YAHMAN!

 

梅雨明けて熱風の吹く頃、

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

 

僕の渡米中のことでしたが、

過日、5月10日に無事、

NAUの解散届出が岡山選管に受理されましたことを、

ここに報告申し上げます。

 

併せて、

収支報告の詳細をスタッフ総力でまとめました。

 

下記のリンクより、ご確認ください。

 

NAU解散届の提出と「Satoken (一般社団法人 里山経済・環境研究所)」設立のお知らせ

http://miyake-yohei.com/startup/

 

また、

NAUの精神を受け継ぐ、

一般社団法人Satokenの設立を

ここに発表いたします。

 

この5年を振り返り、

そしてここからに繋げるために、

一連の記憶を辿り、したためておく事にしました。

 

やや長文になってしまいましたが、

ご一読いただけたら、幸いに存じます。

 

*文体を優先しての敬称略、ご容赦ください。

 

 

【NAU立ち上げを振り返る】

 

 

政治団体「NAU」を立ち上げたのは2013年の3月頃、

と記憶している。

 

地震と事故の因果、

そして原発の通常稼働と様々な疾病(しっぺい)の因果、を理由に

2009年頃から原発反対運動や新規原発工事の阻止活動にも身を投じていたが、

「今、稼働している原発からも放射能が毎日、微量ずつ漏洩しているだろう」

と問われた電力会社の広報が、ベント(外部解放)の窓の存在すら否定した時に、

この人たちは例え事故が起きたとしても、

本当のことを言わないだろう、言えないのだろう、

と確信した。

 

こうした不透明性は、

日本の政府や電力会社だけの問題ではなく、

ICRP、IAEAから伝統的に受け継がれる、

世界の原発村の暗黙のルールなのだということは、

後に知る。

 

福島原発事故以来、

防げる被ばくをも防がない政府やテレビやマスコミ、

そしてそれを受け止める社会の多くの論調に、

怒り、絶望し、混乱する2年を過ごし、

 

被ばくの意味がすぐには飲み込めない(飲み込みようがない)社会に向かって

自分が知りうる限り、調べうる限りの情報をtwに乱打しては

原発推進クラスターや科学クラスターとネット上の論争を繰り広げる日々を経て、

 

直ぐには止まることのできない壮大な

「ヒト」と「モノ」と「カネ」の依存関係

を理解した時に、

 

ステージの上でポリティカルなことを叫ぶだけでは、

色んなことが間に合わないと感じ、

ブラジルの人なら誰でも知ってる

カエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルのように

音楽家が政治家になってみせるくらいの気概を持ったら

意外と世の中は楽しくなるとも思ったし、

 

何よりも、

政治の世界で勝手に行われていることに

人々がもっと関心を寄せなければならない中で、

少なくとも自分の周りの友人とその友人とそのまた友人くらいまでは、

僕が立候補すれば注目してくれるだろうと、踏んだ。

 

どうなるか分からないが、

とにかくエポックメイキングな、

大きな変化のキッカケが必要だと思った。

 

当時のtwアカウントでのフォロワーが15,000人だったので、

そのうちの友好的フォロワーを1万人と想定して、

1万×10人の友達×10人の友達=100万票

100万票あれば既存政党の力を借りずとも、比例区で一人で当選できる、

という我ながら短絡的な読みで動き出したわけだが、

今思うと、怖いもの知らずの強さである。

 

だが結果的には実際に、

NHKの解析によれば、三宅の2013年選挙中のtwの中で、

最大に拡散したものが「88万人」まで届いていたというのだから、

あながち見当外れでもなかったことになる。

 

実際に集まったのは17万6976票だったから、

読みが甘かったのは「その存在を知った全員が投票してくれる」と思ったことだろうか。

 

無論、twをやらない、或いはネットをやらない有権者もいるので、

それを考慮すれば、もっと広くに知られたことになる。

 

*2013年は比例区(全国)で17万6976票、個人得票は250名くらいの中で26位(最多得票落選者)だったが、立候補母体の緑の党全体の得票が46万票ほどで、議席獲得の約120万票に届かなかった。

 

**2016年は東京選挙区で、26万7036票、全体の9位で当選圏内の6位(約50万票)に及ばなかった。野党共闘の勢いが、明らかに自民党に及ばない予想が濃くなっていた中で、改憲2/3議席だけは阻止しなければならないと思い、山本太郎議員と共同して公示日の12日前に立候補を決意。準備期間10日ほどでの選挙だった。

