(石橋教授の国会での公述 2005年)

http://www.stop-hamaoka.com/koe/ishibashi050223.html


(地震の国のエクソダス)

地震学の観点から、これほど明確に指摘されている東海地震、南海地震の存在がある以上、原子力発電所は停めて欲しいです。

未だに余談を許さない「福島」という前例を作ってしまったのだから「安全です」という電力会社の弁が説得力を失ったことも、また確かです。

福井・若狭湾にある13基。
静岡・浜岡の5基。
プルサーマル含む愛媛・伊方の3基。

これらは直ちに停めるのが、福島から得られる明確な教訓だと思います。

また、こうした「国民の要求」を政治に反映させる道筋を獲得していくことも、この機会に必ずしておかなければならないことです。地方行政、及び国政のような大きなレベルの両面において、「市民の当たり前の感覚」がちゃんと政治的な「力」をもつ制度を生み出す必要があります。

浜岡に12メートルの堤防を作るというハナシが出てるそうですが、これは裏返せば「危険」を認めたということになります。そして今さら堤防を建て増すというのは、これまで重ねがさね指摘されてきた「危険性」を無視していたという事でもあります。

また、現代的工法で「高さ」を追求した堤防を建てても、本当に大きな津波の場合は「抗う」壁と波の力がぶつかってより大きな力が生まれて危険であると、とある漁業経験者から聞きました。沖縄の珊瑚の環礁のように、幅の長さが問題なのであって、堤防は「高さ」ではない、と。これは素人の僕でも、直感的に理解できるハナシです。東北での津波災害の甚大さが、皮肉にもそれを証明して居ります。

今回の津波は最大で15メートルということですが、過去の巨大地震の際には最大で38メートルというものも記録されています。堤防建築のトレンドにおける、根幹的な方向転換も必要だと思われます。


(答えが先にある科学的見地)

悪意が存在したかどうかは解かりようがありませんが、電力会社内で理論と論理のフィードバック現象が起きて非常にロジカルで科学的な硬直状態が起きて「或る種の神話」が生まれているのだと思います。「沈黙」というノイズが支配しているのだと思います。

これは、たった3人か4人単位のバンドという組織においてすら生まれがちな「集団」が持つ本能的欠陥のひとつです。自立した個人の意志が、集団であることによって喪失されていき、ある特定の意志だけに沿ってものごとが推進されてしまうような状態。
「まわっていない」サッカーチームというのも、こういう状態になっていることが多い。

大事な局面でお粗末なライブをして恥をかいたり、ワールドカップに出られない程度で済むハナシなら良いのですが、原子力事業だけは、恐らく地球上で唯一、こうした間違いの許されない領域です。


それで、僕は科学に疎い、典型的な戦後日本型教育の「文系洗脳」を受けたタイプです。
今回、痛切に感じたのは「後半生は数学や論理的思考の勉強をしなくては」ということでした。
30過ぎたら、苦手なことをガンバロウ。

一方、記者会見で、質問の意図が汲めない「国民の知りたいことが教えられない」電力会社や保安院の「理系洗脳」を受けた人々は、やはりもう少し国語能力や、相手の気持ちを推し量る情動を育んでほしいと思うのです。(本当の事を云えない、という課せられたミッションがあるようにも見えます)数値化されたデータの根幹にある、「己の存在や行為の真偽を問う」哲学的な思考を失って欲しくないのです。

地震以前から、反原発運動というものは30年以上、それなりに苛烈に各地の住民によって行われてきましたが、株主に電気事業者連合がデンと鎮座するマスコミは、それらをほぼ一切、無視してきました。国の政策ですから、といってメスを入れてこなかったのが、日本のジャーナリズムの実態だと断言します。フリージャーナリズムが台頭した、この度のこの気運は、とても大切だと思います。そして言語に長けた彼らもまた、他方ないがしろにしてきた感の否めない科学的見地を、今必死に獲得しようとしています。


僕が原発の問題に本格的に興味をもって首を突っ込んだのは此処1年です。まるで、ペーペーですが、たったの1年本気でdigるだけでも、如何に政府と電力会社と経産省が「欺瞞(ぎまん)」に満ちているかは、解ってしまいます。これまで知らなかった方で、知識は追いつかなくても、事故後の幾多の「会見」から感じた「不信感」は、これは確かな感覚です。彼らは、地震以前から、何十年もそうだったのです。これは大事なポイントです。

