ガレキを受け入れないと被災地の人が可哀想的な、実に安易なマインドコントロールにはひっかからないように。現地では率直なところガレキの利権を地元に置きたいという意見も多い。だが放射性廃棄物である以上「焼却」と「移動」は、被災地内であったとしても、極力慎重にやるべきだと思う。放射能汚染において「この程度の数値は大丈夫」というものは存在しない。また、空間線量を測る方法はガレキの汚染度をまったく測った事にならないので、論外である。

そしてどうやら、「福島以外のガレキは放射能汚染はたいしたことない」的な、甘過ぎるとらえ方がメディアを通して流布され、一部の人たちがこれらを鵜呑みにしている。これは非常に危険な傾向だ。こうした方たちの、エモーショナルな部分は理解できるが、もう少し論理的に、科学的に考えてほしい。

ガレキの山が復興の妨げになっている、という人のほとんどがガレキの山を見ていないのではないかな。現状ほとんどが仕分けられて、市街地などにガレキはない。仕分け、圧縮されて当初云われていたよりも1/3程度に減ったという不自然な話もきく(トンという重さは圧縮しても変わらないはずだが。有用物は、放射能汚染を度外視して、既に多くの業者などが持って行ってしまったのか?)。

津波直撃の地域に積まれたものは、エリアの復興から考えてもまだ時間がかかる。塩害だけ考えても、津波被災地の土壌復興には3年かかる。

→全国拡散を急ぐのは、全国の運んだり処理したい人たち。
そして、彼らの政治家たち。(1兆円の処理予算を取り合い。例えば鹿島のJVなどが2800億円の受注を請けている。)

→そうした圧力が、マスメディアを使って「感情的」なガレキ拡散推進論を展開。テレビや新聞に対して思想的に無防備な人ほど、「さもありなん」な「いかにも人間らしい」論調に感化されて、異口同音に「がれき 反対する人は、あたかも被災地のことを考えて居ない」かのように叫び出している。だが、「放射能汚染」という絶対的な前提の前に、通常の感覚で対応してはいけない。ガレキはそもそも、域内で処理できるしそもそも拡散の必要がない。ましてや、放射性廃棄物を多量に含み、その安全な分別と、確固たる測定方法が確立されていない以上「焼却」と「拡散」は、国際法的にも完全なる「違法」行為である。つまり、これによって後年、韓国や中国のその筋の人々に賠償を請求されてしまう、良い揚げ足を与えてしまう事になる。勿論、そういう勢力と組んでいる日本国内の売国奴的政治家も、存在しているとおもう。

→いま大切なのは、九州と東北を感情的に二分させるような世論誘導に乗せられない事だ。


被災地感情としては、ガレキの拡散を「絆」とうそぶいて、ガレキという事業の利権を恩着せがましくも無理矢理に「火事場泥棒」していく、全国の関係事業者と、彼らの支援する政治家に対する怒りこそあって然るべき。拡散を停めようとする他地域の市民を恨んでたら、彼らの思うつぼだと思う。


九州では非常に多くの方々が、これまで1年以上のあいだ、東北を思い、心を痛め、多忙な日々の営みが続く中で時間をみつけ、心を割き、神経を使い、あれこれ支援してきた。とりわけ、食の安全に関する自負は高くなっており、この土壌を守ることこそが今行っている支援の根幹を成している。故に、ガレキの北九州での処理に反対したところ被災地側からは「東北の事を思っていないのか」というリアクションが(一部ではあるが)出ている。これはアンマリだ。そうした安易なメディアコントロールに乗せられる思想のヤワさこそが、原発政策を容易く推進させてきたのだ。だから、敢えてその姿勢を、今日のブログでは批判しておきたい。否定ではなく、批判しておきたい。議論して、その先に行きたい。

気持ちは、解る。よーーーーーーーーーーーっく、解る。
俺も本籍は山形県なので、東北人でもある。

だが、安易な感情論では「放射能社会」は生き抜いていかれない。
この事に関する認識が、極めて甘い。
実に人間らしい現象なのだが、日本社会は1年経って放射能を早くも「風化」させつつある。
復興のために、色んな事に目をつぶって、また猛進し始めている。
復興って「一体何処へ戻るの?」。
また、原発が当たり前で、エネルギー浪費が当たり前の、あの以前の社会に戻るのだろうか。
気にして、みんなが立ち上がらなきゃいけない問題を、ほったらかしに腐らしながら、誰も国を信用していないような、あの無気力なロボット労働社会に戻るのか。


冗談じゃねえぜ。

口々に言う「郷土愛」って、その程度の気持ちなのかよ、と。

一時は批判されたり、誤解されたりする事を恐れずに、正しいと思う事をハッキリ云い、行動する事が
今は本当の「勇気」なんだと思うよ。


現状を厳しく捉え、
西も東も信じ合い、助け合い、話し合い、聴き合い、
その先の社会を築いて行きたい。

色々な意見、感情が渦巻くのが大自然。
それは地震の前も後も変わっていない。
だからこそ大切にしていきたいものがある。

すべての距離の気持ちと現実の織りなすグラデーションの全てに、感謝とRESPECT。
どれひとつ欠けても、俺は存在しない。

one.