 

 

2012年秋に

マエキタ・ミヤコが未来の党からの立候補を

締め切り20分前に打診して来た時に

断った自分自身を

「臆病者め」と謗(そし)った挙句に、

山本太郎が無所属で立候補すると聞き、

沖縄から東京へ応援に行ったら彼が目の前で

命懸けで演説するのを見て、

次は自分も出ると決めて、

その場で応援演説中に立候補を宣言した。

 

2010年の参院選で

喜納昌吉の応援演説を2度ほど経験していたので(渋谷ハチ公前、那覇県庁前)、

少しは心のハードルが低かったかもしれないが、

ミュージシャンとしては拭い去れない政治の色がついてしまうし、

頭髪・スーツをビシッと決めてひたすらペコペコさせられる政治家のイメージに、

そうはなりたくない、と慄(おのの)いたりもした。

 

喜納昌吉は自分らしさを貫いて議員活動を全うしていたが、

作曲のインスピレーションは何年も滞っているのを、知っていた。

 

しかし、10円ハゲ作りながら頑張っている俳優・山本太郎を前に、

潰れ役でもいいから2番手が必要だろうと思ったから、決意した。

 

しかし俺は、俳優ではない、ミュージシャンだ。

演じることはできない、信じることしかできないライブの人間だ。

常軌よりは、狂気をさらして生きてきた。

 

端的にいうと、

紐のついてないバンジージャンプを飛び降りるような

気分だった。

 

7月の参院選挙に出ることを公言した僕は、

供託金600万円を集めるための弾き語りツアーを開始した。

およそ4ヶ月、本当にたくさんの人の助力があったお陰で、

立候補届け出の直前に供託金を納めることができた。

 

党に属さない個人や党でない団体が、

寄附金を受け取るための口座を作るのに、

資金管理団体としての「政治団体」というものを作らなくてはならないことを知り、

 

「日本アーティスト有意識者会議」、略称「NAU」が登録された。

 

もともとは、アーティストが気さくに政治を語るネット番組のタイトルだった。

 

 

 

【掲げた政策】

 

とにかく、

被ばくの実態を周知し、減らす。

 

原発、化石燃料、戦争、そして巨大産業に依存する社会が生み出す

「環境破壊の構造」を変化させる。

 

既存の巨大産業に食い物にされている政治を変える。

 

放射能や農薬に侵されない食べ物を、自給する方法を広く普(あまね)く、

実践する方法、そして食べ物を与えてくれる自然環境を守ることのできる社会を作る。

 

そして何より、

政治をめぐる、この国をめぐる、価値観を多様に広げる。

 

そんな思いで、以下の政策を掲げて選挙に出た。

 

 

(2013年に掲げた政策)

政治をマツリゴトに 農と言える日本

 

1.文化を最大の輸出品に

2.復興から保障へ

3.除染から廃炉ビジネスへ

4.送電線から蓄電技術へ

5.消費増税から金融資産課税へ

6.大規模農業から家庭菜園へ

7.官僚主権から住民主権へ

8.破壊から再生の公共事業へ

9.憲法9条を世界遺産に

 

 

 

2回目は、東京選挙区での立候補だったが、

基本的なコンセプトは以前と変わらず、

ただ、改憲2/3議席という差し迫った問題があっての緊急立候補だったので、

少し現実的な落とし込みになっている。

 

冒頭の「自分らしくあれる社会」という政策フレーズには、

表現の自由や、幸福追求の権利、といった

人権意識をもっと強く持とうという意味も込められている。

 

あとは、

原発、化石燃料に反対するだけでなく、

次善の策を探求、提示して、実践を進めようという思いとか、

 

ベーシックインカム、金融資産課税などの、

「富の公平な分配」の要素も、軸となっている。

 

そして、食べ物を自給する知恵のような、

無形のベーシックインカムも存在する。

 

だからこそ、農的文化を社会に取り戻すためにも、

永田町と霞ヶ関に集中する政治的パワーを

より地方主権にシフトしていく考えは、今も根本的に変わっていない。

 

福島原発事故も、

中央による地方の軽視の表れだと考えている。

 

 

(2016年に掲げた政策)

 

・自分らしくあれる社会

・STOP! 改憲2/3議席

・脱被ばく

・測りまくる日本

・消費税やめて富裕税を

 

・原発即時停止

・廃炉ビジネスの透明化

・TPP入らない

・教育の無償化(幼・小・中・高・大)

・戦争よりも災害に強い自衛隊

・基礎控除を38万円→120万円以上に(ベーシックインカム)

・破壊から再生の公共事業へ

・R水素、小型風・水力などの地域発電を振興

・環境第一(憲法に生態系の権利を)

・動物殺処分0!

