昨夜ナイトキャンドルに出向いた、大宜味村白浜(沖縄)の戦時中の歴史。

凄惨な沖縄戦・局地の実態に、読みながら少し貧血を起こしてしまったが、日本人の一人でも多くに知っておいてもらいたいと思いアップする。

恐らく、こうした事を知らずに沖縄を旅行したり、暮らしたりするのは、その人にとって実りの薄い時間になってしまう事だろう。何故、沖縄のそこかしこに慰霊碑が建ち並ぶのか。ほんの70年前。僕にとっては爺ちゃん世代の話である。


僕の父方の祖父は満州文官→シベリア抑留(7年後に帰還)、幼児だった父は、あわや残留孤児になる状況で、日本へ帰還/母方の祖父は満州最前線→国民軍の捕虜・処刑前に脱走→帰還、その後、末っ子の母が生まれた。運命の細い糸一本、どこかで食い違っていたら僕はこの世に居ないわけだから、戦争の歴史と我が存在は実に直結する。

戦争の話は、思えば当たり前のように語り聴かせてくれる彼らが居たからこそ、僕にはリアルなイメージがある。80年代、少し左寄りのリベラル教育の最中で「戦争体験者」「空襲体験者」「原爆体験者」の話を、実際に聴いたり、読んだり、映画(「はだしのゲン」「像のトンキー」「火垂るの墓」など)で観たりする機会も多かった。

「戦争は良くない」ではなく「なぜ、良くないのか」。国家が掲げる勇壮な大義名分の足下で、兵士も含めた民衆がどれだけ悲惨な想いをしていったのか。そのとき、人や社会、そして国家というものがどうなってしまったのかを、体験せぬ世代に伝えていく努力を、僕のような戦後第三世代(じいちゃん:実体験→父→ジブン)が果たしていかねばならない。折々にちゃんと伝えていかないと、アニメやゲームの圧倒的な支配力を前に、風化してしまう。

そして、「武器」が「経済」という言葉にすり替わっただけで、実は戦後もずっと同じことを繰り返してきたのが、今の日本社会の実態なのではないか、という根源的な問いが僕にはある。

とりわけ原発事故後の日本社会と、この終戦末期の沖縄戦の諸相とは、幾つかの観点から極めて類似していると云える。



渡野喜屋(とのきや)事件をめぐって-①
http://reemakemi.exblog.jp/9248345/

渡野喜屋(とのきや)事件をめぐって-②
http://reemakemi.exblog.jp/9236391/

渡野喜屋(とのきや)事件をめぐって-③
http://reemakemi.exblog.jp/9236419/


こうした歴史を乗り越えて、移住者たちを大和から受け入れてくれる地元の皆さんに改めて感謝の念を深くする。