ブログの更新ができないまま、12月議会の準備に追われていましたが、やはり区切りをつける意味で9月議会のご報告をしたいと思います。
 

9月議会のテーマのメインは、私が6年半前に市議になってからずっと取り上げたかった、けれどなかなか踏み切れなかった「ロストジェネレーション」です。

 

ロストジェネレーションとは、94年~2004年、超就職氷河期に就職活動をした世代のことを指します。

94年に就活をした私も正にその世代にあたり、、、、不本意な働き方をしてきた一人です。

 

自分の思いのたけをぶつけた質問原稿。そのままコピーします。

 

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1、ロストジェネレーションについて

1)生活の状況を把握しているか

 

ロストジェネレーションという言葉をご存知でしょうか。

日本では、1990年代の(91年に始まる)バブル崩壊後の1994年から2004年ごろの超就職氷河期に就職活動をした世代が、ロストジェネレーションと呼ばれます。他の世代の方々にはあまり認知されていないようなので、「自分たちのことをそう呼ぶ」、といった方がいいかもしれません。その時期は「失われた10年」とも言われます。

 

95年に大学を卒業した私もちょうどその世代で、不本意な働き方をしてきた一人ですが、私たちの世代は多くが就職に苦労をして、一部の優秀な人々を除いて、その後不安定な働き方をしてきた人が少なくありません。

私の個人的な感覚としてあるのは、ほんの1、2年前、つまり90年代の初めまではバブルの余韻があり、大学で2年上の先輩は良い企業から内定がいくつも出ていました。同じ歳でも、高卒で90年に就職活動をした人は、バブルまっただ中でどこにでも就職できたよ、と言います。短大に行った友人は、バブルの最後の恩恵にあずかれて就職し、出産までの10年間、正社員として働けたと言います。正社員として社会保障がしっかりとあったその10年間の蓄積が大きかったと言っています。

そのように、ほんのちょっとのタイミングの差や選択の違いで、その後の人生が大きく変わった印象があります。

ロストジェネレーションの前半、72年~74年ごろの日本が最も豊かだった時代に生まれた世代は、第二次ベビーブームに当たり、人口が多かったため、過酷な受験戦争を経験しています。頑張って大学に入ればいい就職ができると信じて入ったものの、目の前でバブルがはじけてしまった。割食い世代、ついてない世代、と言った呼び方もしています。

しかし、少子化で人口が減っていく世代も決して楽になったわけではなく、就職浪人がその次の世代を圧迫した側面もあったかもしれません。97年ごろと2000年ごろに卒業した後輩たちはピークで、本当に厳しい就職活動をしています。その世代のある友人は、学生時代はとても優秀であったにもかかわらず、卒論と就職活動をする中で鬱になり、その後、結婚して専業主婦になるまでの10年以上、受付のアルバイトをしてきた、とそんなケースもあります。

新卒しか採用されないため、留年して大学に籍を置き続けて、努力して公務員試験に勝ち残った人もいる一方で、フリーターのような生活を続けた人もいます。

 

 

少子化で目に見えて人口が減っていく中で、大学は生き残りのために門戸を広げました。また、国の方針もあり、大学院を拡充しました。簡単に大学や大学院に入れるようになった。入ったは良いけど、卒業しても就職先がない。何のために授業料を払って大学に通ったんだろう、そんな声も聞かれます。

大学院に至っては、少子化が進む中で研究者のポストは奪い合いです。

アメリカではいい就職をするために院に行くと言いますが、日本では特に文系は、大学院に行ってしまうと、一般企業への就職は難しくなります。キャンパスとその周辺には、行き場のないオーバードクターが溢れました。

更には、数百万の奨学金という借金を背負って卒業し、まともな就職ができないままに返済に追われている人々、返済できずにブラックリストに載ってしまう人々など、その後の人生に大きなダメージを与えていることも、社会問題となっています。

 

雇用の劣化も起きました。2000年代後半からいわゆるブラック企業が社会問題化しました。

低賃金で働きづめで、身体や心を病んでしまった人も少なくありあません。

ある統計では1998年までは上昇傾向にあった賃金が以降低下傾向にあり、現在に至っています。長期にわたる採用抑制で人手不足が深刻となり、過重労働が起きた面もあるようです。

市内のある集まりで、介護職の30代後半の男性とお会いした時に言われたことが、「宮原さんに会えたら言いたかったことがある」「大学で介護福祉士の資格を取ったけど、この給料では子どもを育てられない、何とかしてほしい」と訴えてこられました。そしてその方はその後、離婚をされたようです。