・最低賃金の大幅引き上げ

・オーガニック革命(有機・自然農の推進)

・1億万耕(農教育の制度化)

・保育・介護の社会化の徹底

 

 

 

【草の根パワー】

 

2013年は、3000万円ほどの寄附金が集まり、

全国26箇所にステージを組んだ「選挙フェス」の費用も見事にリクープ。

 

バンドやボランティアを含める膨大な人々の無償の奉仕に支えられて、

借金をせずに乗り切った。

 

2016年、2度目の選挙フェスは17日間54箇所。

多くの有志たちの有形無形の力が合わさって、

徒手空拳で選挙に臨んだNAUに、なんと1億円が集まり、 

ド派手に打った選挙フェスを支えてくれた上で、

選挙後、すぐに衆院選に備える資金も残った。

 

「安倍政権、秋には解散総選挙か」とささやかれ、

首相が解散権を持つ衆院の動向が、注目されていた。

 

常に解散に備えて地盤への挨拶や、準備をしていなければならない「衆議院」を避けて、

3年に1度半数が選挙をすると決まっている「参議院」に2回出ていたが、

2、3ヶ月の内に衆院選があるのなら、

このままの勢いで出ようという事になっていた。

 

ボディガード含めたコアスタッフ5、6名で、

二段ベッドが3台ある東京の2Kのマンションに寝泊まりして、

選挙に備える日々が始まった。

 

代々木駅前の選挙事務所では、

選挙後も足繁く通ってくれるボランティアたちによって、

これから何ヶ月、物によっては1年以上かかることになる、

膨大な選挙の後処理(1万件の寄附者への諸処のお知らせや領収書の送付だけでも、想像を絶する作業量)

や、電話対応などが続けられていた。

 

スタッフたちは、

こうした作業の効率化を図るための、システム構築にも着手していた。

 

だが、解散風は上昇していくが、

何ヶ月経っても解散は打たれなかった。

 

6月下旬の、突如の立候補表明以来、

全国から駆けつけていたスタッフたちの家庭の事情や、仕事の事情、

僕自身、沖縄の三宅商店を留守にし続け、

音楽活動再開の目処も立たない。

 

そしてまた、

東京で選挙に備え続ける生活は、

地方主権や、里山経済の復興を目指す自分の政治スタイル、ビジョンを遂行するには、

不向きで、やりたいことが前に進めにくかった。

 

2016年の年末、

忘年会の席で山本議員に「衆院辞退」とチームの「待機解除」を申し伝える。

 

「そうかあ、わかった。。しかし日本の政治の痛手やで」

 

そう評価してもらってる事には、喜びと責任を感じたが、

特定の政党基盤を持たない、

そもそも有志で他県から集まった急造チームには、

これ以上の東京生活の継続は、困難だった。

 

気がつけば選挙からおよそ半年が経っていた。

 

その間に三宅商店は、人事的な問題と物流のコスト削減のために

沖縄から僕の両親の郷里でもある岡山へと本社を移すという大決断をしていて、

岡山の中山間地の古民家をリフォームしながらの新しい生活が始まった。

 

しばらくは東京事務所の同時存続を模索したが、

遠隔の東京事務所スタッフの勤務管理や、コスト高、

東京と岡山を行き来する負担も重なり、

集まった資金を無益に散らさないためにも、

NAUとしての業務も岡山の事務所に一括する決断をした。

 

三宅洋平個人の資金管理団体として始まった政治団体NAUに、

ちょっとした政党ほどの期待が寄せられる中で、

主たる運営と決断が、僕と数名のスタッフにのしかかっていて、

内部的な不満やクレームや意見を取りまとめるのにも苦労し、

生活や心身の健やかさに支障をきたすデザインになっていた。

 

政党のようなものを作るのなら、

別途、1からそれをみんなで作る方がいいと思ったし、

その代わり、運営や責任の負担も分かち合うデザインが必要だと思い、

僕はそう主張していた。

 

選挙に出るという矛先は一旦、収めたのだから、

資金管理団体はまた選挙に出るときに立ち上げればいい。

 

恒久的に政治団体NAUの存在を維持する負担よりも、

優先したい仕事がたくさんある。

 

