今日の京都2月20日(火) | 都のかほり日記

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京都、奈良、滋賀、神戸、東京。私のテリトリーです。
そこでのさまざまな出会いを綴っています。
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おはようございます。
昨日、九州地方で春一番が吹いたと発表がありました。昨年と同じ日だったそうです。まだ、春一番の発表がないのは、東海、近畿、中国地方です。
昨日まで、季節外れの暖かい日が続いていましたが、今日から冬の空気と春の空気のせめぎあいで、場所によっては、引き続き春の気温のところもあるようですが、一気に冬に戻るところも多そうです。
お天気も菜種梅雨のはしりで、雨のところも多そうです。どうぞ、気温差にもお気をつけてお出かけください。満開の梅、河津桜や早咲きの桜など、気温急降下にびっくりするかもしれませんね。


冬の空気と春の空気のせめぎあい

出典日本気象協会


さて、今日2月20日は「 歌舞伎の日」です。
1607(慶長12)年のこの日、出雲の阿国が江戸城で将軍徳川家康や諸国の大名の前で初めて歌舞伎踊りを披露したことからの由来です。



四条大橋東詰にある出雲阿国像


【歌舞伎のこと】

歌舞伎の語源は「傾(かぶ)く」。流行の最先端をいく奇抜なファッション、世間の常識はお構いなしの「かぶき者」をまねた扮装で見せたのが、歌舞伎のルーツといわれる「かぶき踊り」でした。既存の考えにとらわれずに流行を取り入れ、人々を楽しませる――それは、歌舞伎がたえず受け継いできた精神なのです。


歌舞伎を成り立たせているのは、芝居、踊り、音楽。この3要素で楽しませることを追求し、一つの総合芸術にまで磨き上げてきました。面白いものを貪欲に取り込み、楽しませるための工夫や努力を重ねた結果が、歌舞伎を多彩なものにしました。江戸と上方(京都大坂)を中心に、各時代の観客の趣味嗜好を反映し、名優、名作家たちの活躍で新しいレパートリーを増やしながら今日の歌舞伎に至ります。お上に頼らず、市井の人々が育ててきたところに大きな特徴があります。

そのレパートリーは700以上で、基本は“ロングラン”。一つの作品に、俳優や裏方の数えきれない工夫が重ねられ、今現在の集大成が、目の前の舞台に広がっている――それが歌舞伎なのです。

「かぶき踊り」が出雲の阿国によって京都で始められたとされるのが1603(慶長8)年。ですから、歌舞伎にはすでに400年以上の歴史があります。ちなみに江戸で歌舞伎が始められたのは、現在の京橋に中村座ができた1624(寛永元)年といわれています。

かぶき踊りの人気を受けて、遊女を含めた女性たちの「女歌舞伎(おんなかぶき)」や、前髪の残る少年たちの「若衆歌舞伎(わかしゅかぶき)」が始まりますが、いずれも風紀を乱すという理由で幕府に禁止されます。そこで次に登場したのが、成人男性中心の「野郎歌舞伎(やろうかぶき)」。歌舞伎を男性だけが演じる過程で「女方(おんながた)」も生まれ、今日の歌舞伎の基礎ができ上がりました。

出典
http://www.kabuki-bito.jp/ginza_kabukiza/lets_kabuki/c_1/index.html

【京都南座】



京都で歌舞伎といえば南座です。
南座は、元和年間(1615~1623年)京都四條河原に公許された7つの櫓の伝統を今に伝える唯一の劇場です。
四条通りをはさんだ7つのうち、明治を迎えたのは南座と北座の2座のみで、明治26年に北座も廃座となり南座だけが歌舞伎発祥の現在地に残りました。





明治39年(1906年)白井松次郎、大谷竹次郎兄弟の松竹合名社が経営に当たります。そして大正2年に改築。さらに昭和4年、由緒ある櫓を備えた桃山風破風造りの豪華な劇場を竣工させ、以来激動の昭和期を通し京阪の代表劇場として多様な演目を取り上げました。とりわけ京の年中行事となった歳末の吉例顔見世興行は戦中も一度も絶えることなく続けられました 。
出典
https://www.shochiku.co.jp/play/minamiza/about/history.php

南座の横には「 阿国( おくに )歌舞伎発祥地の石碑 」があり、四条川端の交差点を隔てた北西には「 歌舞伎踊の祖、出雲の阿国の像 」があります。 






【歌舞伎由来の言葉】
⚫︎板につく
経験豊富な役者の芸が、舞台とうまく調和していることからきている。転じて、態度や物腰が、その人の職業や地位にふさわい状態を言います。

⚫︎一枚看板
歌舞伎の劇場前に掲げられた大きな看板のこと。そこに、主役となる役者の名前ではなく、姿を現す絵が描かれていた。
主に上方(京都や大阪など)の劇場で使われていた言葉。

⚫︎ 裏方
舞台の裏で、いろいろな仕事をする人の総称。道具方・小道具方・床山・衣装方・照明方などがある。
ここから転じて、表に出ないで、裏で実質的な仕事をする役割のことを言うようになりました。

⚫︎お家芸
歌舞伎役者の家に代々伝わる、得意とする芸。
特技や取り柄、長所などと同義ですね。歌舞伎に由来する同義語として「十八番」があります。

⚫︎大詰め
江戸時代の歌舞伎は2部構成になっていて、第一部の最後の幕のことを「大詰め」と呼んだ。

⚫︎御曹司
「曹司(ぞうし)」とは、もともとは、平安時代の役所にあった部屋のこと。やがて、貴族の邸内の部屋を表す言葉になった。
「御曹司」とは、名門貴族の子息のことを言っていた。
⚫︎極め付き
他の役者が真似出来ないほどの優れた芸のこと。「極め」は、「極書」や「極札」の略称。極書、極札とは、それが名品であることを表す証明書のこと。
⚫︎黒幕
歌舞伎の舞台で、夜の場面を表す時に用いる、黒い幕のこと。

