今日の京都1月13日(土) | 都のかほり日記

都のかほり日記

京都、奈良、滋賀、神戸、東京。私のテリトリーです。
そこでのさまざまな出会いを綴っています。
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おはようございます。

今日、明日と大学入学共通テストが行われます。毎年、この時期は雪で開始時間が遅れたりとか、交通機関の遅れとか報じられます。明日は広い範囲で雨や雪の予報が出ています。どうぞ、受験生のみなさん、時間に余裕を持ってお出かけください。今までの頑張りを発揮できますように!

さて、昨日、三千家の初釜のお菓子をご紹介しました。
その中で、裏千家の御菱葩
(おんひしはなびら)、花びら餅とも呼ばれてお正月のお菓子として欠かせないものとなっています。
今日はこの花びら餅についてです。

【花びら餅】
平安時代の宮中での新年行事「歯固め」として1日から3日にかけて、長寿を願い、固い食物を食べていた食物が由来です。その食べ物は、平安時代の『江家次第』によると、大根、瓜、猪肉や鮎の塩漬けなどが挙げられています。
その「歯固め」が変化を遂げていきます。
江戸時代に宮中に菓子を納めていた川端道喜に残る記録では、薄く延ばした白い餅(葩餅)の上に赤い菱餅を敷き、その上に押鮎(塩鮎)を乗せています。それが簡略化されていき、葩餅に菱餅、押鮎に見立てたごぼう、味噌を挟んだものとなって、いきました。餅に味噌の組合せが雑煮に類似することから宮中雑煮あるいは包み雑煮とも呼ばれ、形状を花弁に見立てて「花びら餅」ともいわれ、公家に配られました。
明治時代に裏千家家元十一世玄々斎が初釜の際に使うことを宮中から許可され、新年の菓子として使われるようになったことをきっかけに、日本各地の和菓子屋でも工夫を凝らして作られるようになりました。
当初はごぼうが2本でしたが、現在では1本のものが主流となっています。

【川端道喜の御菱葩】





川端道喜では、室町時代から禁裏(御所)のご用を務めていました。明治の頃から、裏千家の初釜用に「御菱葩」を納めています。下準備されたゴボウと薄紅色の菱餅と、黄色い白味噌あんが白い餅生地で包まれています。
そして毎年、初釜用の「御菱葩」の準備のために試作される「試餅(こころみのもち)
」がごくわずかだけ一般にも予約販売されています。
その予約は毎年12月1日に電話予約のみです。
そして、年末にいただけます。大きさは他のお店で販売されている花びら餅に比べておおよそ1.5倍くらい。12㎝ほどあります。2年前でしたが、価格は1500円でした。
京都の「おばんざい」を全国に広めたお一人、随筆家の大村しげさんが「なにがいちばん好きかとたずねられたら、わたしは迷わずに菱葩と答える。(中略)道喜の菱葩である」とおっしゃっていました。

【川端道喜とは】
川端道喜といえば、この「御菱葩」と「粽」を思い出します。


出典百味會

1512年、室町幕府認可の特権を得ていた商工団体「座」のなかで、餅座の権利を取得し餅屋を創業した渡邊進四郎左衛門という人物がいました。その娘婿である中村五郎左衛門(のちに渡邊彌七郎を名乗る)が、1572年に仏道に入り初代の道喜を名乗ります。その初代が餅屋を生業としていた時代に、禁中(宮中)に献上される奈良・吉野の葛を用いての御用を受けて生み出したのが現代まで継承されているちまきです。


初代川端道喜

出典Wikipedia


【川端道喜と宮中】
応仁の乱以後、皇室の経済力は著しく低下し、皇室の支援をすべき室町幕府も弱体化して天皇の食事の確保もままならない状況に陥っていました。そのような状況下、創業間もない川端道喜は、天皇に毎朝「御朝物」と呼ばれる餅を献上するようになったと伝えられています。
「御朝物」は、蒸したもち米を少し搗いたものを芯として塩味の潰し餡で包んだ、おはぎ、ぼたもちのようなものであったそうです。実際、おはぎの原形との説もあります。大きさは野球のボールを少し大きくしたくらいのもので、川端道喜はこの「御朝物」を6つ、天皇の朝食用として毎朝献上するようになったと言われています。
川端道喜に伝わる「家の鏡」では、「御朝物」の開始当初は物資が不足していたために硯箱の蓋に乗せられ、褐染(かちぞめ)の素袍を着た川端道喜が皇居に毎朝献上していました。餅を「かちん」とも呼ぶのは、褐染の素袍を着た川端道喜が御朝物を献上していたことが語源であり、物を硯箱の蓋に乗せて進呈する習わしもここから来たと紹介しています。

世の中が次第に落ち着いてくると、硯箱の蓋ではなく、御唐櫃と名付けられた三重の容器に入れて宮中に搬入されるようになりました。そして塩味のおはぎのようであった「御朝物」も器に砂糖を薄く敷き、砂糖を付けながら食べるようになっていきました。「御朝物」は正親町天皇までは実際に食べていたと伝えられていますが、後水尾天皇の頃になると食べることは無くなりましたが、天皇が食べることは無くなったものの、毎朝の「御朝物」の献上は吉例として続けられ、天皇が毎朝朝食前に、献上された「御朝物」を拝見するという一種の儀式となっていきました。
川端道喜は「御朝物」を献上するために、現在の京都御苑西隣の店から蛤御門を通り、正門である建礼門の東隣の門を通行して御所に入ったと言われます。やがて毎朝川端道喜が通行する門は「道喜門」と呼ばれるようになり、現在の京都御所にも道喜門が遺されています。


御所の道喜門


この「御朝物」の献上は東京奠都のため、明治天皇が京都を出発した明治2年3月7日(1869年4月18日)まで継続されました。つまり後柏原天皇の時代である16世紀初頭から明治初年までの350年余り、献上が続けられたと伝えられていて、東京奠都後も天皇が京都に滞在する時には、川端道喜は「御朝物」を献上しているそうです。

この項参考Wikipedia






裏千家の初釜のお菓子「御菱葩」を作られる川端道喜さん。2月半ばくらいまで、店舗は閉められています。

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どうぞ、今日もお元気でいい1日でありますように!
行ってらっしゃい!

【今日の京都令和6年1月13日(土)】(No.3344)


※掲載の情報等が変更になる場合があります。お出かけ前にご確認ください。

中止になっている行事もあります。
お出かけの際にはご確認の上、お出かけください。

https://ja.kyoto.travel/news/format.php?id=143

○第3回北野盆梅展/北野天満宮



第3回「北野盆梅展」が開催されます。
北野と長浜の梅花競演をぜひお楽しみください
日程 1月13日(土)〜28日(日)会期中無休
時間  9時~16時(15時40分最終受付)
拝観料 500円(未就学児無料)
ホームページhttps://kitanotenmangu.or.jp/


○初釜(~1/14)/表千家

○蓬莱船(1/1〜2/3)/上賀茂神社

○ 京都十二薬師霊場会(〜1/31)

○ 伏見五福めぐり(〜1/15)

○ 都七福神めぐり(〜1/31)

○ 京都十二薬師霊場会(〜1/31)

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