俺は親父の代からの阪神ファンだ。
1986年、ベルギーから日本へ帰って来た小1の時にタイガースが優勝した。
いわゆる、バース・掛布・岡田の3者連続ホームランの年だ。
阪神ファンの親父にタイガースは強いのかと尋ねたら「強い」と答えた。
その翌年から、中2になるまで阪神は「球界のお荷物」と呼ばれるほど弱い時代を迎えた。
親父は「万年2位」で、巨人に対抗できる唯一のチームだった阪神が好きだったというが、
俺の頃はそれどころか「万年最下位」だった。
此の体験は、俺の中にある、
強いものや1位、官軍的なものが嫌いな血を刺激した。

90年のサッカー、ワールドカップ・イタリア大会は小4で観た。
マラドーナやバルデラマ、イギータ、スキラッチ。
貧しさと、社会的ハンデを足だけで乗り越え、人々に希望を与える存在になった男たち。
スラム育ちが生む社会に対する反動的な態度と、国民の英雄である公共性を兼ね備えた、その存在の危うさにドキドキして、憧れた。それは、俺が当時、ロックに対して感じるのと同じものだった。
そこに感じたのは、凄まじい反骨の魂だった。

高校時代は、たまにギターを弾いて歌う以外は、
サッカー部にすべてを注いだ日々だった。
まるで力が及ばなかったが、プロを目指した頃もある。

だが、2001年の911テロから、全てがアメリカ寄りの日本のメディアに
決定的に失望し、
そして音楽業界に入って、イメージや情報がいかに操作して作り上げられるものかを知り、
さらに6.7年まえくらいから、
原発機構に対する疑念から色々と調べるうちに、
マスメディアの欺瞞性と、広告主に依って成り立つ危うさに気付いた。
そして読売創設者、正力松太郎がリードした
娯楽や映像で人々を愚民化させる「3S」政策の存在も知った。

日本亡命を訴えるアフガニスタン難民や、
原発立地の阻止住民のことなど知るよしもなく、
プロ野球やバラエティーにうつつを抜かす人々に怒りを覚えたものだ。

J LEAGUEはおろか、サッカーの外国リーグをチェックすることもなくなり、
大リーグ移籍の日本人フィーバーも、その活躍そのもの以外には冷めた気持ちでいた。
オリンピックもほとんど観なくなった。


だけどね、
4年に1回のワールドカップだけは別であり続けた。


俺が少年時代に憧れたのは南米や欧州の選手ばかりだった。
昨今のようにアジアやアフリカの選手が当たり前みたいに強豪と名を並べるなんて事は、とうてい予想できなかったし、ましてや日本代表がワールドカップに出るなんて夢みたいな話だった。

アフリカ勢の勃興が始まったのは、古のエジプトをのぞけば、
90年イタリア大会のカメルーン旋風からだと思う。
マラドーナ擁するアルゼンチンとの開幕初戦。
ロジェミラの奇跡のゴールでカメルーンが勝利したあの試合からだ。

それは、アフリカ全体を熱狂させ、自信を与えた。

或いは、中田英寿がペルージャに移籍した開幕戦。
前年王者のユベントスから彼が上げた鮮烈な2ゴールは、欧州における「日本男性」のイメージを完全に覆した。あれは、革命だったのだ。そしてラテン気質には信じられないほどの、中田選手のストイックなプロ精神は、カルチョファンの心を打った。当時、欧州を旅する日本人は、かなりの頻度で「ナカータ」の話しをされたはずだ。

アジア人の子どもが路上のサッカーで、
白人の男の子たちにバカにされる時代が終わったのだ。

欧州において、サッカーと自転車競技は、
社会的地位なのだ。

そして賛否両論あった日韓共催のW杯。
両チームの活躍を通して、
若い世代の反韓、反日意識が、一気に融合した。
喧嘩ばかりの兄弟が、
気付いたら世界を相手にサッカーするお互いを応援していたのだ。

サッカー界に永年はびこっていた東アジアコンプレックスも、
この時の韓国が、そしてトゥルシエの日本も少し、
打ち砕いた。

あれから、日韓戦の雰囲気が変わった。


そして今回、日本代表がそこに出場し、
本田選手は「優勝」を公言している。
こんな奴は初めてだ。
そんなのは100年くらいかかる事だと思っていた。

近所で球蹴り合ってた仲間達のような、
日本代表がそこに居るってのが、未だに信じられない時がある。



たとえば、ブラジルのリオのカーニバルがある。
まるで世界の終わりのように人々が踊り続ける3日間。
すべての練習、すべての生活は、年に一度のカーニバルのためにある。

リオのとある生真面目なパン屋の亭主は、
この三日間だけはコカインを吸って踊り続ける。
そして死んだように眠ると、翌日からまるで何事もなかったかのように、
いつもの真面目なパン屋に戻る。

362日の日常と、3日間のカーニバル。
それが彼の人生だ。


少し大袈裟かもしれないが、
俺にとってのワールドカップというのはそういう思い入れがある。



世界を侵しつつある深刻な経済ジェノサイド。
貧富の差の拡大。
その例に漏れず、ブラジルの貧困問題は、
かねてからのそれよりもさらにその様相を険しくしているように見える。
映画『シティ・オブ・ゴッド』が描いた世界そのものだ。

だから、少年時代のように無邪気にあらゆる試合を観ることはないし、
アリーナのビッグイベント特有の寒々しさも時として禁じ得ない。

東京で開催するオリンピックには大反対だ。
放射能汚染の危険に対する安全性を担保できているとは思えない。
そして、平和の祭典を歌いながら金の祭典を祝う気にはなれない。
し、それに踊らされたくもない。
弱者を踏みつけた、大会開催は決して許されるものではない。
選手やその努力や、スポーツには最大限のRESPECTを込めつつ。

でもね、ワールドカップだけは別なんだ。
おれにとっては、ね。


そんな事のひとつや二つ、誰にもあるように思う。


清濁合わせ呑んで、
闇に宿る光をもみつけ出せる心でありたい。


がんばって仕事をたくさんこなして、
18日の生まれ故郷ベルギー代表の試合と、
20日の日本ギリシア戦を、
観たい。

マラドーナに捧げる唄
犬式 a.k.a.Dogggystyle "diego express" (2008)