3・Enlightenment
エンライトメント(光明を得ること)
光明を得る最初の者になろうとする野心をすべて落としましょう。
個人的なエンライトメントはありません。
個人はみな、全体とひとつに結ばれています。
仏陀は天上の門に着いた。
もちろんそこの人びとは待っていた。
彼らは門を開いて、彼を歓迎した。だが、彼は門に背を向け、そして
世界を見た---
--同じ道の上にいる何百万もの魂たちがもがき、
惨めに、苦悶して、天上と至福の門に行き着こうと努力していた。
門の番人は言った。
「お入りください!私たちはずっとあなたをお待ちしていました」
ところが仏陀は言った。
「ほかの者たちが辿り着いていないのに、どうして私がいけよう?
まだそのときではないようだ。
全体がまだ入っていないのに、どうして私が入れよう?
私は待たなければならない。」
「私の手は門のなかに届いているのに、私の足はまだ
届いていないかのようだ。私は待たなければならない。
ただ手だけが入ることはできない」
このすばらしい物語のなかでは、
仏陀はいつまでも待っていると言われている。
彼は待たなければならない--
---誰ひとり孤島ではない。
私たちは大陸を形作っている。
私たちはいっしょだ。
私はあなた方より少し先まで足を運んだかもしれない。
だが、私は雛れてはありえない。
そしていま、私はそのことを深く知っている。
いまやそれは私にとっては物語ではない--
私はあなた方を待っている。それはもうただの逸話ではない。いまや、
私は個人的なエンライトメントはないことを知っている。
個人は少し先まで足を運ぶことはできる。それだけのことだ。
だが、彼らは全体とひとつに結ばれたままだ。
TANTRA:THE SUPREME UNDERSTANDING,pp.130-131
邦訳「存在の詩」 めるくま-る社刊
(ヌクイ投稿)