目覚めた人は、他人を非難しない。 | 覚醒のひかり

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縄文時代にゆるゆる瞑想をしていた、シャンタンこと宮井陸郎(1940.3.13-2022.3.17)のブログ
【地球は国境のない、一つのうつくしい平和な星です】
【いまここをトータルに生きる】
いろんな人の言の葉を、分かち合いたいと思いまあああああああす!
(貫井笑店)


 

 

 

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目覚めた人は、他人を非難しない。
目覚めた人は、他人を説得しようとはしない。


バガヴァン


目覚めた人は、空っぽであり、

ゆえに有能である。


目覚めた人は、

学ぶべきものは何もない

ということを知っている。


必要なのは、

ただ学んだものを捨てるだけである。

目覚めた人は、

絶えず学んだことを捨てている。
それゆえいつも重荷から解放されていて、

自由の中に生きている。

目覚めた人は、

何も達成することもない。
達成することは何もないからである。


目覚めた人は、

何も知ることもない。
知ることは何もないからである。


目覚めた人は、

物事について知らず、
あるいは理解していないが見ている。


目覚めた人は、

物事をあるがままに見、
それらをコントロールしたり、

型にはめようとはしない。


目覚めた人は、

他人を説得しようとはしない。


目覚めた人は、

起こるべきことは起き、

そうでないことは起きず、
宇宙とは永遠に

コントロールできないものであることを

知っている。


目覚めた人は、

宇宙誕生以前から

そこにあったものと一つになっている。

それは永遠に存在し、

生まれることも死ぬこともなく、
始まりも終わりもなく、

決して変わらず、孤高、空、無限、
至福に満ちた永遠の「私」である。


目覚めた人は、

世界が虚空から現れるのを見る。
それゆえ世界を有るがままに受け入れる。

目覚めた人は、

世界をあるがままに受け入れるので、
本来の自己に確立されている。


目覚めた人は、

何事にも執着しないが、

ゆえにすべてと一つである。


目覚めた人にとって、

世界とは自分自身である。

したがって、
世界を自分自身のように愛し、

いたわる。



貫井投稿