YAH YAH YAHで励ましてもらったアメリカ留学時代 | 田中ウルヴェ京オフィシャルブログPowered by Ameba

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ASKAさんの覚せい剤所持での逮捕のニュースは、残念でした。

自分と同世代(40ー50代)ならば、わかっていただけるでしょうか。

あの「ザ・ベストテン」に
「万里の河」が突然出て来た時は、すごい歌唱力と、不思議なサウンドと、
溢れるパワーに「なんかすごい人がでてきたなあ」と
中学生ながら、思ったものでした。目

当時の自分にとっては、練習づけの自分の励みは、毎週木曜のザ・ベストテン。
でも生放送中は練習中だったこともあり。うお座

当時でたばかりのVHSではないベータビデオで母に録画してもらったものを
必死に見ていたものでした。

そして90年代前半は、YAH YAH YAH
アメリカ留学をはじめたばかりで。

シンクロ選手現役引退後で。

人生に悩むっちゅーか。
自分ってだれだ?に、どんどん入っていっていた時期で。

25とか26歳とか、そんな時期だったのだと思うが。

私は次はどこへ向かえばいいのか?と
アメリカの大学院の講義で、必死に英語についていこうとあがいているのに、
なかなかネイティブの人たちと同じようなプレゼンができないし。
全然、日本語でだったら簡単なことが、まったくできないし。ドクロ

毎日、自分のあまりの能力のなさに、落ち込み、悔しくて。パンチ!

そーんな時に、YAH YAH YAHを、一人、自分の部屋で大音量で聞いていた。にひひ

まー。
聞き方が、これまた自分っぽくアホなんだけど。

大きな鏡に向かって、長いコート着て、前から扇風機を強にして、
「いーまから一緒に!これからいーっしょに!なーぐりにーいーこうかーーー!!!!」
と歌い上げておった。グッド!メラメラ

でも、最初のフレーズの
「必ず手に入れたいものは、誰にも知られたくない」
なんてところは、めちゃ泣けてきていた。しょぼん

まー。
とにかく。
当時の自分を支えてくれていた曲の一つだった。

素晴らしい影響力であるが。

そういった「社会に素晴らしい影響力を与える方も、一人の人間」。

人間として、一人の「ただの人」としての自分への向き合い方で何があったのか。

「ただの人」である自分、
されど同時に「唯一無二のかけがえのない自分」に、
どれだけその両極端の「素晴らしい自分」に向き合えることができたのか。

周囲には本音のご自身を出せなかったのか。
それとも、本音自体をご自身が認めなかったのか。
それとも、社会支援的なコーピングにおいて問題があったのか。

たとえば、アメリカでは、
プロのトップアスリートへのキャリアトランジション時、
つまり引退時に、
「今後の自分が、悪い人間にだまされない為に」というような講義があるくらいである。

そもそも、日常社会「だけ」の世界とはどんな世界か。

異常な精神状態が、「もはや必要でなくなる」普通の世界とは、どういう世界か。

さらに、そのなかで、過去に「稼いでしまった」多額の報酬を、
どのように、しっかり、本当の意味で「自分のために」使うとは、どういうことか。

そのなかで、「どんな人とつきあうことが大事か」
というような講義があるくらいだ。

理由は、
それだけ、一つのことを真剣に必死にやってきた人間は、
あえて極端な表現でいうなら、
純粋すぎるということでもある。
トップアスリートへのキャリアトランジション講義。

ここは、難しい。深い。とても心理的に重く深い。

と。
おっと、話がそれてしまったかな。目

あれ、おもいのほか、長くなってしまった。

現実に戻る。飛行機

今日は、いまから、ラジオ収録と、TBS「Nスタ」出演と、そして、夜は、某テレビ番組の打ち合わせ。

いろんな頭の引き出しのうち、
どれを、どの時間に、引っぱりだすかを整理します。サーチ

あたしってば、やっぱり、アスリート感覚的な自分と、心理面をどう客観的に捉えていくかの自分と、両極に、自分が離れていることを、たまに自覚しておかないと、状況によって、間違った方をつかっちゃったりする。あ、意味不明か。UFO

いってきやす。走る人

(京の朝一番)