長い旅を終えて、今週は東京の家を片付けて居る。

これが最後の片付けで、今週末のタイコクラブ(6/5)を終えたら沖縄に本格的に移住する。

地震と津波と原発で沢山の人生が大きく変わり、
僕もライブと旅の連続のひと月あまりの中で、
考えと望みと生きる道が、削ぎ落とされて姿を顕わしていった。

いわき市での炊き出しをひとつの目的とした、
長崎から青森(スマン北海道!)までの35日間。

ひとつの呼びかけに呼応してくれた沢山の援けにより、旅すがら
「大分中津の仲間から、無農薬玄米が200キロ」「広島門藤農園さんから、なま味噌が10キロ」などと物資が集まっていき、
放射能を排出しやすい身体に役立つというマクロビオティックの炊き出しが200食用意出来た。
いわき平工業高校の避難所と、近隣二箇所の小規模避難所に運ばれていった。

「動物性0」という一癖ある注文にも、
地元いわきの欧風酒場CHEERSの三好シェフ、AWAWAの小林シェフなどが中心になり、
およそ20名ほどのノリの良いボランティアの皆さん(ほぼtwitterで集まった地元や隣県の人々)と、
気持ちを込めて愉しく作った。

お米当番としては大量の玄米の炊き方には、
次回もっと工夫をしてみたいと思う余地を残したけれど、
宮崎産の山のようなお野菜たちは鐘のように大きな寸胴にて一切水を加えることなく、
じっくりと半日かけて滋養とコクに満ちた「味噌ストローネ」に。
玄米を結ぶときに使ったのは長崎のライブで出逢った壱岐対馬の人々が送ってくれた天然塩。

一見、地味な献立に、とりわけ歯の悪い年配の方の多い避難所でどうかと、不安もあったが
「玄米なんで、今日はいつもよりちょっとだけ沢山噛んでくださいねー」と声をかけて配る。

体育館に詰めている長崎県のボランティアの方に
「タレントの三宅洋平さんです!」
とマイクで紹介されて、一同完全にズッコけたりという一幕もあったが、
「玄米って、こんなにオイシイんですね」とにっこり云ってくれたので嬉しかった。

「昔よりも随分うまくなったんだな玄米は」とお年寄りの方に云ってもらえたり、
「無農薬か。そりゃ大変だ。」と農家の苦労が解る人が居たり、
「野菜が足りないから、嬉しかった」とブログへコメント戴いたりして、
ひとまず胸をなでおろしている。
生野菜が不足しているようなので、キャベツのコールスローは特に喜ばれた。

mayumi-sunからの紹介で熊本の農家さんから格安で譲ってもらった無農薬玄米200キロは、
jazzysportキャプテン(社長)小林雅也によって陸前高田の保育所へ届けられた。
原資は、主に神戸や長崎での募金や、皆のチケット代から。


佐賀の寄り合いライブを主催してくれたaccoが炊き出し用に2日で作り上げてくれたのは、玄米や生味噌、良質な塩が、放射能を排出しやすい体質作りに役立つことを説明したパンフレット。
押し花入りのまめ知識が、沢山の不安のひとつかふたつを、少しでも明るくできれば。

静岡・御前崎のママたちから預かった手作り麻の実クッキー(アレルギー対応クッキー)は、
被災地でアレルギーに苦しむ子たちのために持って行ったが、
多くの避難所は二ヶ月が経つ現在では、子供のいるファミリーほど、より遠隔地へ既に避難して居り、
高校生の姉妹たちや、小さい子に個別に配ったり、
宮崎・登米の子供たちに一部を持って行ってもらったりした。


原発からの距離によって、様々に移り変わる街々のテンションのグラデーション。
東京の夜は星空が奇麗なくらい灯りが相当消えていたが、西の街はいつも通りにぎわっていた。

それでもミナ、自分の居る場所から何かをしたがっていて、
僕の持っていないものは誰かが持っていた。
だから僕はそれを集めてまわって届ける係だった。



そして日本中みんな、もう何かを変えたがっていた。
変化を望んでいた。

そして、みんな「自分も」何かしようとしていた。
何が出来るか考えていた。



やれることは、消費における選択など、世界の何処に居ても実は沢山ある。

make better world.

地域通貨や、自然エネルギーのこと。

お金の流れや、産業の収益構造。

自分の暮らし。



誰もが賢くならないといけなくなった。

それはもの凄く良い事なんじゃないだろうか。


いっこづつ実践していく。

それはつまりなりたい自分になるという事だったりして。

それを時代に急がされている。




さあ、この問題をどうしようか。

大きな目で見れば、世界中で色んなことが随分とおかしなことになってきてる。

一方で「市民」みたいなものが
世界中で連帯して情報交換して、
実践的に世界を変えていける時代にもなった。



東北の北端、北海道まで手のとどきそうな下北半島の先、大間原発建設敷地内で
文明を代表する巨大な昆虫兵器のように森の向こうにそびえる数台の巨大クレーンと、
原発建設を阻止するたった一軒の家の敷地のステージで歌いながら向き合ったときに、

この現在進行中の問題を通して、僕らがどれだけ感じ、学び、築けるかはチャンスだと思った。

ステージに向かって吹く強い向かい風のなかで
時間がかかっても
成就しようと誓った。



時代に対して最も、自分の成せることといえば、自分の暮らしである。

自然農と、家の建て方を学びたいというのが目下の目標。
沖縄には教えてくれるヨーダが沢山居る。

それから、35日で17本ライブという人生最大の無茶を犯してボロボロになった身体をチューニングし直して、残りの半生は「つかれないこと」をとても大切にして生きていこうと思った。
実はそのほうが遥かに推進力が生まれることも解った。

自愛できない人は他人を愛せない。
自分をいたわって、余裕を持つことは大切だから「つかれない」ことは大切。


実践に向けて、沖縄という新しい場所での暮らしを大切に始めたい。




*この度の東北支援ツアー。全てのライブのオーガナイザー、お店、協力者の皆さん。震災が起きて、4月に入ってからの急なブッキングに対応していただき、まことに有り難うございました。