたつみしかぞ住む世を宇治山と人はいふなり
喜撰法師

⚫︎京都御所(京都市)
天津風雲の通ひ路吹とぢよ
乙女の姿しばしとどめむ
僧正遍照

⚫︎小倉山(京都市右京区)
小倉山峰のもみぢばこころあらば今ひとたびのみゆき待たなむ
貞信公

⚫︎河原院現在の渉成園【京都市下京区)
八重葎しげれる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来にけり
恵慶法師

⚫︎京都御所(京都市)
みかきもり衛士のたく火の夜はもえ昼は消えつつ物をこそ思へ
大中臣能宣朝臣

⚫︎大覚寺内名古曽の滝跡。(京都市右京区)
滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞えけれ
大納言公任

⚫︎天橋立(京都府宮津市)
大江山生野の道の遠ければ
まだふみも見ず天の橋立
小式部内侍

⚫︎京都府宇治市
朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代
権中納言定頼

⚫︎京都御所(京都市)
心にもあらでうき世に永らへば恋しかるべき夜半の月かな
三条院

⚫︎上賀茂神社ならの小川(京都市北区)
風そよぐならの小川の夕暮はみそぎぞ夏のしるしなりける
従二位家隆

⚫︎御所 百敷は御所のこと(京都市)
百敷や古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり
順徳院

【嵯峨嵐山文華館】



また、京都には、小倉百人一首についての展示施設があります。
2006年に百人一首専門ミュージアムとして誕生した「小倉百人一首殿堂 時雨殿」が名前も新たに「嵯峨嵐山文華館」としてリニューアルオープンしています。

嵯峨嵐山文華館は百人一首や日本画など、嵐山や京都にゆかりのある芸術・文化を幅広く紹介するミュージアムです。

誰もが一度は遊んだことのある「小倉百人一首」は歌人・藤原定家が嵯峨嵐山文華館よりほど近い小倉山の邸宅にて撰んだと言われています。
常設展「百人一首ヒストリー」では、定家から、漫画やアニメで人気の競技かるたまで、百人一首の歴史を所蔵品や動画を使ってわかりやすく解説しています。

アクセス
* 山陰本線(嵯峨野線)で嵯峨嵐山駅下車、徒歩14分
* 阪急の場合
* 嵐山線で嵐山駅下車、徒歩13分
* 嵐電(京福電鉄)での場合
* 嵐山本線で嵐山駅下車、徒歩5分
ホームページ
http://www.samac.jp/

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新しい1週間の始まりです。生憎の雨のところも多いと思います。雨の日は雨を楽しむといたしましょう。
どうぞ、今日もお元気で笑顔で楽しい1日でありますように!
行ってらっしゃい!

【今日の京都令和6年5月27日(月)】(No.3479)


※掲載の情報等が変更になる場合があります。お出かけ前にご確認ください。

中止になっている行事もあります。
お出かけの際にはご確認の上、お出かけください。

https://ja.kyoto.travel/news/format.php?id=143

○ 春の特別公開(〜6/30)/宝厳院

○ 伏見名水スタンプラリー(〜5/31)

○ 春の特別拝観(〜6/2)/相国寺
 

○ 御土居の青もみじ(〜6/30)/北野天満宮

○ 霊宝館春季特別公開(〜5/31)/清涼寺

○春の特別拝観(〜6/16)/瑠璃光院 

○ 新緑特別拝観(〜5/31)/妙覚寺

○ 貴船の川床(〜9/30)

○ 鴨川納涼床(〜9/30)


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