今日の京都9月6日(水) | 都のかほり日記

都のかほり日記

京都、奈良、滋賀、神戸、東京。私のテリトリーです。
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おはようございます。
昨日は9月だというのに、猛暑日のところが続出しました。
まるで真夏のような一日でした。

ふと9月は夏なのか秋なのか。
季節の分類にはいろいろとあるようです。

○気象学的季節区分
⚫︎春 3月から5月
⚫︎夏 6月から8月
⚫︎秋 9月から11月
⚫︎冬 12月から2月

なんとなく頭の中に入っている季節の区分はこれが基本のような感じです。

○天文学的季節区分
⚫︎春 春分から夏至
⚫︎夏 夏至から秋分
⚫︎秋 秋分から冬至
⚫︎冬 冬至から春分

暑さ寒さも彼岸までという言葉が思い出されます。

○伝統的季節区分
* 暦月で区切る場合:正月~三月を春、四月~六月を夏、七月~九月を秋、十月~十二月を冬とし、春正月・秋七月のように呼びます。
* 節月で区切る場合:立春・立夏・立秋・立冬をもって四季の始まりとします。

と、いうことになると、やっぱり今は秋ということになりますね。

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さて、今日は高台院の忌日です。高台院というと、誰なのと思われるかもしれません。
豊臣秀吉の正妻、一般的には「ねね」とされますが、夫・秀吉や高台院の署名などに「おね」「祢(ね)」「寧(ねい)」という表記があるため、「おね」と呼ばれることが多いです。
近年、秀吉自身の手紙に「ねね」と記したものが確認され、再び「ねね」説が浮上しています。

豊臣秀吉存命中は、北政所(きたのまんどころ)という通称で呼ばれていました。北政所という呼称は、正妻を表す言葉であり、いろいろな時代に用いられてきましたが、この時代後はねね=北政所が定着することになります。

豊臣秀吉が天下人になるまでのサクセスストーリーはドラマにも取り上げられ、北政所も出てきます。その中で描かれる北政所のイメージは貧乏から天下人の妻となりながら驕ることなくしっかりと秀吉を支え、秀吉亡き後は、豊臣家を守ろうとする姿です。子どもがなかったこと、秀吉の度重なる浮気、淀殿の出現、そして秀頼の誕生とその胸中はいかばかりであったかと察します。

その高台院についてです。

【高台院とは】



出典Wikipedia

没年:寛永1.9.6(1624.10.17)
生年:生年不詳
安土桃山時代,豊臣秀吉の正室。北政所。生年については天文10(1541)年説と17年、18年説があり、近年は18年説が有力である。名は寧子、吉子、愛称寧々またはおね。杉原定利の子として生まれ、のち、織田家足軽組頭浅野長勝の養女となる。木下藤吉郎(豊臣秀吉)と結婚し、天正1(1573)年には近江坂田、浅井、伊香3郡の大名の正室の地位を得ることになった。長浜城在城時代、主君織田信長から、「かみさまなりにおもおもしく」振る舞い,嫉妬をしないよう,うまく藤吉郎を扱うようにとの朱印状を得ている。この朱印状には,夫不在時には妻が家の重鎮であるという中世武士の「家」における妻の役割が示されている。城主の妻となったおねは、領内統治に対しても意見を述べ、内政を助けている。天正13年、秀吉が従一位関白となり藤原姓に改姓すると、「関白の女房」つまり「北政所」と称され、同16年には従一位に昇進した。以降、天皇家と豊臣家の折衝役を務めている。小田原攻めの際秀吉が側室淀殿を呼びよせたのは、淀殿の子鶴松の養育、内政の総覧など後事をすべておねに託そうとしたためであったと思われる。 しかし鶴松が死去し秀頼が生まれると、その養育は実母淀殿の手に帰し、秀吉―淀殿―秀頼ラインが豊臣政権の中枢に位置づけられた。正室として妻妾のなかでは別格の高い地位を保っていたとはいえ、秀吉の死後淀殿・秀頼母子が自己主張を強めたのは当然のなりゆきであった。おねは剃髪して後家尼としての姿を明確にする。慶長8(1603)年に高台院の院号を許され、10年には高台寺を建立。しかし後家尼役割(夫の菩提を弔うこと)のみに安住することは周囲が許さず、加藤清正、徳川家康ら反石田三成派の武将が参集し、秀頼・淀殿方と対立するに至った。後家役割が,高台院と淀殿という2つの人格に分掌されたことが豊臣家にとって悲劇の原因であったと考えられる。高台寺の豊公廟内に葬られる。<参考文献>『高台寺文書』『木下家譜』,渡辺世祐『豊太閤の私的生活』,桑田忠親『桃山時代の女性』
出典朝日日本歴史人物事典
*ここでは「おね」と表記されているので、そのまま紹介しました。

【高台院のエピソード】
○信長の手紙
信長の招きで訪れた際、秀吉の浮気で悩んでいたねねへの手紙。



徳川美術館所蔵

〈現代語訳〉

私の命に従い、この度、この地(安土)にはじめて尋ねてくれて嬉しく思う。
その上、土産の数々も美しく見事で、筆ではとても表現できない程だ。
そのお返しに、私の方からも「何をやろう。」と思ったが、そなたの土産があまりに見事で、何をお返しすれば良いのか思い付かなかったので、この度はやめて、そなたが今度来た時にでも渡そうと思う。

