今日の京都3月11日(月) | 都のかほり日記

都のかほり日記

京都、奈良、滋賀、神戸、東京。私のテリトリーです。
そこでのさまざまな出会いを綴っています。
仏像が大好きで、美味しいもの、スィーツ、美しいものが大好き。あちこちと出没しています。

おはようございます。
今日もまた、新しい朝がやって来ました。
今日は、あの東日本大震災から13年目です。
13年前の3月11日午後2時46分、
どこでなにをなさっていましたか。
あの日も金曜日でした。
私の住んでいる場所は、
震度5弱でした。
仕事中でした。
自宅とか家族よりも仕事が優先で、家族の確認はできませんでした。

交通機関はマヒ、ガソリンの不足。
食料品は、店頭から消え、計画停電。
東北の方々からすると、何てこともないことでした。



あのとき、日本の国中がいろいろなことを考えたはずです。それまでの生活の反省。原発のこと、エネルギーのこと。
節電に励んだし、車にも乗らず自転車や徒歩。街中が薄暗く、静かでした。
でも、いつのまにか震災前に戻っていました。そして、私たちの脳裏からも、ほんの少しずつ、記憶が薄れていっています。でも、被災地は、まだまだ復興とはほど遠いところもたくさんあります。福島原発もまだ先の見えない状況です。
こうして、3月11日が近づくと、報道でも取り上げられ、罪悪感を感じながら過ごしてしまいます。
今、できることは忘れないこと、語り継ぐこと。
具体的なボランティアではなくても、被災地の商品を購入することでも支援のひとつかと思います。
自分にできることをこれからもしていきたいです。

そして、今年1月1日に起こった能登半島地震。2月から千葉県沖での群発地震。
起こって欲しくないけれど、何かの時のために、防災について考え、家族で話し合い、生き延びるための対策や備蓄をしましょう。
最近は移動が多いので、移動中に何かあったらと、バックの中にミニ羊羹などを持ち歩いています。


そういえば、2月14日、京都で震度4の地震がおこり、翌日も地震が起こりました。
過去の京都の地震を振り返ってみましょう。

【京都の地震】

京都市は内陸活断層の密集する地域にあり、過去数10万年の間続いている活断層の運動で形成された都市であり、規模の大きな地震が発生し強振動を経験する頻度が高い都市です。

長期間にわたり都であった京都は、歴史の資料が豊富な場所です。歴史の資料で知られている最も古い京都府の地震は、701年の地震(規模不明)です。この地震により若狭湾内の島が山頂のみを残して海中に没したとの記述がありますが、基となった歴史の資料は後世のものであり、信憑性は乏しいと考えられています。陸域で発生した地震で、京都府での確実な被害地震の記録は、M6.7以上と推定されている976年の地震からです。この地震では、京都府南部や滋賀県で死者50名以上などの被害が生じました。慶長伏見地震と呼ばれると1596年の地震(M71/2)では、被害は畿内に広く分布し、特に、京都では三条から伏見の間で被害が最も多く、伏見城天守が大破し、石垣が崩れて約600名の圧死者が生じました。最近の調査によって、この地震は有馬-高槻断層帯で発生した地震であると考えられています。その他に、827年(M6.5~7.0)、1830年(M6.5)などにも被害の記録がありますが、これらの地震がどの活断層に関係したものであったかは分かっていません。明治以降では、丹後半島を中心に甚大な被害を及ぼした1927年の北丹後地震(M7.3)が知られています。また、京都府中部の綾部市付近では、1968年の地震(M5.6)により、住家半壊1棟など局所的に被害が生じました。このような比較的規模の小さい地震でも、局所的に被害が生じたことがあります。
 1185年(M7.4)の近江の地震、「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」(M7.3)のように周辺地域の浅い場所で発生する地震や、1952年の吉野地震(M6.7、深さ約60km)のように沈み込んだフィリピン海プレート内で発生する地震、南海トラフ沿いで発生する巨大地震によっても京都府内で被害が生じたことがあります。さらに、京都府の北部は日本海に面しており、「昭和58年(1983年)日本海中部地震」(M7.7)など日本海東縁部で発生する地震によって、津波による被害を受けたことがあります。

出典
http://www.jishin.go.jp/main/yosokuchizu/kinki/p26_kyoto.htm 

慶長伏見地震では、あの豊臣秀吉が腰を抜かしたという地震です。


******************************************************************************************************************************************************

