11月は沖縄で5本ライブ!→詳細はコチラ


1万人のHERBESTAは、秋雨の夜にはじまったが、最終的には90%の降雨確率を吹き飛ばす局地的な晴天にめぐまれて奇跡の3日間をおさめた。

この時代にまた何かが動き出したことを肌で感じられる人々の熱だったし、久しぶりに東日本を訪れた僕には震災以来、懐かしい顔ぶれも多かった。11/20沖縄・読谷の残波JAMにて再会できる面子も多く、HERBESTAから残波への流れを意識していきたい。今度は迎える側だ。内地からも沢山の人が訪れてくれると信じている。いつの時代も、共鳴する人の数はチカラだ。だからギャザリングには意味がある。オフシーズン、往復2万円くらいで飛行機はとれるし、残波JAMの公式ホームページには読谷の安くて素敵なゲストハウスやホテルの情報も載っている!→残波JAM公式HP

原発事故がもたらした深刻な放射能汚染をめぐって、暮らす場所、地域によって千差万別な反応が渦巻いている今の日本で、関東のみんなの元気な顔をみれたことは沖縄に移住した僕としてはホッとすると同時に複雑な気持ちにもなる、このことはデリケートな問題になりつつある。だが、長崎・広島の「被ばく者」たちのことのようにタブー化してはならない問題でもある。Peace-Kが長野入りしなかった判断は理解できるし実に妥当だし、一方でイベントを断行したDACHAMBOの面々と集った人々の熱もまた、この時代を変えて行くのに必要不可欠なものだった。

「被ばく者」たちの問題が2000年代にもなお終わりを迎えていないように、これは100年200年を余裕でまたいでしまう2世3世以降まで受け継がれる長い長い未来なのである。

今、ドキュメンタリー映画監督の鎌仲ひとみさんと、広島で被ばくした経験を持つ医師の肥田舜太郎さんによる共著「内部被曝の脅威」(2005)ちくま新書 を読んでいる。ながらく、他人にうまく説明しきれなかったことが全部ここに書いてあると思った。この本が1000万部売れて欲しい。みんな、買って、読んでほしい。そして、真の意味での国民栄誉賞ものの執念の活動を続けてこられた鎌仲さんや肥田先生のような人に資金を集めた方が良いと思う。この方たちは決して間違った使い方はしない。正しい情報を広めるために使ってくれると確信している。

ANTA MEDIA2号のインタビューで(311によりマボロシの)お逢いしてから、鎌仲さんには近いところですれ違いながら未だ再会できていないが、最近つくづく思ったのが「日本一の平和戦士は女だった」ということで、鎌仲さんは「女アパッチ」だということである。強い信念に貫かれた活動は、しかし大らかなユーモアと人間愛に満ちている。原発3部作、是非ご覧になるチャンスがあったら逃さないで観ていただきたい。

また、戦後から一貫して「内部被ばく」という隠された被ばくの存在を医師としてみつめ続け、世に訴えてきた肥田先生が、広島の反原デモで(確か5月)されたスピーチは、福島で起きていることの即時的な衝撃や脅威に隠れがちだった、息の長い「放射能被害の脅威」を明瞭で解りやすい言葉によって聴衆に語りかけて居られたのを、バックヤードで昼寝しながら聴いていたのを思い出す。


そして!
震災直前にネパールで、Peace-Kと二人きりのセットでのライブを録音したライブアルバムがいよいよ12/7発売ということに決まった。旅のDVDもついている。ナレーションは僕だ。緒方直人風にしてみた。地震以降の混乱の中で、予定より2ヶ月遅れてしまったがご了承ください。

12時間の停電が当たり前の街カトマンズでのライブは、遥か昔のように感じられる3/5。地震の1週間前だ。ライブのMCでも「電気の足りないネパールに、じきに日本やアメリカから原発を売るに来る企業が沢山のSWEETNESSを抱えてやってくるだろうが、決してココロを売ってはならない」と話したりした。当時、山口県上関町での原発阻止行動と、中国電力の強行工事との衝突が激しさを増している中で、友人や知人も駆けつけた現場を想いながらの旅だったことを思い出す。

言語を越えて、カトマンズの聴衆と共に羽ばたいていった、何かが宿った新月のライブだった。

あの熱の意味を、今もう一度かんがえる。






三宅洋平&Peace-Kライブアルバム『NEWMOON BLACKOUT KATHMANDU』TIME OUT TOKYOでの紹介記事はコチラ