2017年の8月、パーマカルチャー研修で渡米の直前に、

実にサラッとした文章で、僕は突然の解散を宣言した。

 

宣言後、

実際の解散に向けた手続きや、

収支報告の作成、

総務省とのやり取りを経て、

2018年5月10日、

解散届け出が無事、岡山選管に受理された。

 

そしてここまでに残った資金を、

・人材の育成

・中山間地の経済復興と環境保全

・生態系と共存する社会を作るための国際的なネットワーク形成

を目的とした、一般社団法人の設立に使う事を決意した。

 

政治とは、選挙だけではない。

やるべきことを前に進めよう。

それが、最大の準備かもしれない。

 

 

 

【そしてSatokenへ】

 

 

 

 

一般社団法人 里山経済・環境研究所(通称:Satoken)

 

(目的)

当法人は、里山の自然環境を守り育むことのできる持続可能な地域経済の研究、ビジネスモデルの実践を通して、国土の7割を占める中山間地域の環境と経済の復興を目指す。また、それらを可能とする多様な価値観がつながり合う地域社会の形成、文化の伝承、及び地域コミュニティの連携による国際的な環境ネットワーク作りへの寄与を目的とし、その目的に資するため次の事業を行う。

 

●イベント、ワークショップの企画及び開催

●自然、有機農作物及び加工品の生産、販売

●飲食店の経営

●シェアハウスの運営、並びに古民家保守管理

●労働者派遣事業・請負

●古物の仕入れ及び販売

●出版物・音楽コンテンツ・デジタルコンテンツの制作、配信、販売

●店舗、古民家のリフォーム・大工、造園、土木工事請負

●持続可能な地域社会モデルの普及に関する事業

●環境調査事業

●その他当法人の目的を達成するために必要な事業

 

 

 

オーストラリア・タスマニア大学の教授であったビル・モリソン(Bill Mollison)は、

苛烈な環境運動家であった自らを振り返ってこう言った。

 

「ガーデンのない革命家に明日はない。」

 

食べ物や家、果ては衣服までを自分で作ることができたら、

それを可能にするコミュニティを作り、

それを可能にする自然環境を保全できていたら、

それは自分が批判し、攻撃して来た資本主義システムからの脱却を可能とする。

 

自分はおろか、家族をすら見返ることなく運動に明け暮れて居た頃、

彼はそのシステムの全てに依存して暮らしていた。

 

自分が闘うシステムを、

一方で自分が支えている矛盾を脱却したい。

 

1980年初頭、

パーマカルチャーはそうしたパンクな思想を背景に、体系化された。

 

ビル・モリソンと共にその仕事を担ったデビッド・ホルムグレンによれば、

 

"ピークオイルと気候変動の発症など人間社会がこれまでにない変動を迎える時代、右肩上がりに成長しない不確実な時代に、パーマカルチャーは「下降の時代の文化」としてその真価を発揮する"

 

"ホルムグレンは2012年に邦訳が出版された『パーマカルチャー:農的暮らしを実現するための12の原理』(コモンズ、リック・タナカら訳)で「食物や繊維、エネルギーなど人間の必要を満たすため、自然の中に見られるパターンや関係を真似し、風土を意識的にデザインすること」と定義している。"(wikipedia)。

 

もちろん、江戸時代の循環型農法や、

福岡正信氏の提唱した「自然農法」とパーマカルチャーの親和性は非常に高い。

 

むしろ、パーマカルチャーは相当度に、そうした日本の伝統農法に影響されている。

 

 

 

こう言う話を聞いて、

「なんだ、農業の話か興味ないよ」

「畑は年取ってからでいいや」

と思いがちな、社会の価値観を根底からシフトする。

 

これは農業の話ではない。

畑の話でもない。

社会と地球の、システムのデザイン。

 

マクロなイデオロギーに偏りがちな政治の本質を、

ミクロなコミュニティの実践へと移していく。

 

この国には、埼玉県1個分の耕作放棄地が存在する。

そして、九州一個分の所有者不明の山林がある。

 

お洒落でワクワクするような、農的ライフをデザインする。

日本国土の7割を占める中山間地域の可能性を、再提示する。

農業や森林維持、その経済政策を学術的にも探求していく。

誰にでも実践できるアイデアを共有するシステムを整える。

 

伝えられる人を増やしていく。

実践できる人が、増えていく。

 

都会でも、田舎でも実践が可能となることで、

都市人口のおよそ3割程度が地方に流入するようになる。

行ったり来たりできる人のための環境も、整えていく。

 

