明日世界が終ろうとも私は気にしていません。と言うのはたやすい。 | 覚醒のひかり

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縄文時代にゆるゆる瞑想をしていた、シャンタンこと宮井陸郎(1940.3.13-2022.3.17)のブログ
【地球は国境のない、一つのうつくしい平和な星です】
【いまここをトータルに生きる】
いろんな人の言の葉を、分かち合いたいと思いまあああああああす!
(貫井笑店)

















 

 

 

明日世界が終ろうとも私は気にしていません。と言うのはたやすい。

だが、あなたのハートでそれを感じてごらん。

世界というのは、あなたの外側にだけ存在するのではない。

世界は、あなたの内側にも存在する。

あなたが世界だ。 

あなたは「今」を選び、延期することを止める。

それは本当だ・・「今か、さもなければ永遠にない」・・

質問

たとえ明日世界が終ろうとも私は気にしていません。

そのことについて話して何になるのでしょうか?

人類の抑圧されたマインドの中で、永遠に燃え続けるかのような、

この巨大化してしまった破滅の炎に油を注ぐことに、

意味はあるのでしょうか?

もうたくさんです。

「今か、さもなければ永遠にない」ということがよく分かります。

それならば、今やってしまいませんか。

さあ、踊りましょう! 




osho


ヴィマール、

「私は世界のことなんか気にしていません」

と言うのはたやすい。

だが、あなたのハートでそれを感じてごらん。

世界というのは、あなたの外側にだけ存在するのではない。

世界は、あなたの内側にも存在する。


あなたが世界だ。 

あなたは「今」を選び、延期することを止める。

それは本当だ・・「今か、さもなければ永遠にない」・・

だが世界には、今に生きている人々はほとんどいない。

人々は、いつも昨日か明日に生きている。 


なぜ私は、どのような明日も全くなくなってしまう可能性が

今度こそ来る、ということを強調しているのだろう?

「明日は決してやって来ない」という古い諺(ことわざ)がある。

だがこの古い諺は、ただの諺に過ぎなかった。

そしてこの諺にも関わらず、明日はやって来続けた。

それは明日としてやって来るのではない。

いつも今日としてやって来る・・その意味では、諺は正しい。 


だが、今や状況は全く異なる。明日は本当にやって来ないかもしれない。

私達はまさに、道の終わりにやって来たということを、

あなたの存在の中に深く浸透させて欲しい・・

そして、踊り祝う以外に、何も残されていない。

それを「今」やる為に、私はあなたの明日を完全に破壊している。

私はあなたのマインドから、明日を取り去ろうとしている・・

あなたのマインドは、明日というものに深く巻き込まれている。 


あなたのマインドの中に、延期する為の言い訳が残されるべきではない。

そうすれば、あなたの全エネルギーが「今」に集まる。

未来に広がっていかない。

もし全エネルギーをこのポイントに集中するなら、

この瞬間はエンライトメント(光明)の瞬間になり得る。

光明とは、あなたの意識がただ一点に集中した、

ということ以外の何ものでもない・・


「今」そして「ここ」に。 


あなたは言う「もうたくさんです」。

そうではない、ヴィマール。

人間のマインドを見ると、何も充分ではない。

人々は、彼らの古い無意識なやり方で生きている・・

ブッダやキリストのような人々が、いつも世界の終わりを

予言して来たけれども、世界はまだここにある。

という望みを抱きながら・・ 


だが私の関心は、世界の終わりを回避することにあるのではない・・

もし回避することが出来るならば、それは回避されるだろう・・


私の関心は、あなたの全エネルギーをこの瞬間に集めなければならない

ということに・・


そして、

全エネルギーが「ここ」と「今」に集められた瞬間、光の爆発が起こる。

あなたは初めて、完全に自分自身・・永遠の存在、不死の存在になる。


それは何ら死について知らない。

どのような暗闇にも決して出会ったことがない。 


あなたは言う。

「それならば、今やってしまいませんか。さあ、踊りましょう!」

だが、あなたのダンスはトータルでなければならない・・

というのも、あなたは踊りながら、

依然として未来に思いを馳せることが出来るからだ。

あなたは踊りながら、依然として明日もまた踊っているだろう、

と考えることも出来るからだ。

これが最後のダンスであるかのように踊りなさい。

奔放に踊りなさい。

何もためらうことなく。

それがあなたの存在に変容をもたらし、

そして、他の人々の変容の可能性をもたらすだろう。 


人類はかつて、これほど苦しんだことはなかったほど苦しんでいる。

人類は、かつてなかったほど絶えず動き続けている。

人類は「寛ぐ」という言葉を忘れてしまった。

「トータル(全面的)」という言葉を忘れてしまった。

「強烈さ」という言葉を忘れてしまった。 

そしてこういった素晴らしい質は全て、あなたの瞑想が、

あなたの存在の革命となる為に必要となる。


それは道徳の問題でも、品性の問題でも、美徳の問題でもない・・

宗教は、何千年もの間、これら全てのことと関わって来た。

そして彼らは、人を変容させることで、上手くいったためしがない。

これは、全く異なったアプローチ、異なった次元のものだ。


エネルギーの次元、そしてエネルギーの集中だ。 

ちょうど原子力というものが、小さな原子が

電子、陽子、中性子といった、自らの構成要素へと分裂する

爆発であるように・・それは目には見えない。

が、爆発は非常に大きい。

だから、長崎とか広島のような大きな都市を破壊してしまう・・

これとまさに同じことが、生きている細胞の内側での爆発として起こる。


原子力は外側にあり破壊的だ・・外向きで破壊的だ。 

あなたの存在の内側のエネルギーである、

内なる細胞が一度爆発したなら、それは原子力と同等の質、

同じような途方もない力を持っている・・

だが、それは創造的だ。

それは連鎖的な反応だ。

あなたの内側のひとつの細胞が爆発する。

それから他の細胞が連鎖的に爆発を始める。


生全体が、光のフェスティバル(祝祭)になる。


あらゆる行為がダンスになる。


あらゆる動きが、この上ない喜びとなる。