自分の価値を証明しようとしてはいけない。生を役立たずのままで楽しむがいい。 | 覚醒のひかり

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縄文時代にゆるゆる瞑想をしていた、シャンタンこと宮井陸郎(1940.3.13-2022.3.17)のブログ
【地球は国境のない、一つのうつくしい平和な星です】
【いまここをトータルに生きる】
いろんな人の言の葉を、分かち合いたいと思いまあああああああす!
(貫井笑店)

osho

老子が弟子とともに旅をしていた。

彼らは、何百人もの樵(きこり)たちが木を切っている森にやってきた。

森全体が、無数の枝をつけた一本の大木を残して、

ほとんど切り倒されていた。

その木は一万人が木陰に坐れるほど大きかった。
 
老子は弟子たちに、

なぜその木は切られていないのかをたずねてくるように言った。

彼らは樵のところに行ってたずねた。

すると、彼らは言った。「この木はまるで役に立たない。

枝という枝に節があり、これからはなにも作れない。

まっすぐな枝がひとつもない。

燃料にすることもできない。

煙が目の毒だからね。

この木はまったくの役立たずだ。

だから切らないんだよ」

 弟子たちは戻って老子に伝えた。

老子は笑って言った。

「この木のようになるがいい。

お前たちが役に立ったら、

切られてどこかの家の家具になってしまうだろう。

お前たちが美しかったら、市場で売られて商品になってしまうだろう。

この木のようになるがいい。

まったくの役立たずに……。そうなったらお前たちは大きく

大きく成長して、何千もの人びとがその下に木陰を見いだすだろう」


 老子はあなたとはまったくちがった生をもっている。

彼は最後の者でいなさいと言う。

世間をまるで自分がいないかのように動くことだ。

競争してはいけない。


自分の価値を証明しようとしてはいけない。


その必要はない。



生を役立たずのままで楽しむがいい。