そなたの美貌も、いつぞやに会った時よりも、十の物が二十になるほど美しくなっている。
藤吉郎(秀吉)が何か不足を申しているとのことだが、言語同断。
けしからぬことだ。
どこを探しても、そなたほどの女性を二度とあの禿ねずみ(秀吉のこと)は見付けることができないだろう。

これより先は、身の持ち方を陽快にして、奥方らしく堂々と、やきもちなどは妬かないように。
ただし、女房の役目として、言いたいことがある時は、言いたいことをすべて言うのではなく、ある程度に留めて言うとよい。

この手紙は、羽柴(秀吉)にも見せること。

又々 かしく(恐惶謹言に同じ)
藤吉郎 女ども

のぶ


この書状は信長が部下の妻にあてたものにしては非常に丁寧な文章であり、消息にも関わらず、あえて公式文書を意味する「天下布武」の朱印が押されています。信長にそこまで気遣いをさせる彼女の人間性や魅力を感じさせる数少ない史料といえます。
また、秀吉のことを禿げねずみと呼んでいるのも愉快です。信長が禿げねずみと呼んだのはこの手紙が最初でその他では、見当たらないそうです。

この書状は愛知県の徳川美術館に収蔵されていますが、真筆とされていましたが、織田家豊臣家の右筆(書記)の楠木正虎の筆とよるものだそうです。

○ 自身は改宗することはなかったのですが、イエズス会の宣教師たちにはいろいろと便宜を図っており、ルイス・フロイスは「関白殿下の妻は異教徒であるが、大変な人格者で、ねねに頼めば解決できないことはない」とまで記している(『日本史』)

○ 関白就任後の秀吉に対し、諸大名の面々の前で尾張訛りの口喧嘩をしたとの逸話がある。秀吉と2人きりのときは、お互いに尾張弁丸出しで会話したという。

○ 家康とは親密な関係とはいえなかったが、その息子である徳川秀忠とは親密な関係であった。「平姓杉原氏御系図附言纂」によると、秀忠が12歳の時に家康から秀吉に人質として送られた際、身柄を預かった高台院と孝蔵主が秀忠を手厚くもてなし(原文では「誠にご実子の如く慈しみ給う」)髪の結いよう、装束の着方を秀忠に教えるなどしていた。そのため秀忠は恩義から高台院を手厚く保護しており、終生上洛するたびに高台院を訪ねていたといい、親しい間柄であったことが伺える。それは、徳川家康の死後、秀忠からの加増で領地が1万6,923石余にまで増えていたことからもわかります。

○ 前田利家の正室の芳春院とは親密な関係であった。

○ 高台院は慶長20年(1615年)の大坂夏の陣の際、高台寺2階から燃え落ちる大坂城の天守を見つめていたという。

【京都での高台院ゆかりの場所】
○ 高台寺



臨済宗建仁寺派の寺院。秀吉の正室の北政所(ねね)が秀吉の菩提を弔う為に開創した建立した寺院です。

秀吉とねねの坐像が安置されている霊屋(おたまや)は内部に豪華な蒔絵が施され、重要文化財に指定されています。
その霊屋(おたまや)の堂内装飾には桃山様式の蒔絵が用いられ、これを「高台寺蒔絵」と呼ばれています。他に北政所所持と伝えられる蒔絵調度類を多数蔵することから「蒔絵の寺」の通称があります。
重要文化財の茶室「傘亭」と「時雨亭」があります。

ホームページ
http://www.kodaiji.com/

○圓徳院



臨済宗建仁寺派の寺院。高台寺の塔頭。本尊は釈迦如来。豊臣秀吉の正室・北政所が晩年に自身の本拠地としたことで知られるほか、一説にはその終焉の地ともいわれています。所蔵されている三面大黒天は秀吉の念持仏と伝わるものです。

ホームページ
https://www.kodaiji.com/entoku-in/

○ねねの道





ねねの道は高台寺の西側、東山の円山公園から清水寺方面へと抜ける全長約250メートルの美しい石畳の道です。豊臣秀吉の正室ねね(北政所)がこの地で余生を送っていたことから「ねねの道」と名付けられました。この道の電線は地中に敷かれ、風情のあるところです。

ねねの道を歩き、高台寺、圓徳院を訪れられてはいかがでしょうか?
すぐそばには、石塀小路もあり、少し歩くと八坂の塔(法観寺)がありますし、二寧坂 (二年坂)や産寧坂(三年坂)を経て、清水寺まで歩けます。






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どうぞ、今日もお元気でいい1日でありますように!
行ってらっしゃい!

【今日の京都令和5年9月6日(水)】(No.3214)


※掲載の情報等が変更になる場合があります。お出かけ前にご確認ください。

中止になっている行事もあります。
お出かけの際にはご確認の上、お出かけください。

https://ja.kyoto.travel/news/format.php?id=143

○ 貴船の川床(〜9/30)

○ 鴨川納涼床(〜9/30)

○「京の夏の旅」(〜9/30)

○特別公開(〜9/24)/大徳寺塔頭 興臨院


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