自宅の4キロ先に原発出来ます。と宣告された住民に対して、充分な説明が果たされることは殆どなく、まさに今回の事故以降の対応と同じ「矛先逸らし」が延々と何十年も繰り返されてきたのです。困ったら専門用語の連発で「ほら、あなた全然、勉強してないじゃない。」となる。根本的に「理解を得よう」「不安にこたえよう」という本意は存在しない。なぜならば、そもそもそれらの不安やリスクを除外することなど不可能だったからであります。それらの質問に誠意をもって応えると原発の計画を「推し進める」ことが出来ないのです。

そうこうするウチに、町内や村内をオカネと利権が駆け巡り、何年かしてふと気づくと自治体の要人や議員たちが次々と推進派に巻き取られて「主流」となっていく。漁業補償権を数千万円単位で漁民たちから買い上げていき、海を捨てる海人が大多数を占めるようになります。原発が稼働するまで補償金の半金は支払われないことになっているから、彼らは反対派の住民が疎ましくなってくる。親子、兄弟、親族をまっぷたつに切り裂いて、町はまさに「核分裂」していく。ー

昨年7月に僕が訪れた際には、上関原発(山口)予定地の上関町では「花咲く海の町振興券」という地域振興券が一人2万円づつ配られて、その財源は中国電力の寄付だったりするのですが、こうした事が何十年も、繰り返されて「住民の理解」が得られて行くのです。

こうした雰囲気の中で重宝される科学者、学者というものは、企業や国が計画を推進するのに都合の良いオピニオンリーダーたちです。カウンターバランスとしての、反対意見者たちは、研究費も少なく、時間をかけて黙殺されてきました。

NHKに出てくる学者たちなどは以前から「御用学者」と揶揄されてきた人達で、多分嘘をついているというよりは、真実を自分の側に引っ張り込みたい欲に負けてしまったのだと思います。信じられないような事故の起きたこの期に及んで、失われる生命や、傷づく遺伝子とその数多の人生に「共感」することの出来ない人達なのです。

文系と理系、仲良くしたいものですね。


(賢くなっていく市民)

日本列島の住民全体で出来ることは、家庭の電力使用を極限まで減らすライフスタイルへの移行と、大量の電気使用を必要とする産業に依存した生活のあり方をみつめなおすことです。

掃除機がホーキと雑巾になったところで、それほどの損失だろうか?
僕にはそれほどとは思えません。
今までお母さんに任せっきりだった掃除を、子供たちが手伝うのが当たり前になれば良いのでわ?

反論があるとすれば、電機メーカーの掃除機部門の方くらいだと思います。

此処で、僕らは様々な「現実的反論」を受けて「経済学」というものも勉強していくことになるのでしょう。願ったり叶ったりです。間違いを恐れずに、どんどん口を開きましょう。時間を惜しまずに、自分で調べましょう。カンニングの連鎖がデマを生む事も、この度多くの人が学んだことです。

企業の論理は、企業の論理です。今回の東電にしても、多分「嘘」をついているつもりはないのです。

だから、危険なのです。

ですから、これまで世界を、散々に破壊し尽くして来たこの「企業の論理」に対する「住民の論理」をきっちりと示して、我々自身が生き方を「選択」していかなければならない時が来ています。

肝要なのは、「実践」です。

と自分に言い聞かせて。


いまだに多くのことを注視しなければならない状況下、ライブの延期など多くの決断を日々刻々と迫られています。今も、非常にメルティな状況に置かれているライブ予定が幾つかあります。意外な結論を出す事もあるでしょうが、今この緊急の事態で、それぞれがそれぞれの立場から下す判断に、正解も間違いもなく、すべての決断が尊いと思います。そこの差異を巡って、争う時でないことだけは、確かです。寛容な姿勢で、ご理解いただければ幸いです。


ONENESS

引力で手をつなぐ
星たちが輪になってダンス
例え同じ星じゃなくても
僕たちは輪になってダンス



三宅洋平 (仮)ALBATRUS