資格を持って定職についていても「子どもを育てられない」という現実があります。子どもの貧困が深刻な問題となっていますが、子どもの貧困は即ち子育て世帯の貧困です。(子どもの貧困は想定し得たはずです)。

明星大学の下平好博先生は、論文の中で、「雇用崩壊や雇用劣化が引き金となって家族崩壊が起こる」ことを強調されています。「失業率が高い地域では離婚率も高くなり、この二つの要因が重なると、必ず、生活保護率に代表される貧困も顕在化してくるパターンがある。雇用の崩壊は家庭の崩壊を生み、貧困も高まる」と。

 

私の個人的な感覚だけでなく、統計的にも見えてきます。

民進党の政策アドバイザーである井手英策先生は、「専業主婦世帯が減り、共働き世帯が増えているにもかかわらず、世帯所得はピーク時より2割落ち込んでいます。反対に、年収200万円以下の世帯は全体の2割に達し、非正規の割合も4割を超えている。結婚して、子どもを持つことすら難しくなっている。」とおっしゃっています。

ある統計によると、大卒の求人倍率は、データのある1987年の2.34に始まり、91年の2.86をピークに下がり続けて、96年に1.08、その後やや回復したものの、200年に0.99と最低を記録し(、2017年度は1.74迄回復し)ています。

 

非正規雇用労働者の割合は、

1989年に全体の2割程度だったものが、2014年には37%、今は4割を超え、3人に1人以上です。

これから深刻な問題として顕在化してくるのが、中年フリーターの存在で、その中心はロストジェネレーションです。

年齢的に正社員になるのが困難だし、体力の衰えで働けなくなってきます。

ワーキングプア率は、山形大学の戸室健作先生の論文によると、1992年に4%だったものが2012年には9、7%に上昇。東京に限って見ると3.2%から8.3%と、増加率が高いことが分かります、貧困率も同様に全国統計は92年の9.2%から2012年は18.3%に、東京は7.6%から16.8%と急増しています。

 

未婚率の推移としては、あるデータによると、2016年、ロスジェネにあたるアラフォー世代の女性の未婚率は、20%を超え、10年前の2006年によりも5ポイント上昇しています。(統計的に見て、正社員の女性よりも、非正規雇用の女性の方が、結婚に意欲がない傾向があるようです。男性の雇用も不安定になる中で、専業主婦の道も狭まっていることが背景にあると思われます)。

男性も、30代後半から40代前半の未婚率は30%近く、上昇を続けています。

 

引きこもりについては、以前は若者の問題とされていましたが、30代以上が増え続け、今は6割から7割を40代が占めています。

数字がその厳しさを物語っています。

 

1972年から1982年に生まれたロストジェネレーションは、2017年現在、45歳から35歳。本来であればまさに社会の中核となり、子育てをしている、はずの世代なわけです。

 

もちろん、努力して正社員や公務員になった人はいるし、起業して成功した人もほんの一握りはいるでしょう。

しかし一方で、生活するのがやっと、親元で引きこもってしまったり、当然貯金もなく、子どもを持つことはおろか、結婚も考えられない、そんな人々が大勢います。

子どもを持てない、子孫を残せない自分たちのことを「絶滅危惧種」と呼び始めています。

団塊ジュニアでもあるこの世代、順調にいけば第三次ベビーブームがあってもよかったはずなのに、逆に少子化は深刻化しています。

国の政策の結果、大きな社会的損失を生んでしまったといえるのではないでしょうか。

 

坂田教育長から以前、東京都は教員採用を控えた時期があった、というお話を伺いました。90年代、少子化に備えて教員の採用抑制が図られたようで、ちょうどいま、40前後から40代。今、その世代の教員の数が少なく空洞化しており、教員としてのスキルの伝承が難しくなっているといったお話でした。

統計を見ると、採用試験の競争率は90年からぐんぐん上昇し、2000年にピークを迎えます。

私も教員採用試験を受けて落ちたことがありますが、バブル崩壊の影響が少ないはずの義務教育の、教員採用という領域までもが、結果的に、ロストジェネレーションの問題を深刻化させました。それとともに、世代の空洞化により、スキルの伝承がうまく行かない、それも政策の失敗であり、社会的損失と言えます。

 

先日、私の家に、振り込め詐欺風の電話がかかってきました。しばらく話を聴いた後、「来客があるので折り返しかけます」と言った瞬間切れました。私は、電話の向こうにいる相手、きれいな言葉づかいではきはきと話すその男性がどんな人生を経て、振り込め詐欺業界に身を置いているのだろうか、と想像せざるを得ませんでした。納得してやっているとは思えないのです。生きるために、やむを得ないのではないかと。

 

