ここしばらく、このblogでこだわってきたテーマ(宮城UPのテーマでもあります)は、「社会参加と福祉支援・IT支援」でした。
福祉化の進展も、情報化の進展も、両方とも障害者や高齢者の社会参加を助ける、と思われています。でも、(その片棒を明らかに担いでいる)私は、実はあまりそのように思っていません。
大事なのは、功罪があること。もちろん、良いこともある。しかし福祉サービスに予算をつぎ込んだからといって、ITにお金をつぎ込んだからといって、みんな常に、幸せになるとは限らない。
だから、宮城UPはこんなのなのだ。 今日は、そんな話です。
ふう、ちょっと一息
。意味もなく。
実は、福祉と情報の交点に浮かび上がるこの問題は、従来から、「デジタル・ディバイド」論という分野で語られてきました(たいして語っている人は、日本にはいませんが。
デジタル・ディバイト(情報格差)は、要はITを使える人と、ITを使えない人(障害がある人、高齢の人はこっちに入りがち)に、経済面や生活面で格差がでてしまう、という話です。
で、その格差をなくすために、社会的弱向けにパソコンを、ネットを普及させるべきというのが、従来のデジタル・ディバイド論の主張でした。国も社会も企業も、膨大な予算をつぎ込んできました。
間違ってはいません。ネットが無い人がいるなら、有るようにしなければならない。これは一面では正しい(アクセシビリティの議論に通じますね)。でも、今までの話を整理すれば、みなさんおわかりでしょう。この話は、「量のデジタル・ディバイド論」なのです。
もっと大事なのは、今、パソコンを使っている人は幸せなのか?ITが普及して、社会参加、進みましたか?と、聞き直すこと、です。つまり、ITが使えるかどうかではなく、どのように使うか、ということ、です。たぶん。
私は「質のデジタル・ディバイド」を、一番重視したいと思っています。「情報生活の質QoIL」とも、言えるかも。
「IT土方」って言葉、ご存じですか(いい表現じゃないですが)。 システムエンジニアやWeb製作の現場でよく言われる言葉で、納期までひたすらパソコンの前で働きつづけないとお金にならない人たちが、自分を揶揄して使ったりします。そう、情報産業の大半は、「人月」などという言葉があるように、時間を切り売りして稼ぐもの。肉体労働に近いのです。
現在、障害者の就労支援策の多くが、「障害者がITを使って働く」ことに傾注しています。でも、パソコンを学ぶためには、パソコンを買ったり、ネットの経費を毎月払ったりと、自己負担が必要になります。
いいことあるよ、と言われて、多大な労力とお金をつぎ込む。その結果が「IT土方」だったら、そもそも生活や身体に不利がある人にとって、絶対格差はなくならない。逆に開くでしょう。しかも、すでにパソコンを買ったあと(量的に解決されている)んだったら、絶対自己責任にされます。「おまえのスキルが足りないからだ」って。
デジタル・ディバイドは、パソコンやITの普及度、さらにはパソコン講習の受講人数では、絶対に解決できない。「どのように使えるようになったか」という、質の面の方が大事なのです。ではないと、競争社会の格差温存の言い訳に使われる事さえある。
使えない人が使えるようになるデジタル・ディバイドだけ、考えていれば良い時代は終わりました。これからは、どのようにITを使うか、どう使えば、私たちはよりよくなるのか?、を考えていかなければなりません。
その回答の一つが、宮城UP、なのです。スタートから、そういう考えで設計されているのです。
だから宮城UPは、単なるパソコン講習じゃ、ないのです。たぶん。