ただいま、懐かしい未来縄文、それは弥勒の世。 | 覚醒のひかり

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縄文時代にゆるゆる瞑想をしていた、シャンタンこと宮井陸郎(1940.3.13-2022.3.17)のブログ
【地球は国境のない、一つのうつくしい平和な星です】
【いまここをトータルに生きる】
いろんな人の言の葉を、分かち合いたいと思いまあああああああす!
(貫井笑店)











 

 

 

 

ただいま、懐かしい未来縄文、それは弥勒の世。

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Ryoko Maya Osumiさん



先日、京都の龍安寺と広隆寺に行ってきました。

特に、広隆寺の弥勒菩薩蔵は、小学生の時から大好きなんです。

その弥勒菩薩蔵の前に座り、瞑想しました。


ふと、最近、よく「弥勒の世になる」と目にしたり、耳にしたりするけど、

と頭をよぎったとき、メッセージを受け取りました。


「祈りが足りない」

「私たちは、あなたたちの「意」に「乗る」ことができるのです。

それが「イノリ」です。

あなたたちが、祈る時、その意に乗り、

私たちが力を発揮することができるのです。」


「イノリナサイ」

「モット イノリナサイ!」

「モット イノリナサイ!」


私が、今、教えてる、ワンネスアウェイクニングコース(目覚めのコース)

の中の成功の公式と結びつきました。


成功の公式 =

意図(願望+情熱) + 努力 + 恩寵


たいていの場合、強い意図があれば、努力と恩寵はついてきます。


果たして、私は弥勒の世を求めつつ、強い情熱を持っていたのか?


情熱がかけていたことに気づきました。


そして、強く強く願いました。


弥勒の世。



みながみなで幸せになれる世を!




弥勒菩薩像の前で、





涙ぐみながら。。。



osho


祈りは愛の最も高い形だ。


愛が花だとすると、祈りはその芳香だ。


愛は見えるが、祈りは見えない。


愛は、一人の人格と他の人格の間にあるが、


祈りは、一人の非人格と、全体の非人格の間にある。


愛には制約があるが、祈りには制約がない。


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