今日の京都2月16日(金) | 都のかほり日記

都のかほり日記

京都、奈良、滋賀、神戸、東京。私のテリトリーです。
そこでのさまざまな出会いを綴っています。
仏像が大好きで、美味しいもの、スィーツ、美しいものが大好き。あちこちと出没しています。

おはようございます。
昨日も京都で地震がありました。しばらくは余震にもお気をつけてください。

今日は春一番と寒天の話で、長くなってしまいました。

気象庁は、昨日、関東地方で春一番が吹いたと発表しました。昨年(2023年)、関東地方で春一番が吹いたのは3月1日で、昨年より14日早くなりました。
また、北陸地方でも四国地方でも春一番が吹いたと発表されました。
北陸地方の「春一番」は、昨年2月28日より13日早く、四国地方は昨年2月19日より4日早い発表でした。

この春一番は、 1999年より「○○地方における春一番」と各気象台が発表します。その判断基準は各気象台により異なります。
気象庁本庁(東京管区気象台)のように、東京大手町(北の丸)単一地点のみにおける観測により、春一番かどうかを判断する気象台もありますが、北陸地方(新潟・富山・金沢・福井)や東海地方(名古屋・岐阜・津・静岡)などでは複数の地方気象台の観測によって判断を行っています。中国地方でも、具体的な観測地点は明示していないものの、「山陽で強い風が吹かないときでも、中国地方の春一番とすることがあります。」とあり、広島地方気象台以外の観測データも判断の材料としています。なお、2019年の北陸地方の春一番は北陸地方を管轄する新潟地方気象台より先に金沢地方気象台から発表されました。

この春一番は条件を、満たさなければ発表されません。

【春一番とは】

○春一番の定義
文字通り春の到来を告げる優しい風のように感じますが、海上は大シケで海難事故が発生し、空のダイヤも乱れ警戒を要する風でもあります。
春一番は北日本と沖縄を除く、地域で発表されます。
気象庁では立春(2/4頃、今年は2/3)から春分(今年は3/20頃)までの間に、日本海で低気圧が発達し、広い範囲(地方予報区くらい)で初めて吹く、暖かく(前日より昇温)、(やや)強い南よりの風(8m/s以上)としています。
(条件は地域ごとに少し違います。例:九州北部では風は7m/s以上など)
低気圧が発達しながら日本海を北上すると、南から暖かな風が低気圧に向かって強く吹き込み、季節外れの暖かな陽気となります。
たとえば、関東地方の「春一番」の条件は次の通りです。
(1)立春から春分までの期間
(2)日本海に低気圧がある
(3)強い南寄りの風が吹き気温が上がる(東京で8m/s以上の風で前日より気温が高い)
と、定義されています。

○春一番の由来
気象庁は「春一番」の語源について、石川県能登地方や三重県志摩地方以西で昔から用いられていたという例を挙げ、諸説があるとしています。
安政6年2月13日(1859年3月17日)、長崎県壱岐郡郷ノ浦町(現・壱岐市)の漁師が出漁中、おりからの強風によって船が転覆し、53人の死者を出して以降、漁師らがこの強い南風を「春一」または「春一番」と呼ぶようになったと言われています。一方、長崎県では、この事件以前から郷ノ浦町で「春一」と呼ばれていたものが、事件をきっかけに広く知られるようになったとしています。この故事により、1987年に郷ノ浦港近くの元居公園内に「春一番の塔」が建てられています。



写真出典

https://www.nagasaki-tabinet.com/islands/spot/100248

民俗学者の宮本常一は研究のために郷ノ浦町を訪れてこの「春一番」をいう語を採集し、1959年に壱岐で用いられている語として『俳句歳時記』で紹介しています。これをきっかけに、「春一番」は新聞などで使われるようになり、一般に広まったとされています。つまり、郷ノ浦町で使われていた「春一」または「春一番」は、この語の初出であるかどうかはともかく、現在広く用いられている「春一番」という語の直接の源であるということになっています。なお、「春一番」という語の新聞での初出は、1963年2月15日の朝日新聞朝刊での「春の突風」という記事であるとされ、このため2月15日は「春一番名付けの日」とされています。
一方、「春一番」という語の初出については、『池田市史 史料編』に収録された『稲束家日記』の天保2年1月11日(1831年2月23日)の記事には「晴天午ノ刻より雨、春一番東風」との記載が見られ、前記の転覆事件以前から長崎県外でも「春一番」という語が用いられていたことが確認されています。さらに、前出の宮本常一も1775年に刊行された越谷吾山の『物類称呼』に「ハルイチ」が掲載されていると指摘しています。
この項出典
Wikipedia

