いやいや。
2時間15分の映画は、あっという間。
あんなに「全身で見た」映画は、そうないような。
んー。
全身だけじゃないな。
気味悪い言い方しかできませんが、
なんていうか、心と頭と身体で見た、という感じか。
どういう言葉でも、あの映画の「本物」感は説明ができない。
人間のなし得る技を、言葉で表現するということの制限を感じる映画。
あえて、仕方ないから、言葉で表現するとすれば
重厚感。
本物。
右や左や上や下や前や後に心を揺さぶられるという意味の「厚さ」の重厚感。
愛って言葉の裏表。
悪って言葉の裏表。
そもそも善とか悪って決める基準は何だろうか?とか。
色々な言葉の定義が、登場人物によって、変わる感。
んー。
やっぱり一言でいうなら、身体で見た映画。なんだよなあ。
(意味不明に変わりはない、、、)
何事も本物ってすごい。
渡辺謙さんの、最後に、変わりゆく姿の、なんと「自然」なことか。
演技じゃない。
演じてない。
技じゃない。
なんか、こう、表情を変えるとか、姿勢を変えるとか、、、そういう「作り」がない迫力。
いやー。
どしーん、と重い映画なのに、なぜか、人生のやる気が湧いてくるという、「いったい自分の感情はどういう状態なんだ?」と説明ができない「モチベーションのあがり方」です。笑。
そして、冷静にもう一度振り返るなら。
なんと映像の美しいことか。
最後の火の迫力のなんと重いことか。
風や雨や雪や緑の、なんと輝いていることか。
そしてその映像にのって、岩代太郎さんの曲の、、、なんと心ゆさぶられる音。
岩代さんの音楽って、ホント、なぜか、シンクロの足技を作り始めちゃうんだよなあ・・・。
足技がしたくなる曲。笑。
なんか筋に届く音なのです。
以上。
なんて意味不明なブログ。
許されざる者。
沢山の人におすすめだし。
14歳の息子も一緒に今日は試写会に連れていったが、それはそれは、素晴らしい気づきを話し続けていた。
見る人によって、その気づき方は違うけど、
どの気づきも、きっと「人生を全うに生きるとは」っていう根本への自己内省にはなれると思います。はい。(あー、やっぱり、自分の言葉は薄い。。。あの、だから、やっぱり、見て体験していただくのが一番、、、。はい。)
ふと現実で思ったことはもう一つ。
「あー、渡辺謙さんにしても、どの役をされた方も、これって、映画の撮影終わった後って、現実の世界に戻るには、そうとう心のリハビリ必要なんだろーなー」と勝手に想像。
あれだけ「役」って感じのない映画。つまり、本当の、あの時代にいた本人が、そのまま生きているかのような本物の「仕事」をしちゃったら、「俳優さんという仕事をしている自分」っていう現実の自分に戻ってくるの厳しいだろーなーと・・・。
うん。
なんか。
自分も。
真面目に仕事しよう。うん。薄いこと言ってないで。行動で。真面目に。魂で。(あやし)