神秘体験というのは確かにあるのですが、それだけで一気に悟るなどということはありません | 覚醒のひかり

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縄文時代にゆるゆる瞑想をしていた、シャンタンこと宮井陸郎(1940.3.13-2022.3.17)のブログ
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いろんな人の言の葉を、分かち合いたいと思いまあああああああす!
(貫井笑店)










石川勇一さん






偽りの霊性の背景




今日では、いわゆるスピリチュアルな書物やネット上の情報が容易に大量に入手できる状況になりました。




これをたくさん読んで相当詳しい人々も大勢いると思われます。




書物やネットの間接的な情報だけでは飽き足らず、スピリチュアルなセミナー、イベント、ツアーなどにも積極的に参加し、秘儀を学んだり、神秘的な体験を味わい、次第に確信を得ていく人たちもたくさんいると思われます。




宗教学者の島薗進(1996)は、このようなスピリチュアルなるものの世界同時多発的興隆現象を新霊性運動と名づけ、これまでの宗教団体を中心とした宗教活動とは異質の現象であることを指摘しています。




特に二十一世紀以降の新霊性運動は、かつてないほどの玉石混淆の大量情報化時代を土壌として、組織と教義によって統制される宗教教団とは異なる様相がいっそう際立ってきているように思われます。




私は、スピリチュアリティに関連する研究をしていることもあり、こうした新霊性運動のなかにいると思われる人々と会う機会が比較的多くあります。




限られた経験からですが、良質な霊性をさまざまなルートから学ぶことによって、自己肯定感を回復し、自己認識を深め、自己意識を拡大し、現実の生活や社会にも良い影響を与えつつある人たちがいることを知っています。





一方では、スピリチュアルな書物やセミナーなどによって頭でっかちになり、迷信的で荒唐無稽なストーリーに振り回されたり、使命のある特別な人間であるなどと自我肥大してしまう人が多いことも事実であると思います。




このような場合、当然の帰結として、等身大の自分を見失い、現実との摩擦を引き起こします。




書物を読んだり、セミナー等で神秘的な体験を一時的にしただけで、冷静な検証や経験による蓄積もなく、「自分は霊性の高い人間」「高次の自己」「特別な使命を負った人間」「悟った人間」であると思い込んでしまうことがあるのです。





アクション映画をみると、主人公のヒーローと同一化し、自分が強くなったように思い込むことがありますが、通常その高揚感はそれほど長続きしません。




本当に強くなりたいと思ったら、専門の道場に入門し、厳しい練習を地道に積み重ねていくことによってはじめて現実に力をつけることができるのです。




霊性の道もこれと似たところがあります。





ところが、スピリチュアルな情報を一人で学び、一時的な高揚した体験をもたらすセミナーなどに時々参加するだけの場合には、自我肥大したまま留まってしまうことがあるのです。




いわゆるスピリチュアルなワークショップは商業ベースのものが多く、参加者を「お客さん」として扱いますので、夢のある美しい話をたくさんする一方で、厳しい指導をするものは少ないのです。





伝統的な宗教団体に所属していれば、指導者や仲間などから指摘を受けて、思い上がりが打ち砕かれながら、現実の自分を否応なく見つめさせられながら、少しずつ成長していける可能性が高いでしょう。




また、ワークショップではなく本格的に修行となれば、修行をさせていただく新参者として、身を低くすることから始めなければなりませんので、自我肥大を抑制する集団の力が働きます





しかし新霊性運動は、緩やかなネットワークはあっても、組織に帰属しない個人が基本なので、他者との相互検証や批判の目に触れることが少なく、不愉快なフィードバックをことごとく避けることができるので、どこまでも自己中心的・自己愛的・万能感的・自己顕示的・虚栄的・空想的な自分の中だけの妄想的な世界が拡大して、歯止めがかからなくなる危険性があるのです。




新霊性運動は、共同性による相互のチェック機能が十分に働かないため、きわめて未熟なものが「スピリチュアル」なものに塗り替えられ、祭り上げられてしまうのです。




このような人々は、スピリチュアル・ビジネスの格好の獲物であると同時に、みずからがそのビジネスを再生産する危険性を持っています。




これは、スピリチュアル・ビジネスの闇の側面です。





カルト教団においては、教祖の誇大的・被害妄想的などの妄想的世界が、マインド・コントロールされた信者たちに共有され、教団全体で反社会的な行動を起こす危険性があることについてはすでによく知られています。




これと似たことが、新霊性運動においては、個人レベルで起こるのです。





私はこれを「ひとりカルト」と呼んでいます。




カルト教団のような大規模な損害は与えませんが、「ひとりカルト」 でも周囲の人々や、本人にとっては極めて有害であることに変わりはありません。





スピリチュアル・ビジネスによって幻想を肥大化させてしまった人の相談に乗る場合には、その人が信じていることや、体験したことを、頭ごなしに否定してはいけません。




理由は二つあります。




第一は、真正の神秘体験や、真理(ダルマ)に触れている場合があるからです。




それについて語られたときには、決して見下してはいけません。




虚心に耳を傾けて、聞くことです。




ただし理解もできないのに迎合して持ち上げたり、ありがたがる必要もありません。




第二の理由は、頭ごなしの否定は、対立や決裂だけが残り、今後の対応が不能になってしまうからです。




よく聞いて理解してから、相手を尊重しながら、疑問点があれば、冷静に話し合えばよいのです。




そして、現実にいろいろな問題が起きているときには、足下の現実をしっかり見るように伝えることが必要です。




まずは謙虚な態度で、社会で生きていく基本を身につけ、目の前のやるべきことをしっかりやることを伝えます。




できていないことがあれば、具体的にそれを話し合います。




霊性の開花のためには、まず、社会の現実を知り、常識をわきまえ、正しい生活を送り、自立して生きることも、その土台として欠かせないということも、伝えると良いでしょう。





そして、霊性の修行には、教養や作法を学び、心と身体を整え、人格を磨き、能力を向上させ、慈悲心を養い、利他行に励んで他者に役立てるようになり、真理についての智慧を得るなど、地道な努力によってしか達成できない課題が無限にあることを伝えるのです。




神秘体験というのは確かにあるのですが、それだけで一気に悟るなどということはありません。




地道に磨いてきたものこそ、本当の霊性の成長であり、揺るぎない安心と自信をもたらすのです。







石川勇一さん

1971年神奈川県相模原市生まれ。早稲田大学人間科学部卒・同大学院同研究科卒。
現在相模女子大学教授、臨床心理士、日本トランスパーソナル心理学/精神医学会副会長、同学会学会誌編集長、ヒーリングスペース「アートマンの館」代表。
個人セッションのほか、瞑想会、瞑想&山巡礼リトリート、ヒーリング講座、ボディーワーク・ワークショップなどを開催。







「スピリット・センタード・セラピー瞑想意識による援助と悟り」より一部引用以上