春の訪れを告げてくれる春一番ですが、春一番というと、やっぱりキャンデーズを思い出してしまいます。

https://youtu.be/RTipNzw4CiI

************************************************************************************************************************************

さて、今日は「寒天の日」です。
長野県茅野商工会議所と長野県寒天加工業協同組合が制定しました。
2005(平成17)年のこの日、NHKテレビ『ためしてガッテン』で寒天が取り上げられ、寒天が大ブームとなったことを記念して、とのことです。近年、食物繊維が豊富であらためて注目を集めている食材です。

この寒天といって、何を連想されますか。

昔は、棒寒天といって灰色の混じった白色のすかすかの棒状のものが売られていました。今はあまり、こういう形状のものは見かけることが少なくなっています。

【寒天とは】
寒天(かんてん)は、テングサ(天草)、オゴノリなどの紅藻類の粘液質を凍結・乾燥したもの。
乾燥寒天を冷水に浸し沸騰させて炭水化物鎖を溶かし、他の物質を加えて漉し、38℃以下に冷ますことによって固めます。寒天はゼラチンよりも低い、1%以下の濃度でもゲル化が起こる。一度固まった寒天ゲルは85℃以上にならないと溶けないため、温度変化に強く口の中でとろけることがありません。

【寒天の種類】
○棒寒天



以前は寒天といえば、この棒寒天でした。棒寒天は角寒天とも呼ばれる棒状の寒天で、充分に浸水させてから使います。粉寒天より下準備に時間がかかりますが、粘りのある独特の寒天の食感を存分に楽しめます。

○粉寒天



粉寒天は粉末状の寒天で、とても使いやすいのが特徴です。水に振り入れたら、煮溶かして使います。
現在は、簡単に使えるので、寒天といえば粉末を思い浮かべられる方が多いかと思います。

○糸寒天



糸寒天は、細い糸状の寒天で、作り方は棒寒天と同じです。もとから糸状になっているので、和え物に使ったり、麺に見立てたりして使うのに便利です。

【寒天の歴史】
江戸時代前期、山城国紀伊郡伏見御駕籠町(現:京都府京都市伏見区御駕籠町)において旅館「美濃屋」の主人・美濃太郎左衛門が、島津大隅守が滞在した折に戸外へ捨てたトコロテンが凍結し、日中に融けたあと日を経て乾物状になったものを発見した。試しに溶解してみたところ、従来のトコロテンよりも美しく海藻臭さもなかった。これを黄檗山萬福寺を開創した隠元禅師に試食してもらったところ、精進料理の食材として活用できると奨励され、その際に隠元によって寒天と命名されたという。
以上を寒天の起源とする伝承は複数の書物に見られるが、具体的な時期は諸説ありはっきりとしない。
1645年-1656年に成立したと推定される金森宗和の『宗和献立』に「こごりところてん」、虎屋の1651年(慶安4年)の記録に「氷ところてん」という記述があることから、起源はこのあたりではないかと考えられています。
1671年(寛文11年)刊の『料理献立集』に寒天を使用した精進刺身が載っています。菓子材料としては、1707年(宝永4年)の『御菓子之畫図』に寒天を使用した棹菓子が見られます。
その後、摂津国島上郡原村字城山(現:大阪府高槻市原)の宮田半兵衛が製法を改良して寒天製造を広める。1798年(寛政10年)には寒暖差の大きい島上郡・島下郡・能勢郡の18ヶ村による北摂三郡寒天株仲間が結成されており、農閑期の余業として寒天製造が行われました。寒天製造は1830年(天保元年)頃に隣接する丹波国へも伝播し、丹波国へ行商に来ていた信濃国諏訪郡穴山村(現:長野県茅野市玉川)の行商人・小林粂左衛門が1841年~1842年(天保12~13年)頃に諏訪地方へ寒天製造を広め、角寒天として定着しました。同地での角寒天づくりは21世紀の現在も続いています。