オレオレ詐欺という言葉が使われ始めたのは2003年ごろですが、2007年の新聞記事にこうあります。

「この数年、高齢者など社会の弱者を狙った詐欺が増えている。  警察庁によると、検挙された振り込め詐欺の実行犯は、35歳未満が8割を越す。  予備軍は、追い込まれた若者たちだ。  社会が復讐されているのかもしれない。」と。

振り込め詐欺は年々巧妙化し、その被害額は信じられないほど上昇を続けていますが、

もし彼らがまともに就職して能力を発揮できていれば、日本企業の生産性を上げたに違いありません。大きな社会的損失と言えるのではないでしょうか。

振り込め詐欺撲滅、と声高に注意喚起する、そして摘発する、逮捕する、もちろん社会の安全を守るためには必要なことかもしれません。でもそれだけでは、おそらく振り込め詐欺はなくならない。そういう方法でしか生きていく術のない人々に、仕事を与える、役割を与える、適正な収入を与えて生存権を保障する。ということと、車の両輪であるべきです。

 

ある当事者のブログを引用します。

一部の学者は 「多くの若者が定職に就かない事で将来的に人的資本の毀損が深刻になる」
といった内容の事を経済誌などで書いていた。
しかし多くの日本企業はそういった問題をほぼ完全放置したし、
政府も申し訳程度の対策しか行わなかった。

ロスト・ジェネレーションの問題は、社会だけでなく本人の問題を多く含んでいるし、
上手いこと影響を受けずに済んだ人も多い。
だから、自己責任として片付ける論陣を張る事は簡単だ。しかし
僕には「自分の世代が平均的に他の世代と同じように幸せ」
だとはどうしても思えないのだ)。

 

自己責任論で切り捨てられ、国はほぼ、無策でしたが、その社会的な損失は計り知れません。

 

ことしの4月に社会事業大学の学長に就任された、経済学者の神野直彦先生は、(井手英策先生の指導教官でおられますが)

90年代の後半に、新自由主義的な小泉内閣の構造改革のもと、規制緩和が進み、雇用破壊が起きたことを、繰り返し指摘されています。派遣労働の範囲拡大などを通じて、日本の雇用情勢を一気に流動化させた。その結果生まれたのは、非正規雇用の大幅な増加と、ワーキングプアと呼ばれるような貧困層の登場。そして格差の拡大だった。それは意図された雇用破壊、そして雇用劣化であったと指摘しています。

 

企業は、景気が良くなれば人手不足を非正規で補充し、好景気が終われば大量解雇です。

社会保障は、多くの場合、正規雇用労働者のものであり、非正規雇用は対象外です。

社会保障も貯蓄もない労働者は、解雇された瞬間、生活が破たんします。

 

解雇や病気などで働けなくなり、社会保険などのセーフティネットからもこぼれ落ちると、最後に頼れるセーフティネットは生活保護しかありませんが、ある記事によると「2015年時点で生活保護受給者は7月時点で216万人と過去最多を更新。それに匹敵する中年フリーター273万人が生活保護予備軍として存在している」とありました。

企業がコストを削減した分、将来的に行政の負担として跳ね返ってくると言えます。

 

自己責任の名のもとに切り捨てられたロスジェネの貧困と格差は、今、「子どもの貧困」という形で表れ、日本社会はあわてて対応に追われています。しかし、それは十分に予想しえたものではなかったでしょうか。

 

経済産業省の次官・若手プロジェクトの報告にも以下のようにあります。

「かつて、少子化を止めるためには、団塊ジュニアを 対象に効果的な少子化対策を行う必要があったが、 今や彼らはすでに40歳を超えており、対策が後手に回りつつある。 今回、高齢者が社会を支える側に回れるかは、 日本が少子高齢化を克服できるかの最後のチャンス。2025年には、団塊の世代の大半が75歳を超えている。 それまでに高齢者が支えられる側から支える側へと 転換するような社会を作り上げる必要がある。 そこから逆算すると、この数年が勝負。」だとしています。

少子高齢化を乗り切るためにも、ロスジェネ問題に、今、向き合う必要があるのではないでしょうか。

(若い世代の非正規雇用が増えて所得が下がれば、ものを買えない、それがデフレをもたらしている。)

(ロスジェネが65歳以上になるとき。おそらく年金はもらえない。生活保護になだれ込むのではないか。)

 

失われた10年は延長し、更に、失われた20年と呼ばれています。(91年から2011年)

