すべてが愛だ | 覚醒のひかり

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縄文時代にゆるゆる瞑想をしていた、シャンタンこと宮井陸郎(1940.3.13-2022.3.17)のブログ
【地球は国境のない、一つのうつくしい平和な星です】
【いまここをトータルに生きる】
いろんな人の言の葉を、分かち合いたいと思いまあああああああす!
(貫井笑店)




存在全体が、愛の中に在る。 





osho

愛はふたつの魂の統合だ。 

ふたつのエネルギーが出会って、ひとつの全体となる。 

これが起こる時、そのとき初めて「祈り」が可能になる。 


「ひとつ」となったふたりは、あまりにも満ちたりて欠けたものがないので・・感謝が湧き上がる。 


ふたりは祈りと共に、ハミングを歌い始める。 


愛はこの存在全体の中で、もっとも偉大なものだ。 


実際あらゆるものが他のあらゆるものと共に愛の中に在る。 


あなたが何か内側の頂点に達する時はいつでも、 全てのものが他の全てのものを愛している、ということに気づくだろう。 


あなたが愛のようなものを見つけられない時でも、 あなたは憎しみは感じられる。 


憎しみは、愛が誤った方向へ向かったものに他ならない。 


あなたは無関心を感じる。 


無関心は、愛がまだ溢れ出すまでの、勇気に欠けている状態に過ぎない。 


閉ざされた人を感じる時があるだろう。 


彼は、あまりにもたくさんの恐怖と不安を感じているに過ぎない。 


だから彼は、最初のステップを踏めずにいる。 


けれども、すべてが「愛」だ。 


動物が、別の動物へと飛びかかって食い尽す時でも・・ 

ライオンは鹿に飛びかかって、鹿を食べてしまうが・・



それは愛だ。 




これは暴力のように見えるだろう。 

あなたは知らないから。 

しかし、これは愛だ。 





その動物、ライオンは、鹿を自分の中へ吸収してしまう。 

もちろんとても荒々しい。 

とても粗野で原始的だ。 

動物的だ。 

それでも、それは愛だ。 





愛し合うものは、お互いを食い尽くしてしまう。 

お互いを吸収してしまう。 

動物は、とても粗野な方法でこれを行っている。 

それだけのことだ。 

存在全体が、愛の中に在る。 




木々は大地を愛している。 

大地は木々を愛している。 

そうでなかったら、どうやって彼らが一緒に存在出来るだろう? 

何によって、彼らは一緒にいられるのだろう?  





そこには共通の環があるはずだ。 

この環は、根が大地にあるということだけではない。 

もし大地が木を深く愛していなければ、 根もその木を助けることは出来ない。 

目には見えない、深い愛が存在している。 




全存在が、全宇宙が、愛の周りを回っている。 

真実だけではあまりにも乾いてしまっている。 




もしこのことが理解出来れば・・今はただ、頭で理解出来るだけだろう。 


が、記憶の中に留めておきなさい。 

いつの日か、これがあなたの実存での経験となるだろう。 



敵対している者たちは、お互いを愛している。 

そうでなかったら、どうしてそんなに厄介をかけ合うのかね?  

「神はいない」と言っている者さえも、神を愛している。 

彼は絶えず「神はいない」と言っている。 

彼は取り憑かれている。 

神に魅せられてしまっている。 

さもなければ、どうしてそんなに神の邪魔をするのかね。 

無神論者は生涯ずっと、神がいないことを証かそうとしている。 

彼はそれほどまでにも神の愛の中にある。 

それほどまでも神を恐れている。 

時が来れば、彼の実存には途方もない変容が起こるだろう。 

それで恐れている。 

彼は証かし続ける。 

「神はいない」・・こうやって努力している時、

無神論者は、神が自分を呼んでいるという

深い怖れを表してしまっている。 

そしてもし神がいれば、彼は今のままではいられなくなる。 

これはちょうど、目を閉じたり半分閉じたりして、通りを歩いている僧侶のようなものだ。 

僧侶は女性を見ないようにしている。 



彼は自分にこう言い聞かせ続ける。 





「女性なんて存在しない。

すべてがマーヤ、幻想だ。ただ夢のようなものだ・・」 

それなら何故、ただ夢のようだと言い続けるのだろう? 

何故、この愛すべきものが存在しないなどと証そうとするのだろうか? 

何故なら、そうしなければ僧院は消えてしまうだろう。 

全てが愛だ。 




愛が全てだ・・もっとも粗野なものから、

もっとも超えたものまで。 

岩から神に至るまで・・愛だ。 

たくさんの層、たくさんの段階、程度がある。 

しかし、愛だ。 

あなたがひとりの女性を愛することが出来れば、 

あなたは、マスターを愛することも出来るだろう。 

マスターを愛することが出来れば、神を愛することも

可能となる。 

女性を愛すると、その肉体を愛することになる。 

肉体は美しい。 

肉体には何も問題はない。 

それはまさに、ひとつの奇跡だ。 

ともかく、あなたが愛することが出来れば、愛は成長する。






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