また、今日は2010年 に日本の農林水産省が「ため池百選」を選定しました。
この「ため池百選」に京都市の広沢池が入っているのをご存知でしょうか。
広沢池(ひろさわのいけ)は、京都市右京区の嵯峨広沢町にある周囲1.3kmほどの池です。日本三沢(広沢池、奈良市の猿沢池、宇佐市の初沢池)の一つにも数えられす。別名遍照寺池(へんしょうじのいけ)とも呼ばれます。




このため池百選の選考基準は、次の5点のうちいずれか1つ以上が優れていることが評価基準となっています。
* 農業の礎
* 歴史・文化・伝統
* 景観
* 生物多様性
* 地域とのかかわり

広沢池は1969年に古都保存法の歴史的風土特別保存地区に指定されています。池の西側には池へ突き出るような形の小さな島があり、観音島と呼ばれ、橋が架けられています。島の内部には石像の千手観音が祭られ、先端には弁天堂もあります。現在は鯉の養殖が行われています。




平安時代の中期、989年(永祚元年)に遍照寺の建立にあわせ庭池として本堂の南に造営されたとも言われています。異説として、嵯峨野一帯を開墾した渡来系豪族の秦(はた)氏一族が溜池として造ったとも言われています。
平安時代に作られた池は、遍照寺と共に廃れて行ったが明治時代に、地元の人々の協力で修復されました。

古来から観月の池として知られ、数々の歌に読まれている。
歌に詠まれた広沢池
* 西行法師「やどしもつ 月の光の大沢は いかにいつとも 広沢の池」 
* 源従三位頼政「古の人は汀に影絶えて 月のみ澄める広沢の池」
* 薩摩守平忠度「あれにける宿とて月はかわらねど昔の影は なほぞこひしき」
* 松尾芭蕉「名月や池をめぐりて夜もすがら」
毎年12月には池の水位を下げコイを収穫する鯉揚げと呼ばれる行事が行なわれています。

【遍照寺とは】



遍照寺(へんじょうじ)は、京都市右京区にある真言宗御室派準別格本山の寺院。山号は広沢山。本尊の十一面観音は藤原時代の重要文化財に指定されています。




遍照寺十一面観音立像
「仁和寺と御室派展」より
成田山新勝寺を開いた寛朝が989年嵯峨広沢池の湖畔に創建した寺が始まりとされます。その後衰退し江戸時代文政年間(1818年~1830年)にようやく復興されました。

参考Wikipedia

広沢池周辺は、桜も綺麗です。あの佐野藤右衛門さんのお庭も側にあります。
これからの季節、お散歩にいいですね。

************************************************************************************************************************************
また、新しい1週間の始まりです。今週末の17日には彼岸の入りてす。春はもうそこまで来ています。
どうぞ、今日もお元気で笑顔で楽しい1日でありますように!
行ってらっしゃい!

【今日の京都令和6年3月11日(月)】(No.3402)


※掲載の情報等が変更になる場合があります。お出かけ前にご確認ください。

中止になっている行事もあります。
お出かけの際にはご確認の上、お出かけください。

https://ja.kyoto.travel/news/format.php?id=143

○ 泉涌寺涅槃会 /泉涌寺 



一般公開される大涅槃図は紙本極彩色で、大きさは、縦16m、横8mと日本最大。江戸中期に明誉古上人が描いたものです。 涅槃会法要は15日10時~。
日程3月11日~17日
時間9時~16時30分
拝観料:500円 
アクセス
JR・京阪電車 東福寺下車 徒歩約15分
市バス 泉涌寺道下車 徒歩約10分 

○ 北野天満宮 梅苑公開(〜3月下旬)

○ 梅苑ライトアップ(~3/19毎週末(金・土・日))

○ 第58回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開(〜3/19)

○ しだれ梅と椿まつり(〜3/22)/城南宮

○ 令和6年春の特別公開(〜3/24)「永々棟のひなまつり」


○春の人形展(〜4/3)/宝鏡寺

○涅槃図公開(〜4/7)/真如堂

○ 春の特別公開(〜6/16)/大徳寺塔頭 興臨院 

○ 小野梅園(〜3/24)/隨心院

#京の歳時記
#東日本大震災
#日本ため池百選
#広沢池
#遍照寺