引退は終わりではない | 田中ウルヴェ京オフィシャルブログPowered by Ameba

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アスリートの引退について報道する番組は多い。


引退ということばに何かこころを打つものがあるからなのか。


なぜか引退は哀愁こめて、特集をしたりする。


引退は終わりじゃない。

とくにアスリートの引退は全然終わりじゃない。


アスリートの引退は、次のはじまりでもある。


節目は、終点であり起点である。


だから、その節目は、本人にとっては、とても悲しいことではあっても、次への第一歩でもある。


引退したら、「ただの人になってしまう」と悩むアスリートもいる。


そんな心配をすることはない。

あなたは、何も変わらない。

あなたは、べつにどんなに世界一のアスリートだったとしても。

べつにあなたは、「ただの人」だ。

べつに、引退したからって、ただの人に「なる」のではなく。あなたは最初から、「ただの人」だ。


人以外の動物でいるはずがないだろう。


ただの「人」だ。


そもそも自分に勘違いしているのは、たんに、周囲の勝手な作りこみに自分がはまっているときに過ぎない。


何も変わらない。

だから、

他人がどう思おうと。

他人が何を言おうと。


「選手でいなければ、あなたには価値がない」と他人がどういおうと。


そんなことは聞かなくていい。


あなたの価値はあなたが知っている。


何も変わらない。


引退は、あなたの価値を何も変えない。


私たちは。

引退しても、どんどん向上できるし。

どんどん自己の限界への挑戦だってできる。


身体的な限界への挑戦ができなくても。

人生の価値はそれだけではない。


なぜ、終わり終わりと、言うのか。


もしも本当に引退が終わりだったら。

選手は引退時には、悲しくて、何も手につけられない。