週に1回、近所の体操教室で、ママ友として、ご一緒する渡辺美奈代さん。
7歳の娘が、この体操に行っていて。美奈代さんのお子様とご一緒するのですが。
ひょんなことから、子供がもしも自分のやってきた同じ世界で頑張りたいと言ったらどうするか。
という話になりました。
私は。
よく冗談では、というか、笑いを取るため程度には、よく、「いやー、絶対、自分と同じ道は歩ませたくないですねー」なんて、言ってしまうけど。
本当に私は何を思っているのだろうか。と自問してみる。
私は。
子供たちには、人にも環境にも、そして自分自身にも、何事にも興味を持ってもらいたい。
人生自体に興味を持ってもらいたい。
有限のなかで。
人間はなぜ生きているのか、と言えば。
生物学的なこと以外を考えれば。
楽しむことしかしてはいけない。
でも、この「楽しむ」は危険なワードだ。
ちゃらちゃらと楽しむ。これは、人生のいろんな味を楽しんでいない。
自分の、他人の、環境の、その存在意義を感じながら「楽しむ」。
これらを楽しむための経過は、決して、「へにゃへにゃと楽しい」もんじゃない。
そもそも楽しいという感覚は、笑顔と連動しなければいけないわけじゃない。
どんなに辛いことに「みえても」
どんなに身体的に苦しいことでも。
べっつに。
楽しいことなんて沢山ある。
「厳しいことをやれ」
じゃない。
「苦しいことを進んでやれ」なんかじゃない。
根性なんて、じぇんじぇんいらない。
単純に。
勝手に、固定概念では、「辛い、苦しい」と思うことでも、自分のなかで意味づけができたことであれば、じぇんじぇん楽しいわけで。(痛さで泣きながら楽しむことだってできる)
だから、子供たちには、絶対に、「がんばって」なんて言わない。
無理をしろ、とか
根性でやれ、とか
我慢をしろ、なんて、絶対言わない。
だって、それって、苦行ですよー、今からやることは苦行ですよーって、大人が勝手に決めているに過ぎないから。
宿題が大変そうな息子には、
「宿題はやらなきゃいけないんだから、やりなさい」なんて言わない。
「イヤなことは早く終わらせなさい」なんて、絶対言っちゃいけない。
「我慢しなさいよ」なんてアホだ。
もっとひどいのは、「イヤな宿題やれば、ゲームやっていいから。頑張って。」。これなんて、意味がわからん。
宿題が苦行だと決めるのは、勝手な決めつけだ。
宿題を大変そうに、やっている息子には。
「おおおー良い経験させてもらってるねー。こんなにやる前には、大変そうに見えることを、自分の力で、できたときは、いやー、さぞ、気分がいいだろうねー」と言えばいいと思っている。
だって、それがホントだもん。
とにかく。
子供たちには。
べつに、究極。どんな仕事についたってどうでもいい。
もしも何か一つ、これだけは人生でやっておいた方がいいよ、と思うことが言えるなら。
それは、
自分を愛せること、誰かを自分以上に愛せること。
愛というステキな感情で、自分の心と体をいっぱいにする感覚を知ることだ。
それさえ人生のなかで、「感じ」られたら。
人生は最高だと思う。
失うことに恐怖を感じ、この「愛する想い」というエネルギーは、自分の身体が燃え終わったら、どこに飛んでいってしまうのか、と、そのあまりに強いエネルギーの行方に不安になるほど、他人を愛することを感じられることは、人間として、とても有り難いことだと思う。