今日の京都2月5日(月) | 都のかほり日記

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そこでのさまざまな出会いを綴っています。
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おはようございます。
立春になったばかりなのに、今日は全国的に寒い雨や雪の日になりそうです。
西日本は雨、関東は警報級の大雪の予報が出ています。明日の午後からの予報です。どうぞ、足元お気をつけてください。


日本気象協会発表の天気分布


さて、2月5日は 長崎二十六聖人殉教の日です。
1596(慶長元)年のこの日、豊臣秀吉のキリスト教弾圧により、長崎西坂で26人のキリスト教徒が処刑されました。



長崎二十六聖人の碑

殉教したのはペトロ・バプチスタ神父ら外国人6人と三木パウロ、茨木ルドビコ神父ら日本人20人で、この26人は1862年にローマ教皇ピウス9世によって聖人に列せられました。 

【長崎二十六聖人殉教と京都】

長崎で殉教した二十六聖人と京都は無関係と思われるかもしれませんが、実は深い関係があります。

四条堀川に以前、四条病院がありました。2016年(平成28年)11月に閉院となり、ほどなくして建物も取り壊された。
以前は、四条病院の入り口に銘板がありました。



この周辺には何年か前まで、キリスト教文化資料館(フランシスコの家ーがありましたが、建物の老朽化で閉館されています。また 秀吉は妙満寺跡(四条堀川付近)の広大な土地をフランシスコ会士たちに与え、彼らははここを拠点に布教活動を行いました。




余談ですが、この妙満寺は、現在岩倉にある「雪の庭」で有名な妙満寺のことです。妙満寺は、この時、四条堀川から現在の京都市役所北市営駐車場付近に移され、その後、太平洋戦争の折、強制疎開により寺町二条に移転後、1968年に現在の地に移ることになりました。

日本二十六聖殉教者たちは、ここで捕らえられて長崎に送られました。 

1596年、秀吉は再びキリシタン禁教令を発しました。
 1597年、京都奉行・石田三成は、京都のダイウス町などのフランシスコ修道会の神父など、24人のキリシタンを捕らえました。彼らは京都の市中を引き回され、堀川にかかる一条戻橋で、耳削ぎの刑を受けました。




秀吉は両耳と鼻を落とすようにと指示しましたが、キリシタンに理解があった石田三成の取りなしによって、左の耳だけにとどめられたといわれます。
長崎で処刑されることになった一行は、歩いて長崎へ向かうことになりました。そして、道中でイエズス会員の世話のために付き添っていたペトロ助四郎、フランシスコ会員の世話をしていた伊勢の大工フランシスコも自らの意志で捕まり、6人の外国人、日本人キリシタン20人、合わせて26人の聖人が弾圧されました。

ここでも、何故鼻や耳をそぐのかと思い調べましたら、このような解説と本の紹介がありました。

http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/52107734.html 

清水克行『耳鼻削ぎの日本史』(歴史新書y)

また、時代は下り、江戸時代になると、キリシタンへの迫害が激しくなりました。1619年10月6日、二代将軍徳川秀忠は獄中の信者たちを市中引き回しの上、六条河原まで運んで27本の十字架に掛けられ火あぶりで処刑した。これによって子供を含む52名もの信者が殉教しました。



元和キリスタン殉教の地

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そんな悲しい事件のあった日ですが、
今日2月5日は 笑顔の日でもあります。
「ニ(2)コ(5)ニコ」の語呂合せ からです。
笑う門には福来る。
いろいろとありますが、まずはニコッと微笑んで過ごしましょう。

また、新しい1週間ほ始まりです。
どうぞ、今日もお元気でいい1日でありますように!
行ってらっしゃい!

【今日の京都令和6年2月5日(月)】(No.3367)


※掲載の情報等が変更になる場合があります。お出かけ前にご確認ください。

中止になっている行事もあります。
お出かけの際にはご確認の上、お出かけください。

https://ja.kyoto.travel/news/format.php?id=143

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