神野先生と金子勝先生の共著「失われた30年」という著書がありますが、

国の無責任な政策が、失われた10年を更に延長させて、失われた20年にしてしまったと主張します。

91年ごろにはじまる失われた20年の間、日本のGDPは、ほとんど伸びていない。

イラク戦争とリーマンショックで衰退するアメリカに追随しているうちに、アジア諸国からも取り残された、と。「東日本大震災と福島第一原発事故は悲惨な被害をもたらしたが、それでも日本が変われないのであれば、終わりに向かっていくしかない」そのように、失われた30年を予言しています。

失われた30年にしないために、日本は新しい社会と経済システムを作り出すべきであるという提言を行っています。

 

ロスジェネという言葉が使われ始めたのは2007年ごろで、当時は若者と呼ばれたけれど、気づけばもう若者ではありません。

 

「日本では新卒一括採用が一般的であるために、職歴のない転職者には厳しく、既卒者の雇用は進まない。35歳を境として転職市場や派遣採用の門戸は急速に狭まります。ロストジェネレーションは回復不能なほどの被害を被ってしまった」と金子勝先生は指摘しています。

 

先日、アイレックで講演をされた雨宮処凛さんも、最近の著書の中で、

「ロスジェネと呼ばれた私たちの世代は今、取り返しがつかなくなる地点に立たされている。若者とくくられなくなったことで、政策の対象にすらならない、」と述べています。

「だからこそ、次の世代にはこんな思いをしてほしくない」「そして、やっぱり自分たちだって見捨てられたくない」「子どもの未来がお金で決まるのは不公平だ」「すべての世代の貧困対策を、今、心から望んでいる」と結んでいます。

30代40代、これからまだまだ社会の中核として活躍してもらわなければならない世代です。

失われたもの、尊厳と言い換えてもいいかもしれません。それを取り返すために何をしたらいいのか、考えて行かなければならないと思います。

ここで質問です。

清瀬市として、このロストジェネレーションという社会問題を、どのようにとらえているか、ご認識を伺います。

市内の、ロストジェネレーションに該当する市民がどのような生活を送っているのか、実態を把握していらっしゃるでしょうか。

 

 

2)ニーズ把握と支援・対策について

 

ロストジェネレーションにあたる人々ついて、どのようなニーズ(困難)があり、これまでどのような支援を行ってきたでしょうか。

子どもの貧困問題は、子育て世代の貧困の問題であり、少子化対策には現役世代の雇用の安定が不可欠だと考えます。

安心して子どもを産めるように、子育て支援は拡充して下さっていると評価していますが、親となる世代の雇用の安定についてはどのように認識されているでしょうか。

また、貧困の世代間連鎖を食い止めるために清瀬市としてどう取り組んでいるのか。それで充分なのか。十分でないとしたら、今後何をするのか。いつから、何をどのように行うのか、今後の対策を伺います。

 

再質問;ロストジェネレーションの世代の生活保護受給率はどの程度でしょうか。他の世代と比べて特徴的なことは見えてきますでしょうか。

 

再質問:(学習支援はしてくださっていますが)子ども食堂が、市民の手により市内に広がっていますが、昨日の質問でも紹介されていたように、各地の自治体が、様々な形で連携したり協力をしています。先日、福岡に帰省した折に、子ども食堂を見学しましたが、福岡市は、早い段階から助成金を創設しており、3年間の期限付きではありますが、運営費をもらっているとのことでした。

清瀬市としても、何かできることがないか、ご検討いただきたいと思います。答弁があれば。

なければ、できるだけ市民の自主性や独自性を尊重しながら、後方支援をするような形でのバックアップを要望しておきます。

市民グループが子どもの居場所づくりをしてくださっていますが、公共施設を使用している場合、その使用料を、その団体から受け取っていると思います。その金額は年間いくらになりますか?これに対しては、市民、関係者からも疑問の声が上がってるんです。市にとって必要な事業だと考えて積極的に助成金を出している自治体がある一方で、清瀬市は特に何もしないどころか、、、、もちろん公用にするには色々と条件があると思いますが、それは、その団体と協議して、連携が可能かどうか模索して行く。それが市民協働には必要なプロセスだと思います。昨日の質問でも出ていたように、子どもの貧困対策として、清瀬市として何をするのか、ご検討いただきたいと思います。

 

再質問:神野先生は、「様々なセーフティネットを張り巡らす」ことが格差を減らす。とおっしゃいます。北欧では、セーフティネットが充実しており、生活保護まで落ちてくる人は少なくて済んでいるとのこと。

「セーフティネットはトランポリンでなければならない」と言います。トランポリンとは何かというと、就労に結び付けるということ。働くための福祉、つまり、失業しても、再教育、再訓練して働けるような福祉を提供していく。職業訓練の拡充、やり直しの効く教育が必要だとおっしゃいます。