どんなに山奥へ行っても、生活をオフグリッド化しても、

気候変動や放射能の影響からは逃げられないから、

健全な土壌、風土を守るためにも、

原発などの国家政策への政治的アプローチや、

国際環境会議への参画を積極的にする。

 

これを総じてなんと言ったら良いだろうか。

 

友人である共生革命家のソーヤー海はこう言った。

 

「人類単位で、"生きる力"を取り戻すと言うことだと思う。」

 

そして、僕は心からこう思う。

 

「世界の平和のために活動する自分の平和を、大切にする。」

 

Culture、

僕らは文化の力で楽しくこの国を変える。

 

だからこそ、心の砕けそうな現実にも立ち向かっていける。

 

その心は、NAU設立当初から、変わっていない。

 

そんなビジョンに沿って、

いよいよSatokenを始めることにしよう。

 

「次の選挙は出るんですか?」

これはよく聞かれる。

 

例えば僕以外に、469人の候補者が居たら、

僕も470人目として出るかもしれない。

 

政権を取るために立ち上がる一般人のためのムーブメント。

 

そのためのトレーニングを、今から始めよう。

 

少し時間が、要るのかもしれない。

 

あるいは時代が一気に選挙フェスを追い越して、

僕なんか必要なくなるかもしれない。

 

ダイレクトデモクラシー。

直接民主制。

お任せ民主主義の政治家像は確実に変化する。

 

 

 

個人的には、

人生も心も動き出してしまうような、

素晴らしい音楽を作るという、

本来、僕が持ってきた役割を果たすために、

もう一度、全力を尽くしておきたい。

 

ミュージシャン三宅洋平の政治的プレゼンスとは、

確実に音楽に紐付けられて語られるものだろう。

 

NAUの解散によって、

一つのピリオドが打たれたことは確かで、

そして確実に、次の1歩が始まった。

 

およそ5年の間に、

NAUに志を寄せてくれた全ての方に、

のべ何千人と言うボランティアの皆さんに、

支えてくれた運営スタッフの全員に、

心から御礼申し上げたい。

 

皆さん本当に、ありがとうございました。

 

最後に、デザイナー907が寄せてくれたSatokenのロゴ図案コンセプトを

ここに掲示して、NAUの精神をSatokenに引き継ぐ一巻の報告の〆としたい。

 

 

 

(了)

 

 

 

本当に、ありがとうございました。

そして、Satokenを宜しくお願いします。

 

Satokenは「SLOWDOWN」をキャッチコピーに、

関わるみんなのマイペースを大事にしながら、

急がない急かさない、しかし着実な歩みを志していきます。

 

また、必要なところでは貨幣の力にまだ頼りつつも、

お金を介さないギフト経済の実践といった、

新しい価値観を作る社会実験も着実に進行。

 

家族、チーム、コミュニティ、村、社会を形成する上で、

一番始まりのところにある関係性の向上をテーマに、

みんなで、時には独りで、精進する日々です。

 

最後まで読んでいただいて、ありがとう!!

 

本文を書き上げてから後に発生した

西日本の治水災害地の復旧と、

再発を防ぐ都市設計、社会デザインに貢献していくことも

Satokenに与えられた命題の一つになりましたことを、

付記します。

 

2018年7月16日  戊戌(つちのえいぬ)水無月(みなつき)四日

前NAU代表 一般社団法人Satoken理事 三宅洋平(犬式)

 

 

一般社団法人 里山経済・環境研究所(通称:Satoken)

 

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今年の2月22〜24日、寒さのピークがすぎて

土脈潤い始める春の始まり、

岡山県吉備中央町のSatoken道場で行われたワークショップを素材に、

奥吉備宣伝舎が素敵なティザーを作ってくれました。

 

「学びたい人」と「教えたい人」たちの「学ぶための場づくり」としての

ワークショップは、老若男女を選ばない人生の「大学」として

これからの社会に欠かせないものになっていくのではないでしょうか。

 

そこには巨大な校舎も、施設も、入学試験もないけれど、

「学ぶ」ということのあり方、学校や教育のあり方を、

捉え直すことができるチャンスがたくさんあるように思います。

 

Satokenティーザームービー001「茜染め」(1:00)

 

Satokenティーザームービー002「鉄火味噌」(1:00)

 

Satokenティーザームービー003「味噌作り」(1:00)

 

 

 

Satoken対談「三宅洋平×冨田貴史」(11:26)