その後、1881年(明治14年)、ロベルト・コッホが寒天培地による細菌培養法を開発したため、寒天の国際的需要が増えることになりました。このため、第二次大戦前には寒天が日本の重要な輸出品だったのです。第二次世界大戦中は戦略的意味合いから輸出を禁止されたのです。
寒天の供給を絶たれた諸外国は自力による寒天製造を試み、自然に頼らない工業的な寒天製造法を開発したのです。こうして作られたのが粉末寒天です。第二次大戦後には日本でも工業的な製造法の研究が始まり、1970年(昭和45年)頃には製造会社が35社にまで達しました。しかし、2004年(平成16年)には5社ほどにまで激減しました。
日本では現在、上記の長野県茅野市のほか、岐阜県恵那市(旧山岡町)で細寒天がつくられています。

寒天の始まりが京都からであり、隠元が寒天と命名したとは驚きでした。
そして、1651年に虎屋さんの記載があるというのもすごいことだと思います。
そのとらやさんのホームページに寒天のことが書かれていました。

https://www.toraya-group.co.jp/toraya/small_stories/detail/?id=4


【寒天を使ったお菓子】
寒天を使った和菓子はたくさんあります。その代表選手は羊羹でしょうか?
とらやさんの小さなお話の中に、夜の梅について書かれている文章がありました。

○とらやさん
小倉羊羹『夜の梅』



菓銘は、元禄7年(1694)の古文書に見ることができますが、形や原材料については書かれていません。羊羹としての最初の記録は文政2年(1819)です。また、文久2年(1862)には原材料に小豆、寒天などを記した文書が残り、この頃には煉羊羹としてつくられていたことがわかります。
出典
とらやホームページ

○老松さん
夏柑糖



個人的に大好きなお菓子です。

純粋種の夏みかん果汁と寒天をあわせ、再び皮に注いで固めました。
戦後まもなく、もののない時代に、庭にあった夏蜜柑の果実に、少しの砂糖と寒天を合わせて、上七軒の数寄者のお客様方のためにお作りしたのが最初です。日本原産種の夏蜜柑の強度の酸を寒天で固めることは非常に難しく、約20年前に人工ゲル化剤が誕生するまでは、唯一の蜜柑の寒天菓子として、多くの方々のご愛顧を賜って参りました。ところが、昭和50年以降、グレープフルーツの輸入自由化等により、夏蜜柑は甘夏に作付け転換され、その姿がほとんど消されてしまいました。私たちは、原産地である萩(山口県)の各農家に依頼し、種の保存と品物の確保に努めて参りました。ゼリーではありません、寒天です。
毎年4月1日から販売されます。
出典
老松ホームページ

○亀屋則克さんの
涼菓 浜土産 (はまづと)



檜葉をあしらった磯馴籠(そなれかご)に入った蛤の貝殻を開けると、琥珀色の寒天の中に味噌風味の浜納豆が一粒。
海岸から遠く離れた京の町において、見るからに海辺のお土産の如く真夏でも日持ちするお菓子を、と
私どもの初代が考案し、いまに受け継がれている夏の涼菓です。
よく冷やして頂きますと、琥珀羹の甘さと納豆の味噌風味が調和して独特の味が広がります。
貝殻のなめらかな方へ爪を入れて開き、空いた殻ですくってお召し上がり頂いても面白みがございます。
夏限定です。

京都市中京区堺町三条上ル
出典
亀屋則克ホームページ

○ 亀廣永さん
したたり



祇園祭の菊水鉾のお茶席に出されるお菓子です。

腰の強い丹波の寒天、沖縄産の黒砂糖、阿波産の最高級和三盆、上質のざらめ、選び抜いた素材を使っています。そして京都のお水が決めてです。
菊水鉾のイメージがあり、夏限定と思われますが、通年販売されています。
京都市中京区高倉通蛸薬師上ル和久屋町359

