今になって「パターソン」を観ようと思ったのは、春公開予定だったけれどコロナの影響で延期された、同じくジャームッシュ監督のゾンビ映画「デッド ドント ダイ」を観たいと思ったからである(嬉しいことに現在新潟市でも公開中。必ずや観に行くであろう)。この二つの映画に共通しているのは私の好きなアダム・ドライバーが出演していること。
アダム・ドライバーを好きになったのはスパイク・リー監督の映画「ブラック クランズマン」を観てカッコいいと思ったから。「ブラック クランズマン」も今世界中の人びとの関心ごとであるレイシズムを題材にしている。白人至上主義団体ケー・クラックス・クラン(KKK)に電話をかける時は黒人警察官ロンが、実際に白人のレイシストを装ってユダヤ人をも排除しようとするKKKに潜入するのはユダヤ系警察官のジマーマン(アダム・ドライバー)。電話の声だけでは白人か黒人かなんてわからず、実際に面会してもユダヤ人かどうかわからない。それなのに人は素性がわかると嫌悪感を示し差別する。トランプ大統領を思わせるラストのドキュメンタリー映像も衝撃だった。
そんな私もアダム・ドライバーを「スター・ウォーズ」で観た時にカッコいいとは思わなかった。気にも止めていなかった。だから「ブラック クランズマン」のジマーマンが「スター・ウォーズ」のカイロ・レンと同一人物とわかった時は驚いた。私もカイロ・レンを演じるアダム・ドライバーを悪人という目で見ていたのだろうか。
さて、話を「パターソン」に戻そう。「パターソン」は評判通り良い映画だった。本当にとても良かった。映画を観ている時も観終わった時もピースフルな気持ちになった。このご時世に観るからこそ余計に良い映画だなと感じるのかもしれない。パターソンの周りには愛おしい妻や犬、友人がいて、落ち着く場所がある。毎日同じことの繰り返しで代わり映えのない日々を送っているように見えるが、実際はちょっとした感動や笑い、驚きの連続で、それらが私たちの暮らしを楽しく、そして愛おしく、掛け替えのないものにしてくれていのだと気づかせてくれる。
ニュージャージー州にあるパターソン市は多くの移民が暮らす街。この映画にはパターソンをはじめ、妻のローラ、バーのオーナーのドク、バスの車庫長のドニー、バーの友人たち、バスの乗客、詩人の少女、日本からやってきた詩人など、様々な人種が登場する。しかし、誰も肌の色を気にしている人はいない。皆同じように一人の人として接している。
ローラ役のゴルシフテ・ファラハニはイラン・イスラム共和国生まれ。ジャームッシュ監督がゴルシフテを起用したのはイランを代表する映画監督パフマン・ゴバディの「ハーフムーン」(伝説的なクルド人の老ミュージシャンがコンサートを行うために古いバスに乗って、共に演奏してくれる人を探しにいくロードムービー)を見て惹かれたからだそうだ。旅の中で、素晴らしい歌い手である女性歌手を探しに行くそうなのだが、イランでは人前で女性が歌うのを禁止されており、それでも歌うとなると命がけだ。そんな映画に出たゴルシフテに「パターソン」では好きな時に、好きなだけ、気ままに歌を歌わせているそうだ。
本当に私たちが望む暮らしとは、ゴージャスな生活でなくたって良い、争いのない平和な暮らし、愛しい人と穏やかに、些細なことでも慈しみながら暮らすことではないだろうか。この映画を観て、そんな風に暮らして行きたいと思った。
「パターソン」を観て、というか、映画を観るとすぐにインテリアやファッションの影響を受ける私。今回はファッションの影響はなかったものの、インテリアは参考になった。椅子やランプ、ラグ、壁紙やランチボックス。そう、一番欲しかったのがSTANLEYのランチボックス。息子とピクニックに行く時に良いかなと思った。実際にパターソンのように通勤時に持って行っても良い。現行商品を探したが、映画に登場するランチボックスとはちょっと形が違う気がした。アダム・ドライバーが持つから小さくスッキリ見えるのだろうか。映画ではもっと角ばった工具箱のような形に見えた。車を運転しない私だが、車については昔のようなカクカク角ばった車が好み。STANLEYでなくても良いから、工具箱をランチボックスにしてしまおうかなと思案中。
上の写真は息子が描いた青い鳥とヘチマの花をヨゼフ・アルバース風に額装したもの。ヨゼフ・アルバース風に額装しようと思ったのは、家にあった色紙を利用して何か作りたくなったから。「パターソン」でローラが毎日物作りをしていて、私もそれに影響されたようだ。鳥の額装から作り始めたのだけれど正方形はバランスが悪いと気づいて、花の額装では縦長にデザインチェンジ。たまに工作すると楽しい。また今度、鳥の額装は作り直そうと思う。