新卒で正社員になった場合は、企業内で新入社員教育が行われるが、特にロスジェネには、その機会を得られなかった人々が大勢います。

(そもそも、日本では学校教育で職業教育がなされていない。学校教育と職業教育が結びついていることも必要)。

義務教育や高等教育、そして職業教育をいつでもどこでも誰でもが、ただで受けられる、そしてその間の生活を保障するような社会を作って行くことが必要だと。

現在、ひとり親に対しては、職業訓練制度があると思いますが、それを拡大してロストジェネレーションにも提供していくことが1つの現実的な方法ではないかと思いますが、いかがでしょうか。

(日本では、国際競争力を高めようとするとどうしても賃金を下げるという発想をしがちだが、そうではなくて、人間の能力を高めて生産性の向上や技術革新を実現し、国際競争力を高めよう、という発想への転換を。能力開発型の福祉と呼ばれるもの。)

 

再質問:引きこもり対策についてですが、自治体の取り組みで成功例があります。秋田県の藤里町。人口3800人の町です。引きこもっている若者がたくさんいるということを知った社会福祉協議会の職員が、全戸訪問をしたところ、100人以上の引きこもりの人々がいたそうです。3年がかりで調査をして、外に誘い出そうとしたが、誰も来ない。社協の採用試験に1人の引きこもりの若者が来たことから、必要なのはカウンセリングではなくて、働く場であることに気づいて「失業者のための支援事業」をはじめたところ、引きこもりの人々が資格を取ろうと、続々と出て来たそうです。そして数年後に自治体の協力を得て「就労支援施設」を設立したそうです。もちろん、藤里町と清瀬市では人口規模などの違いはあるかと思いますが、清瀬市として引きこもり対策に何らかの形で取り組めないでしょうか。ご見解をお聞かせください。

 

○再質問:「まち・ひと・しごと創生総合戦略」では、喫緊の課題である人口減少問題や結婚、出産、子育て、雇用等にお ける(本市特有の課題)に対応するための戦略をまとめたものですが、このロストジェネレーション、まさに子育て世代の置かれた現状についての認識が必要だと思います。そのあたりのご認識はいかがでしょうか。

 

再質問(要望):

○「誰もが受益者になる財政戦略」で知られる慶応大学の井手英策先生は、(神野先生の流れを汲み、民進党の政策アドバイザーでいらっしゃいますが、)

同一労働同一賃金、職業教育職業運連システムの強化、また教育(高等教育)の実質的無償化および自己負担軽減、幼稚園教育保育の無償化と質の向上、子ども医療の総合化・無償化などを提唱されています。

神野先生・井手先生ともに

ユニバーサルデザインの社会保障。貧しい人に特化、つまり所得で差別して給付するのではなく、全員に給付するユニバーサルデザイン的な社会保障を提唱されています。特に医療費・教育など、誰にも必要なものを提供していく。

(だから、北欧では、生活保護に必要なお金は、身にまとうものと口に入れるものだけで済む)。

※選別して救済すると、⇒ 受益者と負担者に分断する。

※生活保護は申請主義であり、スティグマと差別を生む。結果、補足率が上がらない。

 

○前出の、下平好博先生は、地域再生のカギは二つ、雇用政策と地域レベルのソーシャルセーフティネットの再構築だとおっしゃいます。(国民健康保険・国民年金・生活保護制度の抜本的な改革。雇用破壊雇用劣化が、加入率・納付率・高齢者の生活保護率に影響する)

 

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(以上、再質問は、時間切れで質問できなかった部分も含みます)

 

このテーマに取り組むまでに、6年以上の時間を要したのは、清瀬市に何をどう要望したらいいか躊躇したことと、もう一つ、

自分自身の苦しかった経験、そして、苦しみ続けている友人たちの思いに、正面から向き合うことが難しかったからです。

 

昨年より、民進党の政策アドバイザーである、私と同世代の井手英策先生に影響を受け、また、井手先生の指導教官である神野直彦先生が清瀬市内の社会事業大学の学長に就任されたことが、背中を押してくれました。

両先生の本を読み漁り、ネットや電話で突撃取材を行って書き上げた原稿は、自分で要約することができず、、、全文を掲載した次第です。

 

 

全国的に、議会でロストジェネレーションについて取り上げている議員は、ネットで調べた限り、2名ほど。私と同世代でした。そのうち鹿児島市の野口英一郎議員には連絡を取って色々とアドバイスを頂きました。

意見交換をする中で、「ロスジェネ自治体議員ネット―ワーク」のようなものを作りたいですね、という話になりました。

 

この問題を可視化していくためには、当事者である私たちが声を上げて行かなければならないと思います。