○ 大極殿本舗 六角店 栖園
琥珀流し



食べる宝石とも評される琥珀流し。
寒天からできたデザートです。月によって変わる自家製の蜜と頂きます。寒天というと、あんみつに入っているような固めのものが多いですが、琥珀流しの寒天は固まる寸前を見極めて作られており、口に含むとほろっと崩れるほどの柔らかさです。毎月この蜜が変わるというのが魅力です。
1月白味噌、2月チョコあられ、3月甘酒蜜、4月桜蜜と小豆、5月抹茶蜜と小豆、6月梅酒蜜、7月ペパーミント、8月冷やしあめ、9月ぶどう、10月栗、11月柿、12月黒豆と変わります。
どれもおいしくいただけますが、個人的に暑い暑い京都の夏のペパーミントが忘れられません。
京都市中京区六角通高倉東入ル南側堀之上町120

他にも、京都には寒天を使ったお菓子がたくさんあります。
おすすめがありましたら、ご紹介ください。

【寒天料理のレシピ】
1日2グラムの寒天を摂ると快腸だとも言われています。
食物繊維が摂れるので、お菓子以外にも毎日の食事に足して使われてはいかがでしょうか?
スープに入れられるのもいいかと。
寒天料理のレシピです。https://www.kantenhonpo.co.jp/kantenrecipe/

【かんてんぱぱ】



寒天というと思い出す会社があります。
長野県伊那市に伊那食品工業株式会社という寒天を作っている会社があります。「かんてんぱぱ」という
商品シリーズの名前はご存知かも知れませんね。寒天や寒天を使ったおやつやスープなどを販売されています。子どもが小さい頃、お世話になりました。

https://shop.kantenpp.co.jp/smartphone/index.html

************************************************************************************************************************************
今日は昨日の春のような気温から急降下する予報が出ています。一旦暖かくなってからの寒さは堪えます。どうぞ、暖かくしてお過ごしください。
どうぞ、今日もお元気でいい1日でありますように!
行ってらっしゃい!

【今日の京都令和6年2月16日(金)】(No.3378)


※掲載の情報等が変更になる場合があります。お出かけ前にご確認ください。

中止になっている行事もあります。
お出かけの際にはご確認の上、お出かけください。

https://ja.kyoto.travel/news/format.php?id=143

○売茶忌/萬福寺



煎茶中興の祖とも仰がれる、高遊外売茶翁が若い日より修業を重ねた、
黄檗宗大本山萬福寺での、月命日です。 

売茶翁偶成に自身のことを「僧侶でも、道士でもなく、また、儒者でも ない。黒面で白い鬚の貧乏な禿頭の男。 この都で、能書き並べ茶売りをすると悪口を言うが、実は天地すべてが 一茶壺なのだ。」と、詠まれました。
一茶壺は漢の役人が薬を売る老人 の壺に
入ってみるとそこは別世界、仙境だったという「壺中の天地」の 
話です。売茶翁が求めた、天地 すべてが平等な世界の再現です。 
アクセス
京阪黄檗駅、JR奈良線黄檗駅下車

○いごもり祭祭(居籠祭)
/涌出宮(和伎神社)

その年の稲作の豊作を予祝する農耕儀礼として、「居籠祭(いごもりまつり)」が涌出宮で行われます。「居籠る」とは外出を慎み、心身を清める意味で、かつて村人たちはこの神事の間は、家に居籠って一切音を立てなかったといわれています。南山城地方最古の祭りとして知られ、「居籠祭」を含む宮座行事が国の重要無形民俗文化財に指定されています。
コロナウイルスのため、変更もあります。

日程2月16日〜2月17日
時間一日目:境内で厳寒の夜空を焦がす大松明が燃やされます。(19時30分~)
二日目:御神酒だし、御膳だし、御田植えなどの室町期の農耕儀礼の豊作祈願祭が古式豊かに行われます。(14時頃~16時30分) 
南山城地方最古の祭。参道は夜店で賑わいます。

アクセス
JR奈良線「棚倉」駅下車、東へ徒歩2分
http://www.yamashiro-kodo.gr.jp/contents/siryou/his_3.html


○ 第57回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開(〜3/19)

#京の歳時記
#春一番
#キャンディーズ
#寒天の日
#てんぐさ
#棒寒天
#粉寒天
#糸寒天
#寒天の歴史
#隠元
#とらや
#京都の寒天菓子
#かんてんぱぱ
#売茶忌
#萬福寺