OSHO:個人的なエンライトメントはない | 覚醒のひかり

覚醒のひかり

縄文時代にゆるゆる瞑想をしていた、シャンタンこと宮井陸郎(1940.3.13-2022.3.17)のブログ
【地球は国境のない、一つのうつくしい平和な星です】
【いまここをトータルに生きる】
いろんな人の言の葉を、分かち合いたいと思いまあああああああす!
(貫井笑店)




3・Enlightenment
 エンライトメント(光明を得ること)

 光明を得る最初の者になろうとする野心をすべて落としましょう。

           個人的なエンライトメントはありません。
           個人はみな、全体とひとつに結ばれています。




 仏陀は天上の門に着いた。
 もちろんそこの人びとは待っていた。
 
彼らは門を開いて、彼を歓迎した。だが、彼は門に背を向け、そして
世界を見た---

   --同じ道の上にいる何百万もの魂たちがもがき、
   惨めに、苦悶して、天上と至福の門に行き着こうと努力していた。

 門の番人は言った。

  「お入りください!私たちはずっとあなたをお待ちしていました」

 ところが仏陀は言った。
 「ほかの者たちが辿り着いていないのに、どうして私がいけよう?
 
  まだそのときではないようだ。
    全体がまだ入っていないのに、どうして私が入れよう?
                  私は待たなければならない。」

 「私の手は門のなかに届いているのに、私の足はまだ
  届いていないかのようだ。私は待たなければならない。
                ただ手だけが入ることはできない」

 このすばらしい物語のなかでは、
   仏陀はいつまでも待っていると言われている。
              彼は待たなければならない--

    ---誰ひとり孤島ではない。
        私たちは大陸を形作っている。
         私たちはいっしょだ。

私はあなた方より少し先まで足を運んだかもしれない。
 だが、私は雛れてはありえない。
 
   そしていま、私はそのことを深く知っている。
       いまやそれは私にとっては物語ではない--

 私はあなた方を待っている。それはもうただの逸話ではない。いまや、
  私は個人的なエンライトメントはないことを知っている。

 個人は少し先まで足を運ぶことはできる。それだけのことだ。

       だが、彼らは全体とひとつに結ばれたままだ。




 TANTRA:THE SUPREME UNDERSTANDING,pp.130-131
                邦訳「存在の詩」 めるくま-る社刊



(ヌクイ投稿)