アスリートの引退について報道する番組は多い。
引退ということばに何かこころを打つものがあるからなのか。
なぜか引退は哀愁こめて、特集をしたりする。
引退は終わりじゃない。
とくにアスリートの引退は全然終わりじゃない。
アスリートの引退は、次のはじまりでもある。
節目は、終点であり起点である。
だから、その節目は、本人にとっては、とても悲しいことではあっても、次への第一歩でもある。
引退したら、「ただの人になってしまう」と悩むアスリートもいる。
そんな心配をすることはない。
あなたは、何も変わらない。
あなたは、べつにどんなに世界一のアスリートだったとしても。
べつにあなたは、「ただの人」だ。
べつに、引退したからって、ただの人に「なる」のではなく。あなたは最初から、「ただの人」だ。
人以外の動物でいるはずがないだろう。
ただの「人」だ。
そもそも自分に勘違いしているのは、たんに、周囲の勝手な作りこみに自分がはまっているときに過ぎない。
何も変わらない。
だから、
他人がどう思おうと。
他人が何を言おうと。
「選手でいなければ、あなたには価値がない」と他人がどういおうと。
そんなことは聞かなくていい。
あなたの価値はあなたが知っている。
何も変わらない。
引退は、あなたの価値を何も変えない。
私たちは。
引退しても、どんどん向上できるし。
どんどん自己の限界への挑戦だってできる。
身体的な限界への挑戦ができなくても。
人生の価値はそれだけではない。
なぜ、終わり終わりと、言うのか。
もしも本当に引退が終わりだったら。
選手は引退時には、悲しくて、何も手につけられない。