目を閉じて、背骨をまっすぐに直立させ、背骨を視覚化しなさい。 | 覚醒のひかり

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縄文時代にゆるゆる瞑想をしていた、シャンタンこと宮井陸郎(1940.3.13-2022.3.17)のブログ
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(貫井笑店)

 

 





OSHO 

 "意識を脊柱に置く"

目を閉じて、背骨を視覚化しなさい。

背骨をまっすぐに直立させ、それを視覚化する。

それを見る。

そのちょうど真ん中に神経を視覚化する――

蓮の糸ほどに繊細で、脊柱の中心を走っている神経を。

この脊柱の中、ちょうどその真ん中に、銀色の紐が一本通っている。

とても繊細な神経だ。

それは生理学的な意味での神経ではない。

手術して見つけようとしても無駄だ。

見つからない。だか、深い瞑想に入ると、それは見える。

その糸を通してあなたは身体と結びつき、その糸を通して自分の魂と結びついている。

まず脊柱を視覚化する。

最初のうちはきっと、じつに奇妙な感覚をおぼえるだろう。

視覚化することは可能になるが、想像上のことだ。

さらに努力し続ければ、やがて単なる想像ではなくなる。

あなたは自分の脊柱が見えるようになる。

自分の身体構造は、内側からも見える。

でも、我々はそれを試したことがない。

なぜなら、それはとても恐ろしいし、気味が悪いからだ。

もし自分の骨や、血や、血管が見えたとしたら、きっと怖くなるだろう。

だから実際、我々は自分のマインドを完全にふさいで、

内側を見ることがないようにしている。

そして、他人が見ているかのように、外側から身体を見る。

それはちょうど、ここから外に出て、外からこの部屋を見るようなものだ。

そのとき見えるのは、外壁だ。

家の中に入って見れば、内壁が見える。

ところがあなたは自分の身体を外側から見る――

まるで他人があなたの身体を見ているかのように。

あなたは自分自身の身体を内側から見たことがない。

我々にはそうする能力がある。

だがこの恐怖のせいで、すっかり馴染みがなくなっている。

インドのヨガの諸本は、身体についてさまざまなことを語っている。

その中には、現代の科学的研究によって正しいと裏づけられているものが数多くある。

どうしてそれがわかったのか、科学では説明がつかない。

どうやって彼らはそれを知ったのだろう?

 外科医学と人体内部の知識は、ごく最近発達したものだ。

どうして当時の人びとが、神経や、中枢や、体内の仕組みについて

あれほどよく知っていたのか? 

彼らは、現代の最新の発見についてさえも知っていた。

それについて語り、それに対して働きかけている。

ヨガはずっと昔から、身体の基本的で重要な事柄すべてに通じていた。

だが、身体の解剖はしていなかった。

いったいどうしてそれらがわかったのか?

 実際、自分の身体を知るには、もうひとつの方法がある。

それは内側からだ。

もし内側に集中できたら、突然、自分の身体が見えるようになる――身体の内側が。

目を閉じて、自分の身体を感じなさい。

リラックスして、脊柱に集中しなさい。

そして、このスートラはごく簡単に言う――

そのようにして変容を受けよ。

あなたはそれを通して変容する。