【店主メッセージ】

 

 

あれは5月の終わりだったか。恵比寿のGO HEMPを訪れた際に、隣のマルゴデリカフェでGOMAくんと久しぶりに再会した。6月から始まる二部構成・ひと月に渡る絵の展示会の準備中だった。思えば、昨年(2020年)の4月に最初に延期になったライブが小松(石川)での「Goma & The Jungle Rhythm Section × 犬式 INUSHIKI」の2マンライブだった。

 

カフェスタッフと一緒に、エリクシノールからリリースされているGOMAくんブレンドのCBDオイルを使ったドリンクのテイスティングをしていた。「脳の後遺症に良いんだ」と言っていた。

 

オーストラリアの先住民の楽器であるディジリドゥ奏者として国内外で高く評価されていたGOMAが、首都高速の渋滞の末尾でトラックに後ろから衝突されて多くの記憶を失ったのが2009年のことだった。僕はその数週間前に、岡山の王子が岳での野外フェス終了後の会場でセッションをしたばかりだったが、そうした思い出だけでなく僕の存在も、彼が喪失した記憶のリストに含まれていた。その後、音楽活動を再開した彼と松山(愛媛)のアースデーなどで一緒したので、僕のことはそれ以降の出会いとして認識しているだろうし、そうした記憶の保存や統合も僕らよりも困難だったりするのかも知れない。松山でも「曲をたくさん覚えることができないんだ」と言っていたのを記憶している。事故から12年が経つが、その間に40回くらい後遺症によるてんかん症状を起こして昏倒したそうだ。

 

GOMAくんは大事故による脳の損傷を受けた2日後から、突如として絵を描き始めた。小学校や中学校の図画の時間以外に、ついぞ絵など描いたことがなかったと言う。「吐き出さないと苦しいほどの湧き出すイメージに駆り立てられて」当時は、娘の学校の絵具と筆を借りて描いていたそうだ。それは、失った意識の中で見てきたものだった。アボリジナルな点描で湧き出すように描かれた絵に当時も多くの仲間たちが衝撃を受けたものである。「あー、これはもう完全に降りてきてる絵だ」「そう言うことってあるんだな、やっぱり」。

 

 

その後も彼は絵を描き続け、それらのモチーフはやはり、何度も倒れて意識を失った時に旅してきた世界で見たものだ。画家としての評価も高まり、手塚治虫作品とのコラボレーションなども手掛けてきた。あの世に行きかけては引き戻される旅路の中で見てきた色たちは、宇宙に存在するあらゆる自然現象と等しい美しさと、デザインの必然性を持っていた。一人の画家が自分のエゴで描こうとするものを超越した、神の造形のようなもの。

 

ちょうど個展が開かれている期間に、もう一度関東へ来る用事があったので、ギャラリーを訪れる約束をした。半月ほど経って恵比寿に向かう時、僕はなぜか「絵を買う」ことを考えていた。絵を買うなんてことは人生で初めてだし、商店の実店舗を開けたばかりの懐に取り立てて余裕があったわけでもないのに、小ぶりの絵を2枚求めようと勝手に心が決まっていた。

 

彼が見てきた世界の一番深いところは、色がない。「白や金」でひかりのサンゴ礁が描かれている。

いろんなプロセスを経て、最後に覚醒する瞬間に見るのはGOMAくんの代名詞ともなった「青い丸い」モチーフ。

 

ゴッホがゴーギャンを迎えるために向日葵の絵を描いた気持ちで、2枚の絵を岡山の山深い田舎町へ持って帰ることにした。1枚は商店に、1枚は制作スペースに飾ろうと思う。

 

そして、個展の期間中にBGMとしてかけるためにリミックスしたアルバムと、谷川俊太郎さんとコラボレーションした絵本を三宅商店に仕入れることにした。ARTを超えたARTの持つ清らかな波動が、ARTの存在意義を際立たせてくれる。大人でも子供でも、細胞や遺伝子、粒子や魂のレベルでどこかに懐かしさを覚える絵本とCDだ。

 

パンデミックだの5Gだのと、僕らの細胞やもっとミクロな世界が揺さぶられているこの時代に、癒しとエネルギーを与え、異次元へと導いてくれる。どうか手にとって、耳にして、豊かにこの時節を生き抜いていって欲しい。僕ら一人一人が見る光と色は、誰にも支配されない普遍的な移ろいであり、永遠の一回性だ。

 

 

 

 

 

GOMAが2021年6月から7月にかけて開催した個展のためのリミックス。ディジリドゥから蛙の声、ガムラン、ジャングルリズムまでがアンビエントに絡み合い、どこか南国の雨季のような静けさを感じる、生活に溶けこむライフタイムミュージック。

 

 

 

 

「頭に浮かんだ絵のイメージを描かずにはいられないのです」

 

思わず目を奪われる不思議な絵。

その絵に書き下ろされた谷川俊太郎の言葉。

絵と言葉が響きあう二重奏の世界――。

 

 

 

 

GOMA

1973年1月21日生まれ。大阪府出身。ディジュリドゥアーティスト 画家

1998年にオーストラリア・アーネムランドにて開催されたバルンガディジュリドゥコンペティションにて準優勝。ノンアボリジナル奏者として初受賞という快挙を果たす。海外にも活動の幅を拡げ勢いに乗っていた2009年交通事故に遭い外傷性脳損傷と診断され、高次脳機能障害の症状が後遺し活動を休止…二日後突然緻密な点描画を描きはじめる

 

脳損傷の後遺症で過敏に受取るひかりの世界をプリミィティブな衝動に突き動かされた自由な発想で驚く色彩感覚が特徴的なそれらは、新たな魅力として熱く支持され画家として活動を開始し全国各地で絵画展を開催。絵を描かずにはいられない衝動は止む事はなく現在までにその数は500点を超えた。