⚫︎こけら落とし
「こけら」・・・材木を削った時に出るクズのこと

⚫︎捨て台詞
台本には無く、役者が臨機応変にアドリブで言う台詞。その場に応じて使い捨てる言葉のこと。
⚫︎千両役者
1年間で千両(約1億円)稼ぐ役者。最初の千両役者は二代目市川團十郎とされている。

⚫︎だんまり
暗闇(という想定)の中で、数人の役者が、互いに一言もしゃべらず、探り合いをしながら舞台上を動く演出。
⚫︎とちる
台詞を言い間違えたり、演技を間違えたりすること。

⚫︎泥仕合い
舞台に泥田(泥深い水田)を作り、その中で泥まみれで、争い合う演技を仕合うこと。

⚫︎なあなあ
内緒話の場面で、一方が「なあ」と言うと相手が「なあ」と返す演技。

⚫︎ノリ
お囃子(はやし=音楽)に乗って演技すること。

⚫︎花道
客席後方から舞台に繋がる道。主に役者の登場や退場に使われる。

⚫︎幕引き
幕を引くことで芝居の終結を表していた。

⚫︎見せ場
芝居の中で、最も重要な場面や盛り上がる場面。

⚫︎見せ場
芝居の中で、最も重要な場面や盛り上がる場面。

⚫︎めりはり
声をゆるめることと張ること。台詞の抑揚。

今では、当たり前のように使っている言葉が歌舞伎由来とはびっくりでした。

【歌舞伎の舞台の定式幕】

歌舞伎の舞台には、定式幕(じょうしきまく)という、三色に染めた布を縦に縫い合わせて作った引幕があります。どんなのか思い浮かばない方は、お茶漬け海苔の永谷園のパッケージに使われている色彩を思い出してください。




歌舞伎の舞台では演目や場面によって様々の幕が使われるが、定式幕は芝居の幕開きと終幕に使われる。「定式」とは「常に使われるもの」といった意味です。
この定式幕は、劇場によって違っているのです。

定式幕は江戸三座のあった時代にはそれぞれ配色が異なり、舞台に向って左から、中村座は黒-白-柿色、市村座は黒-萌葱-柿色、森田座(守田座)は黒-柿色-萌葱の3色を、それぞれ繰り返したものとなっていた。

式亭三馬が享和3年(1803年)に著した『戯場訓蒙図彙』(しばいきんもうずい)には定式幕について、「さかい町の芝居(= 中村座)は紺・柿・白の三色を用ひ来る。木挽町(= 森田座)と市村座は紺・柿・緑の三色を用ひて、白を用ゆる事なし」とあり、黒の部分は紺ともいわれていたことがうかがえる。濃紺は黒に近い暗めの青紫である。

○中村座式(黒-白-柿色)



出典Wikipedia

ある時幕府所有の巨船安宅丸の櫓を人足に漕がせる際に、初代中村勘三郎が櫓漕ぎの音頭を取って、その褒美に帆布を頂戴した。これを中村座の幕にしたのが定式幕の起りだといわれている。
平成12年(2000年)に公演を始めた平成中村座では、この黒-白-柿色の中村座式の定式幕を踏襲している。

○市村座式(黒-萌葱-柿色)



出典Wikipedia

六代目尾上梅幸によれば、中村座の定式幕は御船手組で使われていた日よけの幕を頂戴したものだともいう。その中村座の座元の娘が軒を連ねる市村座の座元のところへ嫁ぐことになった時、その縁で市村座でも中村座の幕を使うことが出来るようになった。しかし白は汚れが目立つので、のちに白の部分を萌葱に変えて使うようになったのだという。
昭和41年(1966年)に国立劇場が開場すると、その定式幕にはこの市村座式が使用されることになった。

○ 森田座式(黒-柿色-萌葱)



出典Wikipedia


今日一般に定式幕と呼ばれるものは、黒-柿色-萌葱の森田座の様式に倣うものが多い。これは歌舞伎座が使用する定式幕がこの森田座式を踏襲していることによる。明治のはじめに名興行師として知られた守田座改メ新富座の座元・十二代目守田勘彌は、一時期発足して間もない歌舞伎座に招かれてその諸事万端を司っていたが、歌舞伎座が建つ木挽町はかつて森田座がその中心となって栄えた芝居町だったことから、この歌舞伎座の定式幕に自らの森田座式をちゃっかりと転用した。以後年を重ねてもこれを怪しむ者が出てこなかったことから、これが歌舞伎座定式幕として定着し今日に至った。
京都南座の定式幕もこの幕を使っています。



この項出典Wikipedia

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どうぞ、今日も笑って、お元気で楽しい1日でありますように!
行ってらっしゃい!

【今日の京都令和6年2月20日(火)】(No.3382)


※掲載の情報等が変更になる場合があります。お出かけ前にご確認ください。

中止になっている行事もあります。
お出かけの際にはご確認の上、お出かけください。

https://ja.kyoto.travel/news/format.php?id=143


○ 北野天満宮 梅苑公開(〜3月下旬)

○ 第58回京の冬の旅 非公開文化財特別公開(〜3/19)

○ しだれ梅と椿まつり(〜3/22)/城南宮


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