ぶつかり合うことが調和。正反対のものバンバンぶつかり合うことによって両方が開く。 | 覚醒のひかり

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縄文時代にゆるゆる瞑想をしていた、シャンタンこと宮井陸郎(1940.3.13-2022.3.17)のブログ
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【いまここをトータルに生きる】
いろんな人の言の葉を、分かち合いたいと思いまあああああああす!
(貫井笑店)




ぶつかり合うことが調和




正反対のものがバンバンぶつかり合う事によって両方が開く

 

 

相手に遠慮して何割かを抑えるのではなくて、ぶつかり合うことがいい



 

 

 

岡本太郎

 

 

 

 

現実と抽象の裂かれた中に人間の存在がある。抽象と現実のぶつかりあい、引き裂かれた所に人間の本当の存在がある。

 

 

 

 

原始時代の人間というのは本当に生身で生きていた。

 

 

 

 

自分の体全体、精神全体で自然とぶつかりあいながら自然を生かし、おのれ自身を生かした。

 

 

 

 

そういうものが無くなって、社会システム、生産、工業、財産…そんなことだけが問題になって進歩になってしまっている。

 

 

 

 

「進歩と調和」という万博のテーマが納得できないので断ったが、毎晩のように万博の責任者が現れて頼まれたので「じゃあしてみよう。ただし、普通の人間の考えることとは違ったことをやる」ということで、

 

 

 

 

地下と地上と空中とに分けようと丹下健三くんにも納得してもらってあの大屋根にして地下に展示場があって、地上はただ塔が見えるだけで、どういう風にしようかと考えたあげく、生の人間の感じをいれるというつもりで顔を一番目立つところにやった。

 

 

 

 

その上にも顔がある。後ろの方にも「黒い太陽」という顔がある。

 

 

 

 

美術家の間から「国の金と広場を使って何であまりにも岡本太郎的なものをつくるのか?と批判も出たが、「何を言っているんだ!個性的なものの方が普遍性を持つんだ」とやり返した。

 

 

 

 

「進歩と調和」というのは逆だと思う。人間少しも進歩していない。科学的に工業的に産業的に進歩しているかもしれないが、人間的にはみんな空しくなっている。

 

 

 

 

万博のテーマが「調和」というと全部が機械で生産されたような計算ずくのものばかりが並ぶだろうと想像できた。

 

 

 

 

それとは正反対のものをバーンとぶつけてやろうと思った。

 

 

 

 

ぶつかり合うことが調和。正反対のものがバンバンぶつかり合う事によって両方が開く。

 

 

 

 

相手に遠慮して何割かを抑えるのではなくて、ぶつかり合うことがいい、だからあんなすっとんきょうなものを作った。

 

 

 

 

憎まれてもいい、嫌われてもいい、みんなに不満がられるならそれでいいと平気で作った。

 

 

 

 

万博が終わったら取り壊しになるはずだったが、人気が出たのでアンケートをとったら90何パーセントもの人が、是非残して欲しいというので今でも立っている。

 

 

 

 

手だけあげて、孤独に永久的に立たされている。

 

 

 

 

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ぶつかり合うことが調和と岡本太郎さんはおっしゃっています。




思いっきり議論すること。




思っていることを全部相手に伝えること。




多くの日本人が苦手なことかも知れません。




岡本太郎さんがこう言っているし、いざやってみよう!と思って実践してみたら、、、




変なテンションになって、ワサワサ・ドキドキ、、、思っていたことが思うように伝えられなかった、、、とか




感情が先走ってケンカ腰になってしまった、、、とか。




相手の言うことを認めながら、自分の言いたいこともスマートに伝えられたらいいなぁと思いながら、なかなか上手くはいかなですねぇ、、、。




あきらめずに日々実践を続けます。




さて、万博のニュースを天からご覧になって岡本太郎さんは何を思っているんだろうなと思います。




本日もお読みくださりありがとうございました。

 

 

 

貫井(み)投稿